あの水戸黄門が真っ先に印籠を出さない理由《陸奥亭日記》
記事:野田賀一(ライティング・ラボ)
「控えおろう! 控えおろう! この紋所が目に入らぬか!」
まだ小学校くらいの頃か、決まって月曜の夜20時からの1時間はじいちゃんの水戸黄門タイムだった。
じいちゃん子だった私は、何より一緒にテレビを見るのが好きで、時代劇に始まり、相撲、演歌、諸国漫遊記、地球の不思議発見、映画を見るなら『男はつらいよ』といった極めてお年寄りが好むようなものばかり見ていたことを覚えている。
だから、学校に行って友達がglobeとかTRFとか言って盛り上がっていても一切分からなかった。
同世代にしてみればある意味、浮世離れしたやつである。
しかも小学校の国語の時間では、先生から出る難しい漢字や文章、地名や雑学も全て片っ端から答えてしまう。
皆からは羨望の眼差しを受けていたのか、どうせあいつが答えるからと諦められていたのかは定かではないが、
しばらくして他の子が全く手を上げなくなったという。
よく質問を出す先生だったが、段々と質問が少なくなったような気がする。
まったくもって変わった少年である。
さて、そんなじいちゃんとのテレビタイムで、やはり一番好きだったのが冒頭の名ゼリフで有名な水戸黄門である。
この物語は、水戸藩主の水戸光圀が日本を漫遊し世直しをしていくという、完全創作のフィクションである。
1954年にブラウン管に初登場してから、半世紀に渡ってお茶の間で愛されている。
文句無しに日本のテレビシーンを代表する名作といって過言ではない。
その偉大さといえば、東北の頑固一徹オヤジの権化(ごんげ)のようなじいちゃんが唯一、屈託の無い少年のような笑顔になってしまう。
こういう表情も出来るのかと驚いたほどだ。
この番組を見た後のじいちゃんはスッキリとした顔をしていて、妙に優しかったことを覚えている。
だが、僕にはこの名作時代劇を見れば見るほど、悶々として仕方がなかったことがある。
「最初っから印籠出しちゃえば、事は片付くのに」
と、常々考えていたからである。なんとも味気無い少年だ。
ばあちゃんが、
「どうせ水戸のご老公様が勝つのは分かってるものをなんで見るかね」
と、それを言っちゃあおしまいよ的な言葉をじいちゃんに毎回言っていたこともあるかもしれない。
「そうそう、印籠出しちゃえば5分で番組終了でしょ」と。
まあ、さすがに自分までこんなことを言っては可哀想と感じ、じいちゃんには直接言ったことはない。
でも毎度毎度の予定調和的な展開には、はなはだ疑問を感じていた。
『何がこの番組の魅力なのか?』
この答えには、
『印籠をなぜ先に出さないか?』
という、問題が深く関係しているのだろうか。試しに仮説を幾つか立ててみた。
■仮説1『水戸黄門はドッキリ好きだから』
あえて悪事を見逃して盛り上げさせて、悪役のテンションMAXの時に、立ち回りで無双してコテンパンにやっつけて、最後の最後で「なんだよー!先に言ってよー!」的な場面を面白がっているとしたら、どうだろう?
