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チーム天狼院

アメリカ留学してるのにパーティーにも行かず日本語で80ページの自伝を書いたのは、《川代ノート》


earlham

あれからもう一年経ったのかあ。
年を取るほど時の流れは早くなるわよ、と母からよく言われてはいた。高校生の頃なんて、「ふーん、そんなもんかねえ」と特に実感もなく、ただ子供の頃よく見ていたアニメや漫画の主人公の歳を追い越して、うわ、もうセーラームーンより年上だ、とか驚く程度だったのに。

最近の時間の早さはなんだ。この前まで夏だったのに、もう次の夏がくるのか。もはやいつ自分が秋冬春を通り過ぎていたのか思い出せない。ここ一年は就活していたこともあって、忙しさにかまけて季節の移り変わりを感じる間もなく気付いたら夏である。もう2014年も半分を過ぎた。あれ、カウントダウンしたのはせいぜい一ヶ月前じゃなかったかしら?ととぼけても無駄だ。あの瞬間やあのときの自分は二度と戻ってこないのだという事実が、ときどき信じられなくなってしまう。

この前帰国したと思ってたのに、もう一年たったんだね・・・。留学していた時の友人とよくそんな話をする。

海外にはほとんど出たことのなかった私が、アメリカで約10か月生活する。なかなかチャレンジングな出来事だった。私の学部では生徒は全員留学が必須で、カリキュラムに組み込まれていたから、周りの友人もみんな同時にそれぞれの地へ旅立って海外で勉強をした。だからみんな当然のように留学に行き、当然のように帰国して、また当然のように日本で勉強する。みんなが当然のようにやっていたことだったので疑問も浮かばなかったけれど、よく考えればすごいことだったなあ、と今になって思う。思い出すたび、ついつい感傷に浸ってしまう。

留学先は誰も知らないような小さな街だった。なにがあるところ?と聞かれたら、なにもないことが特徴かな、といつも答えていた。あるものといえば、1000人くらいしかいない小さな大学と、家と、大豆畑と、ウォルマートくらい。遊ぶところもとくになし。学校にいるしかなかった。

今まで東京生まれ、東京育ちで、田舎で暮らしたことがなかったから、一年くらい田舎で暮らしてみるのもいいかな、勉強に集中できるし、と思って選んだのだけれど、完全に田舎を舐めていた。自分が知っている田舎のレベルを逸脱して田舎だった。よく言えば、穏やか。悪く言えば、退屈。
けれど自分の勉強に集中できる、というのは確かに予想通りで、暇で暇で仕方ないので勉強する、という環境に置かれたのは初めてだったけれどよかったと思う。寮だったのでルームメイトがいるとはいえ一人暮らしだから、自分でなにもかも管理しなければならなかったし、だからこそ自由だった。なにをするにも自分ですべて決められるし、なにしろ時間がたくさんあったので、自分と向き合うにはとても良い環境だった。授業の勉強はそこそこに、のんびり調べものをして自分オリジナルの教科書を作ったり、ゆっくり本を読んだり、じっくり友達と話し合ったり。あれほど自分のことばかり考えられる時間はもう二度とないと思う。

とはいえ、留学じたいが楽しかったかと聞かれると、はっきり言ってあまり楽しくはなかった。もちろん楽しいこともたくさんあったけれど、辛いことの方がその倍くらいあった。だから一年後に再会した友人たちが「留学本当に楽しかった、もっと長くいたかった」と言っているのを聞いて、少し、いや、かなり羨ましく感じてしまった。だって私は一刻も早く日本に帰りたくて、学期が終わってすぐの便で帰国したくらいだったのだ。

何が辛いかと言えば、自分と向き合わざるを得なくなってしまったことだった。

今だから言えることだけれど、留学に行く前の私はかなり傲慢だったと思う。周囲の人間皆を見下していた。まるで自分は全てを知っているかのように思っていた。誰よりも人格的に自分が優れていると思っていた。実際それらはすべて、自信がないことの裏返しだったのだけれど。

