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チーム天狼院

毎年8月6日に、わたしは死ぬんだと思っていた


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:田岡尚子(チーム天狼院)
 
あぁ、また、やってきてしまう、今年も。
物心ついたときから、わたしはこの日が近づくのを恐れていた。
死ぬかもしれない、と本気で思っていた。
生まれも育ちも広島なわたしは、8月6日が近づくたび、また落ちるんじゃないかと、びくびくしていた。
 
8月6日、といっても、広島出身じゃない人はピンと来ないかもしれない。
それもまた、ちょっと悲しく思うけど。
73年前の8月6日に、広島に原子爆弾が落とされたこと、ぱっと思い出せた人はどれぐらいいるだろうか。
幼稚園のころがどうだったかはあまり思い出せないけど、小学生のときから、8月が近づくと“平和学習”が始まった。原爆ドームに行って、平和公園、平和記念資料館にも何度か行くのが定番。学校では色々なムービーを見たり、被爆者の話を聞いたり。爆弾も飛び交わない平和な日常をのんきに生きているわたしにとって、もうその全てを知ることが、本当に残酷で気持ち悪かった。目をふさぎたくなるようなことも、瞳に焼き付けるしかなかった。知りたくないことも知らなければならなかった。広島で生まれ、広島を生きていくわたしたちは、これが使命なんだと、わたしたちが引き継がなきゃいけないんだと、目を逸らすことはできなかった。
そこまでは、まだよかった。ただ、どうしても、これだけは我慢できなかった。
空を飛ぶ、あの鉄のかたまり。
爆弾が落とされる動画を散々見たせいか、物心ついたときから、ゴゴゴ……という飛行機の音が近づいてくると、一気に心拍数が上がる。笑われるかもしれないけど、「また爆弾が落ちるんじゃないか」と、毎度毎度本気で思っていた。「やばい、近づく……あ、よかったどっか行った」救急車のピーポーピーポーというサイレンの音が近づいてきて、「えっ家の近くで止まったらなんか嫌だな」と思いつつ、音が過ぎ去ると少しほっとする感じと一緒だ。
夜中に飛行機の音で目が覚めてしまうぐらい、飛行機の音が近づいてくるあの瞬間が、今も嫌いでしょうがない。
もしかして、また、落ちるんじゃないか。
毎年、8月6日が近づいてくると、飛行機の音に敏感になる。「あぁ、また爆弾落ちたらどうしよう」と、本気で深刻に考えていた。あぁ、もうこの日常もあと少しで終わるかもしれない、なんて思うと、少しでもお母さんと、お父さんとお兄ちゃんと一緒にいたくて、不安なときはいつも「お母さん、今日一緒にお風呂入ろー」と、お母さんの家事が終わるのを待った。どうしよう、どうしようと、なかなか寝付けない中、フガフガといびきをかいているお父さんに少しイラっとしつつも、なんだかんだ安心した。このまま死ねたらまだいいのに、皮肉にも広島は8月6日、夏休みだけど学校に行かなければいけない登校日だ。あぁ、せめて死ぬときは家族といさせてくれよ、なんて思いながら、重い足をひきずって向かった。雨が降れば、爆弾は落ちないかもしれないのにと、眩しすぎる太陽を少し睨んで学校の門をくぐる。
そんな8月6日を、ずっとずっと当たり前のように過ごしていた。8月6日の午前8時15分という時間は、もう体に、心に刻みついていた。手をそっと合わせて、1分間の黙祷をしているときも、「落ちないで、落ちないで……」と願った。お家に、帰らせてくださいと、胸がぎゅーっと苦しくなる感じに、ずっと慣れることはなかった。
でも、それが、なんでもなかった。
大学生になって、地元に広島を離れて東京に来て、8月6日が、なんでもなさすぎることにびっくりした。
わたしは毎年、この日に死ぬんだと怯えていたことが、あほらしくなったのはこのときだった。テレビをつけても、1つのチャンネルでしか放送していない。広島だとどこのチャンネルでも放送してるのに。あれ、おかしいな、今日は8月6日だよね? 8時15分に、ちゃんと黙祷したの? と、誰かを責めてしまいそうだった。このなんでもない“日常”感が、どうしても許せなくて、なんでみんな楽しそうにしているんだ、なんで、みんな普通なんだ。こうやってみんな、何も知らないまま忘れていくのかと、なんともいえないむなしさと憤りがあった。
でも、そんな偉そうに8月6日について語りながら、わたしだって8月6日だけだよな、という現実に気づいた。もし生まれも育ちも広島じゃなければ、毎年死ぬ思いで過ごすことも無かったんだろう。自分が直接被害を受けなかったからって、震災や、昔あった事件、あれから何年という文字をテレビで見て、あぁ今日かって思い出す。忘れてたなんて言えない。そんな誰かの当たり前が、みんなにとっての当たり前とは限らないし、みんなの当たり前は、わたしにとっての何でもない日常だったりもする。
じゃあ、しょうがないか。生まれる場所、育った場所が違えば、しょうがないよね。なんて言ってしまっていいのだろうか。わたしは何のために、8月6日に黙祷をしていたのか。当たり前にある日常が、なんでもないように、一瞬で真っ暗になってしまうのが、原爆のおそろしさだ。いつ起こるか予想もできない震災の、誰が巻き込まれるかわからない事件の、おそろしさなんじゃないのか。「ただいま」を聞くことのできなかった「行ってらっしゃい」が、街中にあふれてしまった日なんだ。どんな日も、本当は毎日、言い残したことがないように、悔いができないように生きていけたらいいのに。それでも、それができないから、やっぱりわたしは、8月6日も、なんでもないようには過ごせないんだ。この日が、誰かにとってのなんでもない日常であっても、朝の8時15分なんて寝過ごしちゃったよっていう人がいても、それでもいいから、その日のどこかで、少しだけでも「ただいま」を言えなかった、聞けなかった人のことを思い出して、あなたの大事な人を、想って欲しい。

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