確かに印籠を出した後に、『ドッキリ大成功!』
といったお馴染みのプラカードを出しても、しっくりくるほど展開が同じだ。
■仮説2『仲間をレベルUPさせたいから』
これはRPGをやったことがある方であればお分かりだろう。
主人公はパーティに必ず入るから、必然的に一番レベルがあがりやすい。
故に、無敵。だからこそ、他のメンバーのレベルをUPさせる為に敢えて出し惜しみをしているのである。
なんと出来たリーダーだろうか。
現代であれば、間違いなく上司にしたい有名人No. 1を獲得するかもしれない。
■仮説3『過程をトコトン楽しんでいるから』
どうせ勝つのは分かっているから、その過程を楽しんでいるのではないか。
「さぁ今回はどうなるかな?」
と当事者でありながら、傍観者でもあるのだ。
確かに水戸黄門が焦ってテンパっている姿を見たことは無い。
仲間への全幅の信頼もあるだろうし、時の最大権力の一族であるということの余裕かも知れない。
と、真面目にふざけて考えてみた。
どうせ答えは分からないから、どんな考え方の切り口があるかと探すのも楽しいし、
「これは面白い!」
と閃いた瞬間はすごく快感でもある。
うんうん。
こう考えると、もしかしたら仮説3が答えに一番近いのかもしれない。
この妄想自体がもはや真理ではないかとも思えてくる。
つまり、
『答えや結論は置いておいて、そこまでの過程を楽しむ。』
ということだ。
ひょっとしたら、これこそが水戸黄門の最大の魅力ではないか。
ものは試しで水戸黄門の設定を真逆にしてみる。
印籠を最初っから見せびらかし、『世直し』と書いた羽織を身にまとい、目をギラギラさせて笑い一切なし。
悪役は見境なくバッタバッタと斬りまくる。
どうだ、見事に面白しろさのカケラもない。
目的は達成しているのだが、なんとも味気ない。
うっかり八兵衛も出てこないし、猿飛佐助もクルクル回って登場しないし、由美かおるの入浴お色気シーンも出てこない。
加えて、江戸時代のあの賑やかさ、華やかさ、義理人情等も垣間見ることが出来る。
あのテイスト一つ一つが欠けることなく存在しての水戸黄門なのである。
結果が分かっていても、この水戸黄門の世界観の過程=ストーリーを楽しむために
じいちゃんは毎週欠かさずみていたのだ。
「そういえば・・・・・・」
と、フッとお馴染みのアレが頭をよぎった。
「落語も同じだ。」
同じ演目、同じオチだけれど、落語家によってそれぞれのテイストがあって、オチまでの過程が全く違っている。
それが落語の醍醐味である。
近いものでは、演劇なんかもそうだ。
同じ演目でも俳優さんによってまた違う味わいが出てくる。
ジャンルが違えば、料理とか旅行なんかも当てはまるかな。
料理番組や旅番組も決まって最後の目的があってその過程を放送しているが、やはり登場人物も異なれば、料理のレシピ、旅のルートは千差万別である。
これだけ世の中にありふれているのか。
もっとこう、誰にでも当てはまるものはないかな・・・・・・と考えてみた。
「人の人生も同じじゃないか」
そう。我々の人生を考えてみると、『生まれた』あとには、必ず『死ぬこと』が決まっている。
その限られた時間の過程を楽しむのが人生ということだ。
なるほど。合点がいく。
そう考えると、元々人間は過程=プロセスを楽しめる能力を持ち合わせているということになる。
つまり水戸黄門のパターンも人間の”業”(ごう)であり、性質や本質なのである。
だからこそ共感し、愛される。
陸奥亭日記【落語家が魔法使いだと思う理由】で書いた内容とまったく一緒だ。
長く存在し愛され続けるには、やはりそれなりの理由があるのだろう。
まさか、水戸黄門が印籠を先に出さない理由を深堀りしてみて、ここに辿り着くとはつゆにも思わなかった。
というか、普段こんなこと考えながら見るわけがない(笑)
この理由が分かった所で、誰にも話せないということが唯一の悩みである。
考えてみて欲しい。
日常会話でこんなことを話すタイミングもなければ、
「この前さ、水戸黄門が印籠を出さない理由について本気で考えたんだけど・・・・・・」
なんて、突然に話始めようものなら確実に変人扱いである。
どうも、僕の欠点は大衆に溶け込めないところにあるようだ。
これは立川談志が生前、高座であまりにもブラックジョーク過ぎたり、
とっぴな話すぎて会場の笑いが取れなかった時に、
自虐を被せて爆笑をかっさらっていた言葉だ。
ああ、やっと言えるタイミングが来たと今、したり顔で原稿を書いている。
だが、何より僕がしてやったりと思うのは、
印籠を先に出さない理由を延々と書いておきながら、
実は冒頭に印籠を出すセリフを書いている所である。
「やまだく~ん! 座布団一枚!」
お後がよろしいようで。
***
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