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メディアグランプリ

味噌汁食べて長生きしろよ。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:前田 政哉(ライティング・ゼミ平日コース)

右足の親指付け根に激痛が走った。
動けない。
大阪キタの繁華街、曽根崎商店街の入り口のところで歩くことができなくなった。急に現れた激痛に、どうしようもなく5分くらい立ち止まっていた。

「どうやって家まで帰ろうか」

東京の会社を辞め、地元の大阪に戻って行きていた私は、転職活動をしていた。会社の面接が終わり、ホッとして酎ハイを飲んだ帰り道。家までは電車に乗って1時間くらいかかる。その日は、痛みが少し落ち着くのを待ち、足を引きずりながら、普段の3倍くらい時間をかけて家路についた。

完全に油断をしていた。
もうすっかり治ったと思っていた「痛風」が再発した。
商店街の入り口で動けなくなった当時、私はまだ26歳だった。

東京でシステムエンジニアとして働いていた時は、夜帰るのが遅くなることが多く、ストレスを感じることが多い生活をしていた。ストレス発散方法は、お酒とランニングだった。

夜中の24時をまわった頃、24時間営業のスーパー西友で、買い物をすることが多かった。人影まばらな店内で、缶酎ハイのロング缶を3種類、買い物かごに放り込んだ。

主食は買いだめしているパスタで、ちゃんとしたご飯を作る気力もなく、レトルトのソースをかけて食べていた。寝るまでの数時間で缶酎ハイのロング缶を3本飲み干し、気絶するようにベッドに潜り込み眠っていた。次の日の朝は最悪な気分で目を覚まし、エナジードリンクを一気飲みして会社に出発するような日々を繰り返していた。

そんな生活をしていたが、運動はどちらかといえば好きな方で、時間があればランニングに出かけていた。仕事で疲れた金曜日の夜は、特に走りに行きたくなった。家に帰って来て、すぐにランニングウェアに着替え、走りに出かけた。

途中で歩いたりしながらだが、夜中の24時に家を出発して、朝の5時くらいまで走っていた。好きな音楽やラジオを聴きながら、夜通し走るのが好きだった。何も考える必要がなく、気持ちのよい疲労を感じることができた。

週末に運動はしていたものの、平日の不摂生が帳消しになったかと言われれば、そうではなかった。

血色の悪いサラリーマンたちが病院に集められ、会社の定期健康診断が行われた。周りを見渡すと、健康そうな人は数えるほどで、みんな疲れた顔をしていた。

問診では、「毎日残業で、たまに目眩がして……」と体調がよくないことをアピールするが、「疲れているのですね。ちゃんと睡眠をとって、栄養のあるものを食べてください。では次の人」と、少しくらいの体調不良はスルーされた。

健康診断の結果が郵送されてきたのは1ヶ月弱くらい後のことだった。その年の健康診断までは、いつもオールAの評価だった。しかし、見慣れないアルファベットが目に飛び込んで来た。

「D」

お酒の飲みすぎだろうか、肝臓の評価が悪くなっていた。
「本当にやばいのかもしれない」

結果を見た瞬間、血の気が引いた。
その時、私は25歳だった。

右足の親指付け根に痛みを感じていたが、長距離を走って、捻挫でもしたのかと思っていた。しかし、そうではないようだ。私は自分が「痛風」になっていることすら気づかずに、お酒を飲み続けていたのだ。

この時、人生で初めて、健康について考え出したかもしれない。

日頃、体重を測っていなかったのだが、1年で体重が10キロ増えていた。確かに、お風呂に入るとき、鏡に映る自分の体を見てみると、一回り大きくなったなと思っていた。それまで、細くてガリガリと言われることが多かったので、ちょうど良く体に肉がついて来たかなくらいにしか思っていなかった。

ストレスが溜まった時に、ポテトチップスを無性に食べたくなる時があった。そんな時は、170gの大きい袋を2つ買い、ひたすらポテトチップスだけを食べ、コーラで流し込む日が月1度くらいはあった。過剰に摂取したカロリーや、他の体に悪い成分は、体に蓄積していっていたようだ。

実家で暮らしていた頃は、母の作る料理を食べていた。祖父と祖母がアレルギーを持っていて、食べるものに苦労していた。それを見ていた母は、「健康は食べるものからだ」と言って、なるだけオーガニック食品を食べさせてくれた。

ヨレヨレの服を着て「うちはエンゲル係数が高いねん」と、贅沢をしない母が言っていたのを思い出す。母は食べ物に気を使って、私を育ててくれたのに、自分は体に悪いことばかりしていた。

31歳の今、私は結婚して妻と2人暮らしをしている。1人でいると、ろくなものを食べない私のことを神様は見ていたのだろう。私の健康のことを考えてくれる人を引き合わせてくれた。妻も「健康は食べ物から」といって、農家から野菜を直接仕入れてくるような人だ。

自分だけ例外というのはない。
不健康な生活をしていたら、やっぱり病気になってしまった。

痛風の患者数は100万人、予備軍は1000万人以上。
ガンの患者数は100万人。

自分は若いし大丈夫と思っていた。
多少無理しても大丈夫と思っていた。
だが、例に漏れず痛風になった。

思うのは勝手だが、なる時は誰だって病気になったりする。
妻は「長生きしろよ」といつも私に言って、自分で自分の症状すら気づかない手のかかる私に、野菜のいっぱい入った味噌汁を出してくれる。

妻の為にも、母の為にも、健康でいようと思う。

***

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2018-11-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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