チーム天狼院

【世にも恐ろしい女子ヒエラルキー①見た目編】世の中には、どう頑張ってもたどり着けない「ほんものの美人」が存在する《川代ノート》


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幼稚園の頃、同級生にサキコちゃんという子がいた。サキコちゃんは子供の頃から顔が完成されていた。どの大人も彼女を見ては「サキコちゃんはあいかわらずかわいいわね〜」「お姫様みたいね〜」と褒めちぎった。真っ白な肌、大きな目、つんとした小さな鼻に、すらりとしたお人形のようなスタイル。さらに腹の立つことにサキコちゃんは頭もよかった。運動もできた。絵もうまかった。要するに完璧だったのである。

先生もことあるごとに「みんなサキコちゃんを見習いなさい」とサキコちゃんを褒めそやし、ひいきした。けれど、みんなそれを不思議だとは思っていなかった。誰も文句を言わなかったし、誰もサキコちゃんをいじめなかった。当たり前だと思っていたからである。誰も疑問に思っていなかった。サキコちゃんは生まれながらにしてみんなから崇められ、讃えられるべき存在であると、幼いながら、ちゃんと理解していた。それくらいの、暴力的とも言えるほどの吸引力が「ほんものの美人」にはあった。

同じ「サキ」とつく名前を持つ者同士なのに、一方はその美貌だけで人を惹きつけられるが、もう一方はチビで短足でのっぺりした地味な顔の、目立たない存在だ、なんて。天真爛漫に「自分はかわいい」と思い込んでいた、幼児時代の私の根拠のない自信は、サキコちゃんとの出会いで一瞬にして崩れ去ったのである。

物心つく前に「ほんもの」の輝きを知ってしまったからだろうか、わかんないけど、とにかく私は美人の目利きには結構うるさい。うそものの美人かほんものの美人かを見分けるスキルはかなり高いと自負している。今の時代、化粧品もヘアケア商品も発達しているし、インターネットで情報を手に入れやすい時代だし、美意識が高くて綺麗な女はどんどん増えているとは思うけれど、それでもやはり努力で「ほんもの」になるのは無理なのだ。「ほんもの」はあくまでも生まれつきだからこそ「ほんもの」であって、がんばって加工して磨いてようやくそれらしく見えるラインストーンなんかとは違う、ちゃんとした宝石なのだ。何もしなくても美人。手をぬいても寝癖があっても服がださくてもどこか美しい。それがほんものの美人なのである。

運がいいのか、私は人に比べてもかなり芸能人を多く見かけている方だと思うけれど(ミーハーだからすぐに見つけられるだけ?)、ぶっちゃけてしまうと、「ほんもの」かどうかということと、芸能人かどうかということは、あまり関係がないようだ。芸能人だからといってみんな「ほんもの」というわけじゃない。単純に芸能界のほうが「ほんもの」がいる確率が高いというだけなのだ。

実際に、私は人気モデル、女優さんなどを何回か街で見かけたけれど、そのなかに「これは!」と思える人はいなかった。大変失礼ぶっこいていることを承知で言うが、ほとんどは「フーンこんなもんか」と拍子抜けしてしまうくらいだった。一度「ほんもの」の衝撃を身にしみて受けると、そこそこの美しさにはあまり驚かなくなってしまうのである。

私が人生で出会った「ほんもの」はおそらく、サキコちゃん以外にあと二人だ。
ひとりは、中学の時同級生だったミオちゃん。この子はもう綺麗なんてもんじゃなかった。遠くにいてもわかる。一瞬でわかる。同性だけど、見ているだけで胸が苦しくなるほどの美人なのである。
入学式初日に学年中の女子がミオちゃんに一瞬で負けを認めた。私が通っていた女子校は美人が多いことで有名だったけれど、なかでもミオちゃんの美しさはダントツだった。誰もがミオちゃんと友達になりたがったし、ミオちゃんと仲がいいグループが学年を牛耳っていた。彼女は入学してすぐに学校のカリスマリーダー的存在になった。派手なカチューシャや赤いカーディガンなど、ミオちゃんが着たものはすぐに学年中で流行り出した。一般人が着ればただのダッサい服でもミオちゃんが着るとなぜかとてもおしゃれに見え、寸胴でししゃも足で貧乳という抜群のスタイルの悪さを誇る私も、健気にミオちゃんの真似をしたものである。
案の定、彼女は今は芸能界へ進出している。あと五年もすればミオちゃんを知らない人はいないくらいの女優さんになるのではと私はふんでいる。
そしてもうひとりは、大学生の時バイトしていたバーで一緒だったアミちゃん。お人形みたいに完璧な顔のミオちゃんほどパッと目立つ存在ではなかったけれど、とにかくアミちゃんはかわいかった。本当にかわいかった。はじめて会った時私は二度見どころか三度見、四度見くらいしてしまった。「今日から入るサキちゃんだよ」と店長に紹介され「はじめまして、アミです」と挨拶してくれた彼女を見て私は「あら、かわいい……うわっ! かわいいー! え!? マジか!? めっちゃかわいい!」と内心で驚きを隠せなかった。混乱するほどのかわいさというのはおそらく体感したことのある人にしかわからないだろう。私よりも三つ年上だったが、その愛くるしさといったらアイドル顔負けであった。
とにかく男にモテる顔だった。台湾かベトナムあたりで「かわいすぎる店員」とかでネットで有名になってそうな顔。AKBにも余裕で入れるどころか乃木坂46でも間違いなくセンターはれるくらいの美貌だった。

