炎上する火種をさがしてる《川代ノート》
「くっそきもいな」と思う回数が、ここ最近で、極端に増えました。
「くっそきもいな」という感覚は、前々から抱くことはよくあって、なんだか鳥肌が立ってくるような、今すぐに逃げ出したくなるような、「あーもうきもい!!」と大きな声で言ってしまいたくなるような、そんな感じです。
昔から、「きも!」と思ってしまうことは多々あって、原因はよくわかりませんでした。それはほとんどが直感的なものだったし、説明できるようなものではなく、おそらくトマトが苦手とか虫が嫌いとかそういうレベルの、個人の好みの問題だから、わかりやすく他人に伝えられるような感覚ではないのだろうなと思っていました。
けれども、最近になって、この違和感を抱く回数があまりにも多くなってきて、自分の胸の中だけで抱えているのは耐えられなくなってきてしまいました。「きもい」という気持ちが大きくなりすぎて、もうキャパオーバーなのです。
なので、思い切って、書いてみることにしました。この感覚が私だけのものではないことを確信したくて、本当は周りに言えないだけで、「私も実は思ってた」という人がいるだろうことを信じて、言葉に出してみることにしました。自分ひとりだけではないのだという安心感を得たくて、そして、私が抱いているこの「きもい」という感覚が何なのかを探りたくて、キーボードを打っています。
私が「くっそきもいな」と思うのは、SNSなどで「炎上している何か」を見かけたときでした。
差別やら搾取やら教育問題やら、世の中では次々に事件が起きていて、毎日のように「炎上している何か」を見かけます。大きな問題が発覚し、それを見た人たちが、「ふざけるな」「なんてことだ」とその炎上を起こした人や団体について意見を言います。もちろん世の中はそうやって日々、さまざまな人の意見が交錯することで成り立っているのですから、間違ってはいないはずなのです。さまざまな議論があり、さまざまな人がいて、さまざまな「好き」「嫌い」がある。多くの人の意見があることで徐々に世の中がよくなっていく。という流れは理解しているつもりでした。私は書店で働いていますが、書店にいると、著者の先生や編集者さんやお客様など、じつに多種多様な人たちと出会います。読書会ひとつとっても、多種多様な意見があります。自分と違う意見や話を聞いているのは単純に面白いですし、それは本を読んでいても同じです。本の数だけ、意見がある。私はそうやって、さまざまなひとの意見を知ることができる環境で働くことが好きです。
でもだったら、どうして私はそれほど「炎上」を見ていて「きも!」と思ってしまうだろうかと、不思議でしょうがないのです。違和感がある自分が不思議なのです。一体何がおかしいと思っているのでしょうか。
自分の違和感の種を探るために、昔のことを洗い出してみました。たしか、SNSでこれほど日常的に「炎上」を目にすることがないときにも、「きもい」と思うことはありました。最初に思ったのは、いつだったか。この感情が芽生え始めたのは、いつだったでしょうか。
はっと浮かんできたのは、満員電車の中でした。そうです、私が高校生の頃だったと思います。私は小田急線で高校に通っていて、毎日ぎゅうぎゅう詰めでした。サラリーマンやOLさんらしき人たちが、難しい顔をして電車に乗り込んでいました。私も満員電車は大嫌いでしたが、我慢して乗っていました。
その日もひどいすし詰め状態で、私はタバコ臭いおじさんたちに押し込められながら、電車に乗りました。私は身長が153センチしかないので、サラリーマンたちの肩くらいに、ちょうど私の頭があり、立っているのがやっと、という感じでした。
「いた!」
私は小さく悲鳴を上げました。ガサ、と音がして、なにかが私の目の中に入ってきたのです。驚いてよく見ると、私の目の前のおじさんが、少しの隙間もないような満員電車の中で、新聞を読んでいたのです。前の人と距離をとって背中を反らせて、四つ折りにした新聞を読んでいました。痛かったのは、おじさんがページをめくったときに新聞の角が私の目に入ってきたからでした。
私は驚きました。こんなに満員で、あきらかに混み合っていて、みんな少しでもはやく駅について欲しいと願っているような満員電車の中で、新聞を読むなんて迷惑に決まっているのに、どうしてそれでも新聞を読んでいるんだろうと思いました。どうしても今新聞を読まなければならない理由でもあるのだろうか。朝会社に行ったら、新聞で得たニュースを発表しなければならない習慣でもあるのだろうか。
おじさんは結局、新聞を一通り目を通し終えてから、新聞をしまいました。駅につき、人が流れていきました。それに伴い、おじさんの姿は見えなくなりました。それは毎日のたんなる習慣であるように見えました。
私は仮説を立てることにしました。おじさんはおそらく、時間を無駄にしたくない人なのだろうと思いました。時間を有効活用したいのだろう、と。ただ電車に乗っているだけの通勤時間で、ニュースを吸収すれば、無駄にはならない、という発想なのだろう、と。
だとすれば、おじさんは、どうして時間を無駄にしたくないと思っているのか?
