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被災者の朝 台風19号床上浸水

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:谷中田 千恵(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
結局、一睡もできなかった。
 
昨夜、避難所から自宅に戻ると、床という床は、たっぷりの泥に飲み込まれていた。
被害が少なかった和室のソファに横になったのは、午前二時半をまわった頃だ。
 
TVを消して、目を閉じるが、いろんなことが頭をよぎる。
 
これから先の生活はどうなるのだろう。
保険は水災の保障を外してしまっていたはずだ。
ここに住むことは、できなくなるのかもしれない。
住宅ローンは、払い続けられるのか。
 
心配事は、どんどんあふれてくるが、頭がついていかない。
朝が来たら何をするか、思考の底から、ゆっくりとたぐり寄せる。
 
陽の光が、障子にあたり始めて、まず、父親に電話をした。
床上まで水が来たこと、でも、私の体は元気なことを伝えた。
父は、台風の影響で飛行機が運休となり、今日はそちらに向かえないと言った。
 
いつも大声で話す元気な父だが、小さな小さな声で、
「できるだけ早く、実家に帰っておいで」
と言ってくれた。
「うん」と返事をし、電話を切ったが、部屋にあふれた泥を見ると、なんとなく、このままここを離れることはできなかった。
 
ひとまず床を水洗いしようと、思い立つが、ホースなどの道具がない。
外の水栓から、ブリキのバケツに水を汲んだ。
 
玄関から一番遠い、トイレから床に水をまく。
最終的には、玄関から、泥を流せるように、玄関方向へ水をむけた。
勢いをつけると、泥はさっと流れる。
どんどん水を汲んで、どんどん水を流した。
 
バケツの勢いだけでは、限界があり、庭の納屋から草刈りの用のカマを持ってきた。
草を刈る要領で、泥をかき集めようとするがうまくいかない。
ばたばたとカマが、床のタイルの上で跳ねていた。
 
作業をしている間は、安心だった。
この先のことも、不安も、悲しさも考える隙がなかった。
夢中で体を動かすと、トイレや洗面所の床にたまった水は、少しずつ透明に変わり、床のタイルが見えてきた。
 
今度は、ダイニングルームだ。
床に勢いよく水をまく。
 
泥の中、水がかかった、その部分だけ、きれいなチークの木目が現れた。
 
その瞬間、胸の中に、わっと大きな波が押し寄せる。
昨夜、泥にあふれた自宅を見たときにさえ流れなかった涙が、ふいにあふれた。
 
チークの床は、私の小さな誇りだった。
 
昨年、曽祖父が建てたこの古屋に手をかけたが、独り住まいなので、大きな住宅ローンは組みたくなかった。
 
壁は、下地までは大工さんに頼み、仕上げは、自分でペンキ塗りをした。
キッチンだって、ハウスメーカーの古い展示場を解体する際に譲り受けたものだ。
工事内容を最低限に抑えた、ケチケチリフォーム。
 
それでも、床にだけは、こだわった。
チークは、赤みのかかったきれいな茶色をしている。
一度、その色に囲まれて、生活をしてみたかった。
 
無垢板で、塗装のされていないチーク材は貴重なため、とても高価だ。
水道工事や下水工事が、当初の計画よりも予算がかかり借り入れを増額することになったが、最後まで床の予算は削ることはできなかった。
 
工事中、仕上がった床を見て、ここは私の城だと、とても嬉しくなったことを思い出す。
 
一度こぼれ始めた涙を、止めることは難しい。
こんなことで泣くのは、悔しくてたまらなかった。
肩口で、頬をこすりながら、バケツに水を汲んだ。
 
汲みながら、床がきれいになるまでは、家を離れないと決めた。
 
決めたはいいが、作業は途方も無いものだった。
バケツに何度も水を汲んだが、終わりが見えない。
遠慮や恥ずかしい気持ちは、一度捨てようと、SNSやLINEで、応援を呼びかけた。
 
ありがたいことに、すぐに友人が、訪ねてきてくれた。
来てくれた友人は、その友人の友人に声をかけていた。
 
はじめは、一人きりの作業だったものが、あっという間に4人になり、8人になり、大きな集まりとなった。
 
友人たちは、こちらが何も言っていないのに、めいめいに必要な道具を持参して来てくれていた。
ある人は、ホースやブラシを、別の人は、お昼ご飯をという具合に、欲しいと思う前に満ち足りていた。
 
睡眠不足からか、全く頭が働かないので、どんどん行動を起こしてくれることがありがたくてたまらない。
 
若い人が多かったせいだろうか、ワイワイガヤガヤと笑い声が絶えず、賑やかな中で作業が進んだ。
なんだか、それがすごく楽しくて、一緒になってゲラゲラと笑った。
 
家の中の泥は、みるみるうちに洗い流され、濡れた洋服や家具は、次々と外に運び出された。
 
夕方には、先輩が、大きなスコップがついたユンボという重機を運んで来てくれた。
 
先輩は、運転歴30年だからなと、スイスイと庭の泥を集めていく。
あまりに華麗でやさしい、ハンドルさばきに、作業の手を止めて、みんなで見とれた。
動画を撮る人もいて、泥が集まるたびに、拍手と歓声が起こった。
 
私は、その横で、また涙を流していた。
今度は、感謝の気持ちの涙だった。
 
こんなに、たくさんの人が、助けてくれることが、楽しい気分にさせてくれることが、ありがたくてたまらなかった。
 
陽が暮れる頃には、室内も庭の泥にも作業の目処が立っていた。
みんなで、次に会う約束をして、大きな声で笑って解散をした。
 
すぐさま、両親へ報告の電話をかけた。
 
一日の出来事を、まくし立て、
「全然、大丈夫だよ!」を何度も繰り返した。
 
実際、心の底から大丈夫だと思っていた。
この調子なら、大丈夫。
すぐに、いつもの生活が帰ってくる。
 
疑う余地はどこにも感じられなかった。
 
一通り、電話を終えた私は、和室のソファに横になった。
疲れもあったのか、あっという間に意識はとおのいた。
 
 
 
 
***
 
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2019-11-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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