誰よりも賢いし、
誰よりも性格がいいし、
誰よりも優しいし、
誰よりも人望がある自分。

理想は理想でしかないのに、現実の自分を素直に見つめることはせず、理想の自分が本当の自分だと思いたかったのだ。だから周りの人間みんなを見下していた。留学に行っても、表面上は「理想」の自分という皮をかぶって愛想よくしていたけれど、内心では競争心をメラメラ燃やしていた。

自分が誰よりも外国人の友達が多いと思いたかった。誰より英語が話せると思いたかった。誰より留学生活を充実させていると思いたかった。だからFacebookに外国人と映っている写真ばかり載せたりした。

そんな自分の薄っぺらさにふと気が付いたのは、留学してから三か月くらいたった頃の連休のときだった。
肩がどっと重いのを感じた。完全に疲れていた。
私、なにしてるんだろう。自分が完全に孤独なのを感じた。
アメリカにいるのにまわりの日本人と張り合って、肩肘はって、何に対して頑張ってるんだろう。何のために頑張ってるんだろう。なんでこんなにFacebookにかじりついてるんだろう。そんなことしても、一時的に不安が満たされるだけで、別に心から楽しいわけでもないのに。何になるわけでもないのに。
そもそも私、何のためにアメリカに来てるんだろう。

自分のことが全く信じられなくなった瞬間だった。留学生活にも慣れてきて緊張の糸が切れたとき、一気に気力がなくなり、連休にもかかわらず、多くの生徒たちが旅行に行ってがらがらになった寮で、一人静かに何もせずに過ごしていた。部屋に閉じこもり、必要最低限のこと以外は一切せず、最低限のものしか食べず、ただ寝たり本を読んだりボーっとして過ごした。本当になにもしなかった。

ひとりで部屋にいると、世界に自分しかいないような気がした。何を考えても自由だった。ひとりは楽だった。他人のことを気にしないのは楽だった。もう二度と誰にも会いたくないと思った。部屋から出たくない。英語もしゃべりたくない。勉強したくない。逃げ出したかった。誰も私を知らないどこかへ行きたかった。

かといって日本に帰るわけにもいかなかった。だからこそ母に猛烈に会いたかった。私の弱音を全部受け入れてほしかった。あたたかい腕で抱きしめてほしかった。駄目なさきでもいいんだよ、と言ってほしかった。スカイプなんかじゃなく、直接会って声をかけてほしかった。母の大きな愛を欲していた。自分を必要としてくれる人がいると思いたかった。

深夜にベッドの上で大泣きした。自分が自分でいることが嫌だった。自分をやめてしまいたい、と思った。本当に自信がなかった。私は留学先で支え合っている日本人の仲間にすら勝ちたいと思ってしまっていたのだ。いつも私の話をきいてくれて、心細いときにはそばにいてくれる友人のことすらも蹴落とそうと思ってしまっていた。そんな自分のことが心から嫌いだった。現実逃避したかった。思いっきり遊びたかった。海とかに行きたかった。

でももちろん山と畑に囲まれた州からすぐ行けるところに海なんかない。カラオケもない。遊園地もない。ゲーセンもない。本屋もない。映画館もない。日本の友達もいない。家族もいない。サークルもない。
なにもなかった。現実逃避なんて出来なかった。その苦しみから逃げるためには自分で考えるしかなかった。支えてくれ、相談にのってくれる大切な友人はいて、彼女に本当に救われたけれど、それでも最後には自分で乗り越えなければならない問題だった。

泣きながら考えて考えて考えて、そして母に昔言われたことを思い出したときようやく、自分と他人は全く違う人間なのだということを認めようと決めた。他人と比べたって仕方がない。私には私のいいところがあるし、人には人のいいところがあるのだ。すべてにおいて勝とうとするなんて馬鹿なことだった。

金子みすずの詩にさ、「みんなちがって、みんないい」ってあるでしょ。お母さん、あれ大好き。本当にそうだよ。みんな違うけど、それでいいの。さきはさきでいいんだよ。完璧じゃなくてもいいんだよ。

母が私が落ち込むたびにそう言ってくれたのををふと思い出したのだった。そうか、そういうことだったのか。母は私が他人と比べてしまうこと、完璧ないい子でいなきゃいけないと思い詰めてしまうこと、すべて見抜いていて、私を認めてくれていた。そのとき母の言わんとしていたことがようやく分かった。