遠慮なく、本当にエラそーに言わせてもらえば、そういう「ほんもの」の輝きを目の当たりにしてしまっている身からすると、もう読者モデルとか売れない女優なんて、たいして一般の「かわいい子」と変わんないのである。「こんなもんか」で済む程度のかわいさなのだ。それとは違って「ほんもの」には中毒性がある。どう目をそらそうとしても見たくなる。その人がその場にいる時はずっと見ていたい。見ているだけで幸せ。笑いかけてくれるだけで、自分を好きなんじゃないか? 自分は特別なんじゃないか? そう勘違いしたくなるような美しさなのだ。実際、おそらく二度と会うことはないだろうサキコちゃんとミオちゃんとアミちゃんを、私は今も、見たくて見たくて仕方ない。一度でいいので直接もう一度会いたいと望んでやまない。無理やり作り上げられた美人は三日で飽きるが、「ほんもの」の美人は三日では飽きない。全然飽きない。これは自信を持って言える。

周りの人すべてを惹きつける彼女たちは、生まれた時から自分が美しいことを自覚している。自分が愛され、讃えられる存在であることを当然のものとして受け入れている。彼女たちは特別な存在であり、そのずばぬけた美しさはもはや才能か、あるいは一種のスキルだと言ってもいいだろう。昔から綺麗になりたくてなりたくてたまらない私だけれど、どうあがいても彼女たちにはかなわないことを知っている。どんなに頑張っても届かないことはわかっている。もともと遺伝子が違うのだ。自分とは違う人間なのだ。

その事実をわかりながら、「ほんもの」と対峙するのは辛い。彼女たちの美しさを目の前にし、「わあ、綺麗」とか「かわいい」とか思ったあとには鏡を見ることなんかできなかった。自分の顔が彼女たちとは雲泥の差であるということを思い知ると、もう本当にいてもたってもいられないほど辛くなるからだ。どうして同じ人間なのにこんなにも差がついてしまったのだろうか? 私が何をしたというのだろう? まさか前世で何か失態を犯したからだとでもいうのだろうか?
顔ひとつで女は変わる。女の人生は変わる。ほんものの美人であればその「美」の力だけで生きていける。まるで美の女神ヴィーナスに引き寄せられるがごとく、様々な人間が勝手にうじゃうじゃ寄ってくる。もちろん男にもモテる。あとね、余談だけど「本当の美人は性格もいいよね」と言う男がいるが、それは違うぞ。「ほんもの」の美人はあまりに美しいから性格に対するハードルが極端に下がっているだけだ。あるいは「あれほど強く自分の心をうばってしまうんだから、性格もいいに違いない」という思い込みだ。え? 何? それはお前の嫉妬だろって? そうですよ、ええそうです嫉妬ですよ。本当に羨ましいよ、まったく。
しかしそういう世の中の不平等に苦しみながらも、未だに彼女たちに会いたいと強く願ってしまうのは、もしかしたら、綺麗な女と同じ空気を吸っていたら、自分も運良く「ほんもの」のカテゴリーに入れてもらえるかもという、浅はかな下心を抱えているからかもしれない。

つづき→見た目ヒエラルキーにおける、「かわいい風」と「普通」エリアは、戦場である

前回【世にも恐ろしい女子ヒエラルキー】まえがき 女は怖い生き物?《川代ノート》

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