プロフェッショナル・ゼミ

願望を実現するために間違えてはいけないたった一つのこと《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:あおい(プロフェッショナル・ゼミ)

「今日、私と一緒に遊びたい人!」
「はーい」
私の周りにいた女子が一斉に手を挙げた。

小学校2年生のことだった。当時の担任の先生が、なぜか私のことをものすごく褒めてくれていた記憶がある。それまで人様にそんなに褒めてもらったことがなかった私は、先生のおかげですっかり自信過剰になり、次第にこうに思うようになった。私はクラス一の人気者だと。

私はいつも輪の中心にいた。いや中心にいないと気がすまなかった。男子にもけんかをふっかけ、誰にも負けないという自信があった。そんなやんちゃな私だったからケガばかりしていた。壁に激突して欠けた前歯は今もそのままだ。

ある日の休み時間、私は鉄棒から落ちた。鉄棒の上に座ったところからでんぐり返りをして降りようとした時に、なぜか手を離してしまったのだ。後頭部を思い切り打って、その場にうずくまっていた。友達が伝えてくれたのか、担任の先生がびっくりして飛び出してきた。

「大丈夫? なんで落ちたんだ?」
そう聞かれた私は、とっさに「誰かが突き落とした」と答えてしまった。

先生は私の言葉を聞いて、何も言わずに私を保健室まで連れて行ってくれた。幸い大事には至らず、私はそのまま教室に戻った。授業が始まったとき、いつもの穏やかな先生とは明らかに様子が違っていた。
「山田さんが鉄棒から落ちました。彼女は誰かに突き落とされたと言っています。もしこのクラスの中にいるのなら正直に言いなさい!」

私は驚いて声が出なかった。まさかみんなに聞くなんて!
クラス中が沈黙していた。当たり前だ。だって私一人で落ちたのだから。軽い気持ちでついた嘘が、大事になってしまった。でも今更この状況で、自分が手を離したから落ちましたなんてカッコ悪くて言えるわけない。だって私はクラス一の人気者なんだよ。

この重い沈黙をなんとか破りたいと思った私は、苦しい言い訳をした。
「このクラスの中にはいないと思います。きっと他のクラスの人です!」
その一言で、私が嘘をついていると先生が察知したかどうかはわからない。が先生はそれ以上追求することをやめた。私はホッとしていた。すると私の斜め後ろにいた男子が、私だけに聞こえるような声でこういった。
「お前、自分で落ちたくせに」
私は彼をにらんだ。余計な事を言うんじゃないよ、と目で牽制した。

その事件以降、2,3日はおとなしくしていたものの、すぐに私は懲りることなくわがまま放題し続けていた。みんなが私に合わせてくれる。学校が楽しくて仕方なかった。通知表の教師からのコメント欄にはいつも「活発です」の文字が踊っていた。私は先生からそう思われていることが嬉しかった。言わなくていいのに、通知表の内容を自慢げに語ってしまう、そんなやつだった。

楽しかった2年生がおわり、3年生になった。始業式の日はクラス替えだ。運動場に全員がならび、担任の先生が順番に名前を呼んでいく。全員のクラスが決まり、私たちはそれぞれの新しい教室に向かってぞろぞろと歩きだした。残念なことに、2年生で私のまわりにいた女子とはほとんど離れてしまい、同じクラスになったのは私を含めて3人だけだった。なんか寂しいねと言いながら教室に向かった。

教室に到着すると、前の黒板にこう書いてあった。「今日は自分の好きな席に、好きな友達と座ってください」座席は2人ずつ座るようになっていたが私たちは3人。ということは、二人のうちの一人が私と一緒に座って、残った方は可愛そうだけど一人で座ってもらうしかないよな、と当然のように思っていた。だって私は人気者なんだから! 二人とも私と一緒に座りたいはずだから。

