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火事の記憶と父親礼賛


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記事:スエミツヒロエ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
私が21歳の冬。2月の寒い、風の強い日だった。実家が火事になり、全焼したのだ。
 
火事にあうなんて、なんという災難だろう。そんなに誰もが体験できることではない。
 
もらい火だった。隣家に住んでいた、1人暮らしのおばあさんの家から出火したのだ。おばあさんには身寄りもなく、不幸にも、そのまま焼死してしまった。
 
私は、当時、東京の大学に通っており、都内で一人暮らしをしていた。
 
夜、電話が鳴ると、母からだった。
 
「弘江ちゃん、家が火事にあって、全部燃えちゃったのよ。あなたの成人式の着物も、取りに戻ろうとしたら、止められて。みんな燃えちゃったの」
 
火事? 全部燃えた? 私の頭の中は、あまりの衝撃に、真っ白になった。
 
母は真っ先に、私に着物のことを伝えた。母にとっては、それが一番の心残りだったのだろう。1年前の成人式で、着ることができたのだから、まだ幸いだったが、確かに残念なことだった。
 
火が回って、着物のことを思い出し、それだけ取りに戻らせて、と必死で家の中に入ろうとしたところを、消防士さんたちに、止められたのだそうだ。自分のことよりも、私の着物のことを心配してくれた。自分のことよりも、いつも人のこと、娘のことを考え、優先してくれる、そんな母らしい行動だった。
 
とりあえず、すぐに実家に戻ることにした。どうやって帰ったのか、全く覚えていないが、あわてて電車に飛び乗ったんだろう。
 
地元の駅に着いて、車で実家に向かう。近づくにつれ、胸がどきどきしてきたのを覚えている。どんな光景が広がっているんだろう。怖かった。私の実家は、酒屋をしており、遠くからその建物が見えた。その建物は、遠くから見る限り、いつもと同じ佇まいで、少し安心した。
 
もう火事はすっかり鎮火していて、騒ぎは収まっていた。酒屋の店舗部分は、半焼程度ですんで、外から見た限りでは、変わった様子はなかった。しかし、店舗の奥に、住居があったのだが、それは、きれいに焼け落ちていた。横に並んだ5軒の家が全焼だったという。大きな火事だった。
 
住居だった一戸建ての家屋は、すべて燃えてしまった。まだ、火がくすぶっていたが、本当にきれいに燃えてしまった。燃えてしまって、何が惜しかっただろう。ピアノ、成人式の振袖、子供の時からの写真、アルバム。もう手に入らないもの。
 
私は東京に住んでいたので、身の回りのもの、現在使っているものは助かった。そのかわり、思い出のものは私から失われてしまった。それは、普段、生活していると忘れてしまっているが、何かの折に深い喪失感を呼び覚ます。
 
父も母もその日から、被災者となった。着の身着のままで、焼け出された。市から提供された被災者用毛布や、近所の人たちからの差し入れで、急場をしのいでいた。
 
「本当に、自分が着ていたものしかないんだから、おかしなことよね。下着1枚だってないんだから」
 
母は嘆いていたが、父はあっけらかんとしていた。
 
「焼けちゃったものは、しょうがないよ」
 
そう言っては、飄々としている。
 
「でも悔しいじゃない。全部なくなっちゃったんだから」
 
「また、がんばるしかないだろ。隣のおばちゃんだって死んじゃったんだし。仕方ないよ」
 
うちの父はいつもそうなのだ。いつも、へらへらしている。こんな時でも。誰を恨むでもなく。
 
怒ったり、嘆いたり、愚痴を言ったりしているのが、ばからしくなってくる。
 
そういえば、私は父に怒られた記憶が全くない。無関心というのでもなく。本当に怒られた記憶がない。
 
そして、いつもふざけたことを言っては、真剣に話そうとしている母を煙に巻く。そのたびに、母は、「いいかげんな人ね」と不機嫌になるのだ。
 
それでも、へらへら笑っている。そんな面白い人なのだが、母に言わせると、困った人なのだ。
 
今回のことでも、父の振る舞いは、いつもと全く変わることがなかった。
 
そして、確かに、不幸のどん底で、暗くなろうと思えば、どこまでも暗くなれる状況にあって、父の、そのへらへらとした明るさは、家族の救いとなった。
 
火事の翌日だっただろうか。私の卒業した高校の学年主任と担任の先生が揃って、見舞いにきてくれた。
 
「大変でしたね」と神妙な面持ちで心配する2人に向かって、
 
「いや、しょうがないですよ」と父はへらへらと笑っていた。
 
後から、その時の話を先生方から、聞かされた。
 
「あの時のお前の親父さんはすごかったな。びっくりしたよ。火事にあって、普通なら悲しんでるのに、笑ってるんだよ。すごい人だよ」
 
その時は、そんなにすごいことだとは思わなかった。それがいつもの父なんです。
 
でも、今ならわかる。みんながそんなふうに不幸や悲しみに対応できないことを。それは、父の素晴らしい才能なのだということを。落ち込んでいても前に進めないことを。
 
母はことあるごとに私にこう言う。
 
「パパにそっくり!」
 
それは、褒めているのではなく、呆れているのだ。困った性格を受け継いでいるということ。いい加減で、だらしない。
 
でも、私は、父の素晴らしい性格だって、しっかりと受け継いでいる。
 
明るさや楽観主義や誰に対しても腹のたたないところ。
 
考えてみれば、私の美徳として、今、みんなが認めて、褒めてくれるところは、すべて父親譲りだったのだ。
 
私は年をとるにつれ、どんどん父親のことが好きになるのである。
 
 
 
 
***
 
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2020-07-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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