ポイント制霊媒師システムのポイントにされた話《READING LIFE vol,105 おためごかし》
記事:小石川らん(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
昼寝の最中にスマホのバイブレーションで目が覚めた。なんだろうと思って通知をみるとLINEの通知画面が表示されていた。差出人の名前を見てギョッとなった。
「らんちゃん、お元気ですか? 今度お寺で……」
通知画面で確認できる文章までしか読んでいないので、続きはなんと書いてあるのか知らないない。しかし読まなくても続きは分かる。
「良かったら、今度お寺に一緒に行きましょう」
そう書いてあるに違いない。
「分からない人だな」
こちらの気持ちなど慮らないお誘いに呆れて、スマホの画面を閉じてまた昼寝を再開した。モヤモヤとしたものがこみ上げてきて、布団を頭まで被った。
遡ること2年前のこと。恋も仕事もうまくいかない私は、傍から見てもやつれ果てていた。
その前年に猛烈に好きになって、振られた男のことをいつまで経っても忘れられなかった。振られてから一度も連絡なんて取っていないのに、それでも彼がひょっこり遊びに来るのではないかと根拠のない期待をして、彼がいつ遊びに来てもいいように、常に部屋を綺麗に保っていた。
「これでいつでも彼を迎え入れることができる……。ふふふ……」と狂気じみた夢の中で生きていた。
そんな妄想の中に逃げてしまわざるを得なかったのは、仕事がうまくいっていないこともあった。当時派遣社員として働いていた私は、精気を欠いた企業で、いまいち相性の良くない上司のもとで働いていた。詳細は本筋から逸れるので割愛するが「仕事に行きたくない」という思いとともに目覚め、出勤時に部屋の鍵を占めながら「もう帰りたい」と嘆くような生活を送っていた。
そんな当時にお世話になっていて、よく顔を合わせていた二回りぐらい年上の女性がいた。
いつか大好きな彼が私に振り向いてくれるのではないかという妄想と、仕事のストレスの中で生きていた私は、彼女にどのように映ったのだろうか。
「元気なの? 大丈夫?」と尋ねられることが多くなっていった。
ある日たまりかねて
「もうダメです。限界です。何もかも嫌です」と打ち明けてしまったが最後だった。
「お寺に行ってみないか」と誘われたのだ。この言葉が何を意味するのか、年若い人々に是非とも教示したい。
これは宗教の勧誘である。
もちろん当時の私もそんなことぐらいは分かっていた。しかし「潜入ルポ」めいたことが好きな私は、好奇心には勝てなかった。同時に、弱っている人間を宗教に勧誘するなんていう、ベタなことをするその女性にも軽い怒りを覚えた。
さっきまで弱りきって人生相談なんてしていたくせに「お寺にいってみないか」のパワーワードのせいで、自分の目の奥が光ったのを感じた。
しかしそんな好奇心を微塵も相手に感じさせまいと、人生相談をしていたときよりも、もっとしおらしい表情と声で「…‥はい。是非そうさせていただきたいです……」と答えたのだった。
そうはいってもすぐにお寺に連れて行かれたわけではない。
「彼女からエライ人に頼んで、私を霊視してもらう」というワンステップが挟まれた。
この霊視はなぜ必要かというと、先祖が背負った因果を知るためである。先祖の因果を背負って生まれてきた私たちが、生まれながらにどのような業を背負っているのかを知ることで、その因果を断ち切ることができるという教えらしい。加えて「だから今すぐあなたはお寺に行かなければならない」という強迫観念も植え付けることができる。
「私の場合はね、3代前の先祖が奉行所で働いて、罪のない人をたくさん処罰したんですって。その因果が私に巡り巡ってきて云々。今その因果は断ち切れて、私はとても幸せなの」
と、彼女は嬉々として話してくれた。
「あなたの先祖の因果もきっと断ち切れると思う」とのことだった。
私の生年月日と出身地を伝えたところ、翌月彼女に会ったときにこのような調査報告を受けた。
「あなたの父方の3代前の人が、邪教を信仰していたんですって。その因果が今あなたに巡っているのよ」とのことだった。
これはちょっと面白くなってきたなと思った。
というのも、私の3代前の先祖というのは、小作人ながらもなかなか人望のあった人で、幕末の尊王攘夷運動に微力ながら一役買った人だったのだ。個人の信仰についてはさすがに詳しくは伝わっていないが、代々氏神様を祀り、地元のお寺の檀家を務め、江戸からも京都からも遠いこの地で、少なからず日本の維新に関わった人が邪教を信仰していたなんてとても思えなかった。
「毒を食らわば皿まで」
そんな言葉が浮かんだ。
「徹底的に、先祖の因果とやらの話を聞いてやろうじゃないか」
失恋の痛手と、仕事の悩みを抱えつつも、新しいおもしろコンテンツを見つけた気がして、新興宗教団体へのプチ潜入を試みてやろうと思った。
といっても、どっぷり入信してお布施を吸い取られるつもりはない。先祖の因果の話が詳しく聞ければ満足だった。彼女いわく、お寺に3回行くと、霊視ができる人と直接会うことができるらしい。
地下鉄の駅に直結したその新興宗教団体のビルの上層階には「霊視の部屋」というのがあり、そこで霊媒師から霊視を受けて、先祖の因果を断ち切るにはどうしればいいかというアドバイスを受けられるとのことだった。
「どういう人が霊媒師になれるんですか?」
