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メディアグランプリ

鴇色の着物の記憶


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:黒崎良英(ライティング・ゼミ夏休み集中コース)
 
 
「いらっしゃい。よく来たじゃんけ」
 
 

その人は、方言の混じった言葉で、元気な声をあげる。
白地に薄い赤が入った鴇色の着物をきっちりと着こなし、品の良い姿で迎えてくれる。
そして家族の安否を気遣いながら、家の奥へと案内するのでした。
 
 
それが、母方の祖母の唯一の記憶です。今となってはもう随分と曖昧ですが、私は確かにその姿を覚えています。
 
 
しかし、です。これを言うと家族に笑いながら否定されるのです。
 
 
「おばあちゃんはお前が生まれた後すぐに亡くなった。赤ん坊の頃一回抱いてもらったこともあったけれど、覚えているはずがない」
 
 
そしてこう言うのです。それはお前がそうであってほしいという希望なのではないか、と。
 
 
果たしてそうなのでしょうか? もう一つ引っかかる記憶があるのです。
 
 
私は幼年期、長い入院生活を余儀なくされていました。
ある日風邪をひいてしまい、予定していた外泊も中止になりました。
仕方のないことではありますが、子どもだった私には、どうしても納得できません。しかしお医者様の言うことを聞く以外何もできないのも事実でした。私は悔しさを噛み締め、布団をかぶり、風邪が治るのを待たなければなりませんでした。
 
 
次の日の朝、驚くべきことに、熱はサッとひいていました。体も快調でした。私は熱が出ると、2、3日は寝込まなければ治らない体質だったので、これは自分でもとても意外なこととして受け止められました。
 
 
そして同日、面会に来た母から、祖母の死を聞いたのです。
 
 
「おばあちゃんが風邪を引き受けてくれたんだね」
 
 
家族はそう言い、私もその通りだと、素直に納得しました。そして心の中で、祖母にお礼を言い、お別れをしたのです。
 
 

こういう記憶が、確かにあるのです。
覚えているのです。
あの時の感謝も、鴇色の着物も、そしてその笑顔も。
それが証拠に、ほら、仏壇の中の遺影も……
 
 

仏壇の中の祖母は、モノクロの写真でした。澄ました顔ですが、笑っているようではありませんでした。
 
 
家族からは、私と祖母が交差した時間を否定されます。確かに冷静に考えてみれば父母の記憶の方が正しいに決まっています。私の記憶は、曖昧な幼な子の時代のものなのですから……
 
 
いったい、人間の記憶というものはどうしてこうも曖昧なのでしょうか? 正確でないばかりか、フィクションをノンフィクションとして記憶してしまう。自らが自らの記憶を捏造できてしまうのです。
 
 
夢で見たことを現実と思い、昨日の食事を改ざんし、今はいない人の性格をも作り上げて決めつけてしまう。
 
 
単なる物忘れならまだいいものの、自己防衛かつ現実逃避の産物ならば、記憶で作られた物や人もたまったものではありません。
 
 
お盆が来るたびに、そのことを思い出し、人間の記憶の残酷性を噛みしめてしまいます。
 
 

しかし、と私は家族の言葉を思い出しました。
 
 
「お前がそうであってほしい希望なのではないか」
 
 
その通りです。そしてそのことを否定してはいけないと思います。
確かに私の記憶の中の祖母は、私によって作られたフィクションであったかと思います。しかし、そのフィクションがなければ、私は「祖母に会っている」という安心感も、「祖母に助けてもらった」という感謝も、そして「私の祖母は鴇色の着物の似合う、とても品の良い人だった」という自慢も、私の心には芽生えなかったでしょう。
 
 
そう、記憶とは、故人にとってはいざ知らず、今を生きる人間にとっては、慰めであっても良いと思うのです。
 
 
ですから、記憶の曖昧さは、実は人間にとっての救いでもあるのかもしれません。あの人はどういう人だっただろう、これはどういうものだっただろう、それは、ああであってほしい、こうであってほしい、の裏返しでもあります。
 
 
したがって、それは嘆くべきことではなく、肯定的に相手を捉える救済であると思うのです。自分を肯定的に捉える慰めであると思うのです。
 
 
それが、今を生きる自分たちへの、なくなった人・物・事からのエールでもある、と言ったら怒られるでしょうか?
 
 
今年もお盆が終わります。我が家はいわゆる本家のため、大勢の親戚筋が休みを利用してやって来ます。もう祖母のことを知る人は、そう多くはありません。
 
 
仏壇から出した写真も、当然モノクロのまま。よく見ると、背筋をまっすぐにして、うっすらと口元に笑みをたたえています。白く見える着物も、きっとうっすらと赤が入った鴇色に違いありません。
 
 
その写真を見て、私は確信し、自信を持つのです。
 
 
「ほら、こんなに美しく品の良い祖母は、やっぱり私の記憶の中にあるその人そのまんまじゃないか」

 
 
 
 
 

***

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2019-08-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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