メディアグランプリ

長崎県外海(そとめ)が教えてくれた愛


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:ごんま(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「あ! お客さん、200円多いですよ」
2014年9月、長崎県外海地区。出津(しつ)文化村でバスを降りようとしたとき、運転手さんが慌てて言った。お金はすでに私の手から運賃箱に滑り落ちていた。
私は地方のバスが苦手だ。慣れない運賃表の解読が難しい。お釣りが出ないバスも多く、小銭がなければその場で両替しなければならない。後ろで人が待っていると、焦って頭が真っ白になる。今回も、「もういいや!」と適当にお金を入れてしまった。
私は、焦りや不安を感じやすい性格だ。混乱するとつい浅はかな行動をしてしまい、いつも周囲から怒られていた。
「またやってしまった……せっかく外海まで来たのに」
バスを降りて、自分を責める気持ちが膨らんだ。
 
長崎駅からバスで約1時間10分。外海地区の出津は、潜伏キリシタンの歴史を今に伝える集落だ。遠藤周作の作品「沈黙」の舞台として知られている。
出津文化村は、角力灘(すもうなだ)を見下ろすゆるやかな丘の上にある。明治15年に建設された出津教会堂をはじめ、複数の資料館等が集まっており、外海の歴史を学び、感じることができる場所だ。
 
潜伏キリシタンとは、禁教期にも16世紀に伝わったキリスト教の信仰を続けていた人々のことである。江戸時代の日本は、キリスト教を封建体制への脅威とみなし、キリシタンを激しく迫害した。火あぶり、穴吊り、雲仙地獄責め……。むごい拷問が繰り返された。
「なぜ人間は、同じ人間に対して、こんなに無情な仕打ちができるのだろう」
「多様性を認める時代ではなかったにせよ、『自分さえよければいい』という思いは、ここまで人間を残酷にするのか」
知れば知るほど、人間の恐ろしさと弱さに打ちのめされた。
 
「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです」
出津文化村にある「沈黙の碑」に刻まれた、遠藤周作の言葉。迫害の苦しみ、恐怖は、現在を生きる私の想像を絶する。
 
それでも、いつか堂々と祈り、大きな声で讃美の歌を歌えることを信じて、密かに信仰を守り続けた人々が潜伏キリシタンだ。聖画像やマリア像などを隠し伝え、共同体を組織して200年あまり信仰を維持してきた。資料館に残された潜伏期の信心具からは、彼らの強く、純粋な祈りが伝わってくる。
 
「どっから来たと?」
資料館の見学を終え、出津教会堂に向かおうとしたとき、地元のおじさんに声をかけられた。
「東京です。『沈黙』を読んで外海を知りました。クリスチャンではないんですけど、潜伏キリシタンの歴史に心打たれて……」
おじさんは少し驚いた後、笑顔になった。
「まあ遠いとっから……ありがとう。教会堂を見てくだされ。それと……ここまで来たら、ド・ロ様のこと、知ってもらいたか」
 
ド・ロ様は、明治初期の外海に赴任したフランス人神父だ。時代は、ようやく禁教が解かれた直後。当時の外海は、自然条件の悪さも影響して大変貧しい地域だった。ド・ロ様は人々のために、祈りの場、出津教会堂を建設した。外海の産業、医療の発展に生涯を捧げ、ド・ロ様が作った工場や福祉施設、農地は人々の窮状を救った。
「今でも外海の人たちは、ド・ロ様の思いば語り継いでるとよ……教会堂には、ド・ロ様の愛、苦しい時代を乗り越えて外海に生きた人たちの思いがつまっとる」
 
私は教会堂を見上げた。白漆喰の壁と低い瓦屋根。水色の素朴な扉。心を整え、入口に向かい、扉に手をかける。
中に入って、言葉を失った。
静寂。歴史の重みと、人々の祈りが染み込んだ空間。ただただ、圧倒された。
 
迫害の時代に散った命。長い長い潜伏期。
どうしてこんな苦しみがあるの? どうして祈ることすらできないの? 人間は残酷で、「自分さえよければいい」という弱さに負けてしまう生きものなのだろうか?
……いや、苦しみがあるからこそ、人間は人間を思いやり、愛し合うことができる。ド・ロ様のように、他者のために力を尽くして生きることもできる。
教会堂に満ちるやわらかな光。それは、愛が人間の弱さに打ち勝つと信じる、希望そのものだった。
 
バスを降り立った時に抱いた、自分を責める気持ちはすっかり消えていた。外海の風は、すべてを受け入れ、おだやかに包み込んでくれる。苦しい歴史を乗り越えた、揺らぐことのない愛に満ちた丘。いつか、また訪れよう。
 
帰りのバスに乗り込んだとき、運転手さんに声をかけられた。
「さっき多く払っちゃったでしょ。……帰りの運賃はいいからね」
驚いた。行きのバスと同じ運転手さんだったのだ。
外海の風が連れてきた偶然に涙があふれた。やっぱり、人は優しい。
 
焦りや不安を感じやすい自分の性格に、ずっと悩んできた。改善に向けた努力はもちろん必要だ。でも、弱さがあるからこそ、人の優しさに出会える。人の痛みもわかる。
「自分の弱さを忘れず、人を愛し、人のために自分の力を使えるようになりたい」
帰りのバスの中、私は願った。
 
2018年6月、出津の集落は、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に登録された。外海の人々が語り継いできた物語が、またひとつ花開いた。
あれから今年で5年。私も少しは成長しただろうか。外海の風が、「またおいで」と優しく語りかけてくれている気がする。
 
 
 
 
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2019-12-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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