メディアグランプリ

国語嫌いな少年は、正論に同じ匂いを感じた。


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:川崎雄斗(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
今でこそ、文字を書くことを仕事にしていて、毎日読書の時間を設けるほど本が好きだけれど、昔は国語が大の苦手だった。
苦手というか、むしろ嫌いと言ったほうが近いかもしれない。
なんの役に立つかも分からないものに時間を割くのは、無駄だとすら思っていた。
それでも題材となる物語はどれも興味深く、読むのが楽しくてしょうがなかった。でもいざ問題と向き合うと、さっきまでのワクワクした気持ちが嘘のように萎んでいく。
どうせまた、間違える。否定される。
質問を見るたびに、そんな暗い気持ちが心を占める。
とくに記述問題は天敵で、願わくば「棒線①の発言から、山田さんの気持ちを推測して書きなさい」の文言は見たくなかった。
「自分が山田さんだったらどう感じるだろう?」と、精一杯想像して回答した答案用紙は、いつもバツがついて返ってくる。
小学生2年生くらいまでは、「そんな気持ちだったの? 嘘だー?」と思いながらも、模範回答を受け入れていたように思う。
けれど、誤答が増えるにつれて、「なんで、これが間違ってるのかわからん」と模範回答の理不尽さに怒りを覚えるようになっていた。
模範回答なんて、作者でもないどこかの誰かが、自分と同じように推測して考えた正解らしきものに過ぎない。
それなのに、「それが唯一の正義です! 他は認めません!」と押し付けられ、交渉の余地はない。
もしかしたら、先生に質問したり、塾に通ったりすれば、誤答のワケを教えてくれたのかもしれない。
でも、進研ゼミを頼りに一人で勉強していた自分には、模範回答だけが唯一の正解で、マルを付けるためには模範回答に書かれている単語を1言一句一致させなければバツも同然だった。
4年生に上がる頃には、100%正解だろうと思える箇所以外は、空欄のまま回答し、模範回答に書かれた無機質な文章を無感動に書き写すようになった。
そして最終的には回答することそのものに疲れ、「もうなんでもいいや、どうせ言ってもわからんし」と、話を聞いてくれない上司に心を閉ざすように、テスト以外では記述問題に回答することも避けるようになっていった。
 
最近、Twitterを見ていると、国語の先生に囲まれているような息苦しさを覚える。
タイムラインは”正論”という模範回答で溢れ、先生たちが誤答する生徒を鈍器で殴りつけているような光景が毎日繰り返されている。
一方、正論を叩きつけられた側はと言うと、学生の頃に誰もがそうであったように、押し付けられた正解に納得できず、机を蹴り飛ばすような勢いで自分の正当性を主張する。
本来、正義と悪は裏表で、立場によって変わることは誰もが知っている。
だから冷静に話し合うことができれば、お互いの主張から本当に大切なことを確認しあい、新しい回答に達することも可能なんだと思う。
けれど、一度自分の意見と相手の主張を切り分けてしまうと、騙し絵に絡め取られるように、自分の正論に固執してしまう。
国語の文章問題だって、正論だって、こちらの言い分も聞いた上で、「こうゆう側面はあるけど、それについてはどう思う?」と聞かれていたとしたら、「うーん。たしかに間違っていたかもしれない」と思えるかもしれない。
でも、聞くことなしに拒絶されると、それがどれだけ不合理な主張だとしても負けじと反論したくなってしまう。
そうしているうちに先生と生徒の溝は、どんどん広がっていき、最終的には拒絶し合うことで関係性に幕を下ろす。
本当は誰もが、老婆も若い女性も見つけたいはずなのに、どちらか一つしか見えなくなってしまうのは、なんだか寂しい。
 
今ならわかる。
国語において大切なのは、模範回答のように回答し正解することではなく、登場人物や筆者が本当に伝えたかったことを想像し、音にならない声に耳を傾けるプロセスそのものだったんだろう。
たしかに、登場人物の気持ちを正確に読み取れるに越したことはない。
でもそれ以上に、汲み取る努力そのものに価値があったんじゃないかと思ってしまう。
犬の喋ってることがわかる人をテレビで見かけると、ほとんどの人は「そんなオカルトな話あるわけない」と否定するだろう。
では人間の気持ちはわかるんだろうか。
たしかに、同じ言葉を喋れる。
けれど、発せられた言葉に、本当に伝えたかったことが含まれているとは限らない。
人間と犬ほどではないかもしれないけれど、どれだけ努力を重ねても、完全に相手のことを理解することができないのは同じなんじゃないだろうか。
一方で、たとえ言葉が通じなくても、私たちは表情や仕草から犬の機嫌を伺うことはできる。
そのようにして、言葉の裏に隠れている本当に伝えたいことを汲み取ることもできるんじゃないだろうか。
もしかしたら国語は、そうやって言外に表現される本当に伝えたいことを汲み取るための練習問題だったのかもしれない。
そう考えると、僕たちの正論に対する向き合い方もこれでいいような気がしてくる。
提示された正論が本当に正解かは分からないから、やっぱり自分で考えてみる。
けれど、自分の回答が唯一の正解とも限らないから、「自分の回答こそ唯一の正解だ!」と思ったら、「本当にそうか?」と自問してみる。
そうしてフラットに見れるようになったら、正論の背景に隠れている本当に伝えたいことや、ヒントになるような要素が見えてくるかもしれない。
そんな風に考えると、”正しさ”に固執する必要はないんじゃないかと思えてくる。
大切なのは、相手の言外に現れる本当に伝えたいことを感じ取ること。
そんな意識が広がれば、分断されつつある世界は、暖かくて繋がりを感じられる空間に変わっていけるような気がする。
案外、殺伐とした世界を救うのは、国語なのかもしれない。
 
 
 
 
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2020-10-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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