ところが次の瞬間、思ってもみなかったことが起こった。教室に入るやいなや、私以外の2人が、一番奥の空いた席めがけて一目散に走って行ってしまったのだ。
私は彼女たちを見ながら呆然としていた。どういうこと? なにかの冗談? 私と座りたかったんじゃなかったの? 彼女たちに詰め寄って今すぐ理由を聞きたかったけれど、周りは知らない子ばかり、そんな中で騒ぎを起こすことはしたくなかった。私はしばらく彼女たちをぼーっと眺めていたが、仕方なく彼女たちから一番離れた窓側の空いた席に一人で座った。するとほどなくして、女の子が一人やってきて私の隣に座った。私は彼女見て目が点になった。彼女のことはみんなが知っていた。それほど有名だったのだ、変わったやつという意味で。あの子はへんな子だとよそのクラスからも言われてしまうほど、学年全体から嫌われていた子だった。

そんな子が、私のとなりにやってきた。クラスで一番人気者だと思っていた私の横に、学校で一番の嫌われ者がやってきたのだ。

私は一番奥の席に座っている彼女たちに向かって、「助けて」と目でサインを送った。
「私はこんなところに座るのはいや。助けて。私を迎えに来て」
彼女たちは私を哀れむような目でじっとこちらを見ていたが、決してこちらにやってくることはなかった。

その時私は理解した。人気者だと思っていたのは自分だけだったのだ。大きな勘違いだった。私には友達なんて一人もいなかったのだ。

恥ずかしかった。とにかく恥ずかしかった。一刻も早くこの場から消えたかった。昨日まで人気者だった私が、このぶざまな姿はなんだ。8年間ではじめて味わった最大の屈辱だった。
なぜ席を決めてくれなかったの? そしたらこんな恥ずかしい思いをすることなかったのに。自由に座りなさいと決めた先生を恨んだ。天国から地獄へと突き落とされた気分だった。

次の日、学校に行くのがほんとに辛かった。が、休むことはできない。母に相談したところで行きなさいと言うだろう。母はそういう人だ。わかっている。
重い足取りで学校に行った。学校では誰とも口をきかなかった。休み時間は一人でトイレに隠れていた。早く終わってくれ、それしか考えてなかった。

始業式から3日間はがんばって学校に行った。そして4日めの朝のことだった。
「頭が痛いねん」
もちろん仮病だ。体力的には何の問題もなかった。けれど精神的には限界だった。
母は気づいていたかどうかわからないけれど、私の辛そうな姿を見て「じゃあ休みなさい」といった。ホッとした。とりあえず今日は行かなくていい。布団の中にいられることが最高にしあわせだった。

とはいえ、2日続けてズル休みはできない。次の日はまた重い気持ちを引きずって学校に行った。助かったのは、昨日のうちに席替えがあり、男子とペアで座ることになっていたことがせめてもの救いだった。

私を裏切った彼女たちは、もう私に声をかけてくることはなかった。新しいクラスで、私は人が変わったように大人しくなっていた。女王様気取りで先頭に立つこともなく、できるだけ目立たないようにひっそりと過ごしていた。活発という文字はどこにもなく、なるべく存在を消すようにしていた。こんな状況でも相談できる友人や兄弟は一人もいない。私はひとりぼっちだった。

それでも学校にはいかなければならない。正直、行くのが嫌だった。
病気になったら、学校に行かなくて済む。
仮病じゃなくて、本当に病気になったら……行かなくて済む。
そんなことばかり考えていた。

「明子! 明子!」
遠くで母の叫ぶ声がする。
「大丈夫?! 起きて! 寝たらあかん! 起きて!」

このまま死んでいくのかな、私……
意識が遠のいていく……

目が覚めたのは救急車の中だった。母の顔が見えた。
「ああ、よかった! もう大丈夫やから」
母は泣きそうになりながら微笑んでいた。

私はどうやら夜中に痙攣を起こしたようだった。病院についた時にはすっかり正気になっていたけれど、原因を調べるために検査が始まった。血液検査、脳波、心電図、調べられることは全て調べた。家に帰るころにはもう夜があけていた。