仕事ができるようになりたいから? 出世したいから? 優秀な人間になりたいから?
だとすれば、仕事ができるようになりたいのは、どうして?
お金を稼ぎたいから?
人の役に立てる人間でありたいから?
私は、そこまで考えたときに、強烈な違和感を覚えました。
もし、「人の役に立てる人間になりたい」「優秀な人間になりたい」という感情が、「時間を有効活用する」という行動をおこす原因になっていたとしたら。
それって、なんか、矛盾してる?
そう思ってしまったのです。
もちろん、おじさんが単純に暇つぶしのためだけに新聞を読んでいたのだとしたら、この仮説は成り立ちませんが、もし、おじさんのインセンティブが私の仮説通りだったとしたら、すごく変だ。
もしもあの人が「自分はこういう人間になる!」という強い目標や自分なりの哲学を持っていて、そのために行動を起こしているのだと、仮定するならば。
あの人、「自分が人の役に立てる優秀な人間になる」っていう目標を達成するまでの途中段階なら、周りに迷惑かけてもしかたないって思ってるのかな。
本末転倒。
そう思ってしまったのです。
そのことは、日常に起きた非常に些細な出来事でしたが、10代だった私に大きな影響をあたえました。以来、私は学校に行くたび、電車に乗るたび、街に出るたび、人の動きや、その人の動機を考えてしまうようになりました。テレビでニュースを見るときも、そんな風に考えるようになりました。
たとえば、テレビでいじめの事件を大々的に報じていたとき。
テレビに映るコメンテーターたちはこう言いました。
「ひどい事件ですね」
「信じられません」
「教育委員会は何をやっていたのか」
「絶対に許せないことだと思います。私なら絶対に助けるのに」
本当かよ、と思いました。
そのコメンテーターは、スタッフに横暴な態度をとっていると週刊誌やネットによく書かれていました。それが事実かどうかはわかりませんが。
コメンテーター以外にも、街中の一般人にも事件についてどう思うかインタビューされていました。
みんな、コメンテーターと同じように、ひどい事件だ、痛ましい、教師たちは恥を知れと猛烈にバッシングしていました。
私はそれを見ていて、「くっそきもいな」と、思いました。
本当かよ。
自分が同じ立場になったら本当に、自分が抱いている「正義」に則って、行動できんのかよ、と。
たとえ、自分の立場が悪くなるとしても。自分が周りに攻められるかもしれなくても。
私はできない、と思いました。
恥を忍んで言いますが、私は人をいじめない自信はありません。人の悪口を言わない自信もありません。人を傷つけない自信もありません。
たとえば私が学校の先生だったとしたら、いじめられている生徒がいるのを見かけたとして、それを絶対に防げる自信はありません。
「私は見て見ぬ振りをしない」という断言なんて、できません。
バレたらどうしよう。攻められたらどうしよう。給料下がったらどうしよう。
たとえその行動がとんでもなくずる賢くて、倫理に反したことだとしても、私は保身に走るかもしれない。
私は私のことを極悪人だとは思っていませんが、めちゃくちゃいいやつだとも思っていません。普通です。いたって普通の人間です。いいやつなときもあるし、悪いやつのときもあります。
そしてそれは、私だけではなく、みんな同じだと思うのです。
誰だって、いいやつなときもあるし、悪いやつなときもあるのです。人に優しくできるときもあるし、人にを傷つけてしまうこともあるのです。電車でおじいさんおばあさんに席を譲る日もあるし、猛烈に疲れていて寝たふりをする日もあるのです。
なのに、なんでそんな、自分は100%いいやつみたいに、自信満々に人のこと批判できるんだろう。
それが、私の中の大きな違和感の原因でした。
「正義を貫くためには多少の犠牲は仕方ない!」なんて台詞をラスボスが言うのを漫画や小説ではよく目にしますが、おそらく私たちは日常生活の中で、この言い訳を心の中で、自分自身に対してしているんじゃないかと思うのです。
こいつは悪いやつだから懲らしめよう。多少きつい言い方は仕方がない。
これくらい言ってもいいよね。だって私よりこいつの方が悪いもん。
悪いやつにちゃんと正しいことを理解してもらうためなら、言い続けないと。
悪いのは、私じゃない。
ああ、自分の身におきた出来事を自分の責任にするのはひどく難しいのに、人のせいにするのは、世の中のせいにするのは、なんて簡単で楽なんだろうと思うのです。
私も普段仕事をしていて思うのは、自分の心の中には、めちゃくちゃ強い「怠惰な自分」が住んでいるということです。
そいつは、「自分は悪くない」という言い訳を考える達人で、私がミスをしてしまったり、まずい状況になって自分の立場が悪くなると、すぐにこう言い出します。
「いや、私じゃなくてあの子の連絡が遅かったから」
「もともとやるかどうかわからないまま進んでたし」
