実録「金は天下の回りもの」
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記事:米村 彩加(ライティング・ゼミ夏期集中コース)
「ちょっといいですか?」
振り返るとポロシャツにチノパン、セカンドバッグを持った、まるでちょうど今ゴルフ場から飛び出してきたかのような品の良い年配の男性がいた。
当時、新宿の某百貨店で働いていた私は、反射的に接客モードONになった。
「どうしましたか?」
「恵比寿へ歩いて行くにはどうやって行けばいいですか?」
「歩くんですか? ちょっと詳しい道はわからないですが、方向はあちらです。ただ、山手線に乗れば4駅ほどで着きますよ?」
なぜ歩くのか? 疑問に思いながら、最善策を提供しようと、自然と電車をおすすめした。
「電車に乗りたいのは山々ですが……今朝、大阪から新幹線で東京に来たばかりで。
実はその新幹線の車内でアタッシュケースを盗まれてしまいました。財布も携帯も全てその中に入れていたので恥ずかしながら手持ちがないんですわ。なので、恵比寿の友人を訪ね、お金を借りに行くところです」
年配の男性はとても悲しそうで、落ち込んでいた。その姿を目の前に、なんでセカンドバッグ持っているのに? それ何も入っていないの? という考えもなく、ただ「それは酷い! 大変だなぁ」と思った。
新宿から恵比寿まで、歩くとどの位かかるだろう……東京に住んでもう何年も経つのに、考えたこともない。
素直に気になったので話を聞きながらGoogle MAPで調べてみた。
「ここからなら5kmなので、1時間ちょっと歩くみたいです」
その日はまだ午前中の早い時間だというのに、日差しが強く、じっとしていても汗ばむ暑い日だった。
年配の男性では、こんな中1時間も歩くなんて無理なのではないか……知る術はないけれど、もしこの人に何かあったらきっと後悔するだろうな。
「よかったら、電車代位でしたらお出ししますよ」
思わず言ってしまった。
そして財布を開けて驚いた。
10円しか入っていない。
ここ最近でも稀に見るほど小銭のなさだ。
しかし、言ってしまった手前引くことも出来ない。
こちらを申し訳なさそうにみている男性を前に、しょうがないと自分に言い聞かせ1,000円札を取り出すことしかできなかった。
そのまま少し話していると男性は私の働く百貨店の社員が友人だと言う。働いているフロアを尋ねられ、必ず返すと約束をして去っていった。
しかし、何日経っても、何ヶ月経っても働いていたフロアに男性が現れる事はなかった。
その出来事を話すと、彼氏にはとても怒られた。
いいことをした気になっていた私は、そこで初めて「騙された?」と疑問を抱いたが、「もしかしたら何か事情があるだけかもしれない」と自分に言い聞かせていた。
そんなもやもやした気持ちで過ごしていた数日後、当時住んでいた都内某所の駅から家までの道を歩いていた時だった。
「ちょっといいですか?」
まただ! と思い振り返ると今度は初老の男性が立っていた。
「どうしましたか?」
気付くと反射的にまた尋ねている自分がいた。ただ、今回の私は、その前の出来事で少しだけ警戒力をアップさせている自信があった。
「今日は暑いね。仕事だったの?」
突然の世間話が始まった。
当然知り合いではない。
少し戸惑いながら話に付き合ったが、終わりが見えない。
どうやら昔この辺りを仕切っていた組の元幹部で、困ったことがあったら顔が効くから助けてくれるとのことだった。
本当かどうかは別として、なんかやばい。
助けてもらう義理もない。
5分ほど経ったくらいで意を決して言った。
「ありがとうございました。そろそろ帰ります」
そう伝えると男性は、おもむろにポケットに手を伸ばした。
まさか刃物? 拳銃? とフィクション好きな私は、全然現実的でない妄想にびびった。
しかし、そこから出てきたのは1000円札だった。
「暑いからこれで帰りにジュースとアイスでも買いな。じゃあね」
そう言って去っていった。
とてもにこやかに。
一瞬変な妄想でびびったことを反省した。
私の手元には1000円が残っていた。
「金は天下の回りもの」そのワードが頭に浮んだ。
お金はサービスや物に支払われる対価だ。
それが巡り、世の中をまわる。
思えば、私は何に対して1000円を払ったのだろう。
そして、手元にある1000円は何に対して支払われたのだろう。
まさか、実は私が1000円をあげた男性は、私に1000円をくれた男性に何か提供していて、私はただ2人のやりとりを繋ぐ回線だったのだろうか。
そんな現実的ではないことを考えながら、1000円札を握りしめコンビニに向かった。
ちょっとリッチにハーゲンダッツを買いながら思った。
これは結果的にだれのお金で買ったのだろう、と。
ただ、ひとつ言えることは、何かの対価ではないのに、お金がまわる瞬間があり、私はそこに立ち会った。という事実があるということだ。
「ちょっといいですか?」
街を歩くと何度かかけられるこの言葉。
あなたはこの言葉をかけられた時、どんな対応をしますか?
もしかしたら、それは普通では体験できない出来事の入り口かもしれない。
***
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