その日は、当然学校を休むことになった。仮病じゃない。本当に病気なんだもん。大腕を振って休めると思った。

その翌日も学校を休み、改めて検査の結果を聞きに病院に行った。
検査の結果は「異常なし」だった。両親はとても安堵していた。

痙攣を起こしているのに、どこも悪くない。私はそれが不思議だとは思わなかった。むしろ納得の結果だった。それよりもなによりも、後ろめたさなく学校を休む理由ができたことが嬉しかった。

私はその日からすっかり病人になった。私は体が弱い人、そう思い込んでしまった。朝起きてちょっとでもしんどいと思ったら、頭がフラフラするといって学校を休んだ。学校にいっても気分が悪いといっては保健室で寝ていた。クラスの子たちも、だんだんと私のことを体の弱い子だと思って気を使ってくれるようになった。

ところがそう都合のいいことばかりではなかった。
原因がわからないということは、はっきりした治療法もないということである。主治医は現状できる治療法として、痙攣どめの薬を毎日飲むこと、年に2回血液検査をすることを私に課した。

私は薬を飲むのが嫌だった。どこも異常がないのになぜ薬を飲むのかがわからなかった。
「飲まなくてもいいんちゃうん?」私は何度も母に行ったけれど、母は許してくれなかった。薬よりも辛かったのが血液検査だ。私にとって注射は恐怖でしかなかった。できれば一生したくないと思っていた。皮膚に針を刺すなんて尋常じゃない。しかも子供の血管は細くてなかなか採血ができない。なのに最初に当たったのが経験不足な看護師さんだったのか、右手に針をさして失敗し、左手にさしてもだめだったときは、もう本当に泣きそうになった。最終的に手首にさしてやっと採血できたのだけれど、その時ばかりはなぜこんな目に遭わなければならないのかと、やり場のない怒りと悲しみでいっぱいになった。

そうしているうちに4年生になった。今度の担任は、元気で前向きな若い男の先生だった。彼のおかげで私は自分の新しいポジションを見つけ、だんだんと学校が楽しくなってきた。新しい友達もできた。もう大丈夫、私は病人じゃない。普通の元気な子供だった。ところが薬は飲み続けなければならない。血液検査も毎年続けなければならなかった。なぜなら、私がいくら大丈夫だといったところで医学的には根拠がなく、治療をやめるという選択権は私にはなかったのだ。

それから私は、こんな薬いらないのにと思いながら毎日薬を飲み続け、必要ないのにと思いながら年に二回の辛い血液検査を受け続けた。

「今日で診察は終わりです。元気になってよかったね」
「長い間、お世話になりました」
私は最初から最後まで主治医として面倒を見てくださった小児科の先生に小さく頭を下げた。私は20歳になっていた。

なぜあの時痙攣を起こしたのか? 原因は今でもわからない。けれど今になって思うことがある。あの時私はどうしても学校を休みたかった。病気になれば学校を休めると真剣に思っていた。もしかしたら私は学校を休むために、「病気になる」という手段を利用したのではないか? 「病は気から」というように「病気になれば休める」という思いが痙攣という病気を作り出したのではないか? そう思うようになったのである。

「病気になりたい」なんて普通は思わない。けれど「病気になってもいい」と思うほど、あの時の私は切羽詰っていたのだと思う。目の前の現実から逃げたかったのだと思う。
そうだとすると、私の願いは見事にかなったということになる。根拠はないけれど、そう考えるとつじつまがあうのだ。長きに渡る薬と血液検査というおまけはついてきたけれど。

そういえば30代のころ、「思えば叶う」とか「思考は現実化する」とか、そんなたぐいの本を読んだり高いお金を払ってセミナーに行ったりしていたけれど、そんな必要は全くなかった。なぜなら私はこんな小さい時にすでに、「学校を休むために病気になる」というかなり高度な願望をしっかりと実現していたのだから。ちょっと内容がまずかっただけで、願いはちゃんと叶っていたのだ。

願望なんてなかなか実現しないと思っていた。けれど願望は実現するのだ。大事なことは「何を願うか」それを間違えないようにするだけだ。
今やっと、長きに渡る血液検査の痛い思いが報われた気がする。

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