それが第一歩だった。それでも自分を嫌いなことには変わりなかった。無理して人のいいところを見つけようと余計に力が入ってしまったりした。けれどそれでも少しずつ変わっていくことが出来た。自分の駄目さと共存していこうと思えるようになったのだ。

自伝を書かなきゃ。

そう直感的に思ったのは、留学残り三か月くらいの頃だった。徐々に変わっていくことは出来たけれど、まだ自分と向き合い切れていないと思った。今のうちに自分を知らなければ、ずっと知らないままだと思った。
お互いが苦しかったときもずっと相談し合い、支え合ってきて心から信頼できる友人とともに、自伝を書いてお互いに見せ合うことに決めた。赤裸々に隠さず、ありのままの今までの自分を書く。嫌なところもすべて書く。嫌な思い出、辛かった思い出が蘇ってきて、泣きながら書くことも多々あったけれど、それでも帰国ギリギリに書き終え、お互いに見せ合った。恥ずかしくてたまらなかったが、それで本当に自分を知る努力をしたと、少しは自信をつけて帰ることが出来た。彼女の支えがなければ私は崩壊していたかもしれないと、今でも思う。

せっかく留学しているのに、わざわざ日本語で自伝を書くなんて、ただの逃げじゃん。もっとパーティー行ったり、外国人と絡むように頑張ればよかったのに。

何人かからそう言われた。おそらく私を見ていた人の多くもそう思っていただろう。帰国してから、留学先で自伝書いてた、と言ったときも、ほとんどの友人にはなにやってたの?英語勉強しろよ、と笑い飛ばされた。

たしかにアメリカでわざわざ自伝を書くなんて、ただの逃げだったのかもしれない。英語がやりたくないから、外国人の友達が出来ないから、言い訳していただけかもしれない。実際に英語が話せなくて楽しくなかったのは事実だったし、積極的に外国人と仲良くなろうともしていなかった。だから逃げだと言われても何も言い返せない。

けれど私にはああするしかなかった。もう一度留学に行き直したとしても、私は同じ行動をとると思う。自分のことを考えつくせる期間はあのときしかなかったし、あそこで思いきり苦しんでいなければ、自分のことを嫌いになっていなければ、もっともっと傲慢な人間になって、多くの人を見下していたかもしれない。

傲慢でい続けることに比べたら、外国人とパーティーしないことなんてどうでもよかった。遊びならいつでもまた外国に行けばできる。英語の勉強だって日本でもできる。スペックなんてあとからいくらでもついてくる。
でも人格というのは、あるタイミングを逃せばずっと変わらないかもしれない場合もあるし、自分と向き合うことは、一度逃げればどんどん逃げ癖がついて、一生流される人生になってしまう。私にとっては英語よりもそれが一番大切なことだった。それだけの話だ。

もちろん留学先で英語を一生懸命勉強して、外国人の友達をたくさん作って国際交流をする人を批判しているわけではないし、むしろ私は本気で尊敬している。自分が出来なかったことだからなおさらだ。自分ももっとその方向に頑張ってみてもよかったかもしれないと思うこともよくある。

でもみんなが評価する道を選ぶ必要は何一つないのだ、と思った。みんなが正しいと思っていることが、自分にとっても正しいことだとは限らない。他人を過信してはいけない。私は他人のために生きているんじゃない。最後に信じられるのは自分だけだ。何をやったって自分が責任をとらなければならない。あとから後悔なんてする資格もない。
考えつくした結果、自分にとって正しいと思った行動は、自伝を書くことだったのだ。

「二十歳の自伝」は約80ページにも及んだ。しばらくは恥ずかしくて読めないと思うが、私のすべてがつまっている、一生の宝物だ。

そんなことを思い出しながら、こうして一年後も自伝みたいな文章を書いているなんて不思議だと思う。結局私は自分のことを知るのが好きなのかもしれない。
六十年後も、いまだに自伝を書いているなんて不思議、時がたつのって早いわねえ、と笑いながら、筆を走らせていたら素敵だなあ、なんてぼんやりと思う。

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2014-07-07 | Posted in チーム天狼院, 記事

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