「はっきり指示してもらわないと。私の仕事じゃないと思ってた」
その問題は、自分のせいで起こったことではないと強く、強く強く主張する。原因は私にあるのではなく周りにあるのだと思おうとする。
だって、全部自分が悪いことにするのは、ひどく居心地が悪いからです。気分が悪いから。他人のせいにした方が楽だから。
人は、矛盾した生き物だな、と思うのです。本当に。
たとえば、ツイッターで炎上している有名人に「そんなことばっかやっててよっぽど暇なんですねw」とコメントしている人のアカウントを見ると、30分おきに有名人に対してクソリプをしているということがよくあります。
おそらく人間誰しも、矛盾を抱えて生きているのだと思います。
時間を有効活用するために周りに迷惑をかけているおじさんも、自分は絶対にいじめなんかしないと信じている学生も、いじめがあったら絶対に阻止できると信じている大人も、炎上した有名人を誹謗中傷する人も。
そして、こうやって記事を書きながらも、おそらく記事を書き終えたら、ツイッターで次の炎上の火種を探してしまうであろう、私自身も。
おそらく誰の心の中にも邪悪な心はあって、絶対的な正義はどこにもなくて。100人いれば100人それぞれの正義があり、悪があり、世の中でいつでもどこでも誰にでも絶対に通じる「正しいこと」なんてどこにもないんじゃないかという気がしています。
人間は「こうありたい」という自分の理想を目指して追いかけて、それでも追いつけないという現実から目を背けて、目を背けたいからこそ、必死になって自分以外の「間違い」を見つけようとする。比べたときに自分の方が「正しい」と安心できるような、天秤にかけられる「誰か」や「何か」を心のどこかで探している。
それがいけないことというわけではなく、おそらく重要なのは、「そういう自分がいる」という事実をきちんと受け入れることじゃないかと思うのです。
自分は矛盾している生き物だし、自分以外のみんなも、もちろん矛盾している。
絶対に、言動に一貫性がある人なんてどこにも存在しなくて、誰だって間違いはするし、おかしな行動をとることも発言をすることもある。
「正しい」か「正しくない」かに判断基準を置いてしまうのは危険をはらんでいて、世の中の動きによって変わり続ける「常識」や「正義」に頼るのではなく、「好き」とか「嫌い」とか、それこそ「くっそきもい」とか、そういう自分だけの「感覚」や「好み」で判断する方が、なりたい自分には近づけるのかもしれない。
「ダメな自分」もいる。「悪い自分」もいる。「矛盾している自分」もいる。
それを理解できているだけで、世の中の見え方は、生き方は、随分変わってくるんじゃないかなぁ、と最近よく考えるようになりました。
怖いな、と思います。
私の心の中にも、「悪いやつ」が住んでいて、よなよな甘い誘惑をしてくるのです。
「仲間をつくれ」と。
自分に共感してくれる人を集めて、自分の主義主張を通してみろ、と。
そう、人には人の、さまざまな意見があっていいと言っておきながら、私自身もまた、そう主張することによって味方を増やそうとしている。自分と同じ意見の人を見つけて取り込もうとしている。
けれども、そうせざるをえないのです。
この気持ち悪いという感情を、違和感を消化するためには、このモヤモヤを共有できる別の誰かを見つける以外に方法がないからです。
ああ、だからこそ人は、火種に集まろうとしてしまうのかもしれません。
仲間がいるから。
「嫌い」という気持ち悪さを、感情を共有できる仲間がいることがはっきりしているから。
炎上する火種をさがしてる。
今日も、明日も。無意識のうちに。
*この記事は、天狼院スタッフの川代が書いたものです。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになると、一般の方でも記事を寄稿していただき、編集部のOKが出ればWEB天狼院書店の記事として掲載することができます。
http://tenro-in.com/zemi/54525
❏ライタープロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
東京都生まれ。早稲田大学卒。
天狼院書店 池袋駅前店店長。ライター。雑誌『READING LIFE』副編集長。WEB記事「国際教養学部という階級社会で生きるということ」をはじめ、大学時代からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、ブックライター・WEBライターとしても活動中。
メディア出演:雑誌『Hanako』/雑誌『日経おとなのOFF』/2017年1月、福岡天狼院店長時代にNHK Eテレ『人生デザインU-29』に、「書店店長・ライター」の主人公として出演。
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