「修行をして、ある一定のレベルになると霊媒師になれるのよ。私の知り合いの人の中にも何人か霊媒師がいて、私もそれを目指しているの」
彼女がお寺に私を誘ったのは、霊媒師から霊視を受けさせることが目的ではない。あくまでも悩める若者に救いを与えたいからだ。なんでも彼女は、自分が人生のどん底にあったときに仲間にお寺に連れて行ってもらい、救われることができたのだという。
「だからあなたもきっと先祖の因果を断てば幸せになれる。お寺でありがたいお話を聞きましょう」ということらしい。
潜入ルポ的な好奇心もあったが、少なからず人生に迷っていたことに嘘はない。どんな宗教にも、教えの端々に自分の生き方やものの見方が変わるような「何か」あるのではないかという期待も抱いていた。クリスチャンでなくても、聖書の言葉を引用されれば「なるほど」と思うことが誰だってあるだろう。そういうものを期待していた。
ところが新興宗教とはそういうものではないらしい。彼女に連れられて行ったお寺の法要は、開祖の何回忌かの法要で、ひたすらに開祖の人物を褒め称えるような内容だった。
開宗した当時の貴重な映像や写真が、本堂の中の巨大なモニターに映し出された。開宗時の苦労や、開祖がどんなに素晴らしい人だったかが当時を知る人によって語られ、音楽が人々の感動を煽っていた。周りにはすすり泣く人もいたし、隣に座っていた彼女も鞄からハンカチを取り出していた。私はというと、意外と感激屋なところがあるため、ついついもらい泣きしそうになっていた。
「こういうのを期待したんじゃないんだよな」
鼻の奥がツンとしてしまうのを噛み締めながら、今日の潜入が期待はずれに終わったことを感じた。
法要が終わり、彼女が私に言った。
「先祖の供養のためにお布施をしない? 1回1000円で良いのよ」
聞けば御札に祖父と私の名前と住所と、紹介者のその女性の名前を書くと、エライ人が私の先祖の供養をしてくれるのだという。
1000円というのは断りづらい金額である。
高額でもないし、お賽銭箱に投げる小銭よりは高いから、なんとなくご利益がありそうな金額だ。こんな紙切れ一枚で、今日初めて寺に参った私の先祖がどう供養されるのだろう? とも思ったが、今日はわざわざお寺に連れてきてもらった身だ。財布から1000円を取り出し、書きにくいボールペンで祖父と私の名前を御札に書いた。
「あなたも、ご先祖様もこれできっと救われるわ」
彼女は恐ろしいぐらいに真っ直ぐな瞳で私を見て微笑んだ。
帰りには女性が1000円のランチをおごってくれた。手土産にお菓子も持たせてくれたので、少し恐縮しつつ、その日は彼女と別れた。
霊媒師に会うためには3回お寺にいかなくてはならない。熱心な信者に混じって、意味のわからないお経を唱える小一時間を2回ほどやり過ごした。期待していた仏教のありがたがい教えは法要の最中に1回も登場することはなかった。毎回開祖を褒め称えるような説法に耐えて、遂に霊媒師に会える日がやってきた。
どんな人が出てきて、どんなことを言われるのだろう。ちょっと意地悪な好奇心で胸が高鳴り、お経を唱える声にも力が入る。
法要が終わり、彼女が私に言った。
「これから霊媒師の先生のところに行くのよね。その前にお布施をしていかない?」
日頃から断れない女であることを自認している。しかしその日はお店のレジで「ポイントカードお作りしますか?」という問いに答えるときのように、すんなりと言葉が出てきた。
「今日はやめておきます」
私の返答を聞くなり、彼女が急に冷めていくのを感じた。
彼女は「あらそうなの。私はお布施をしてくわね」と言って、小柄な彼女にとっては高すぎる記入台で、熱心に御札に記入し始めた。今思えばその後ろ姿から、うっすらと怒りの気配が漂っていたように思う。
彼女は戻ってくるなり私に言った。
「今日は霊媒師の先生のところに行くのはやめておきましょう。ね?」
霊媒師に会うことを楽しみにしていた私はひどくがっかりした。帰りに彼女と一緒にランチを食べたが、その日はおごってくれることはなかった。なんなら私のほうが300円多く支払った。
帰りの電車の中でふと気がついたのは「霊媒師になれるのはポイント制なんだ」ということだった。つまり、霊媒師になるための修行というのは、宗教団体にいくら貢献したかということなのだろう。お布施の札に書かれた名前が多ければ多いほど、その人のポイントが貯まり「徳」を積めるシステムなのだ。なおかつ完全に入信していない私なんぞを連れてくれば、ポイントが2倍か3倍になるのではないだろうか。
「あなたが幸せになれるのを祈っているのよ。とにかくこれできっと良い方向に進むから」
彼女はくり返し私に言っていたが、彼女にとって私は、宗教団体の中での「修行ポイント」の一つに過ぎなかったのだ。
そんなことに気がついてしまったら、今まで彼女が私にかけてくれた優しい慰めの言葉が全部嘘くさく思えてしまった。
3回目の法要に出席した後に、女性から長々としたLINEが届いた。
「お寺の教えについて、らんちゃんは疑問をもっているんじゃないかしら? 気になることがあったらいつでも私に言ってね」
そんなことが書いてあったが、私にはとっくに彼女の目論見は分かっている。全てがバカバカしいような気がして、LINEに何も返信せずに放置した。
そんな彼女からまたひょっこりと、昼寝中の私にLINEが届いたのだ。
こちとらとうの昔に失恋からは立ち直り、男が乗り込んでくることへの準備が一切ない雑然とした部屋で過ごしている。仕事も2回変えた。それぐらい時間が経っているというのに、おためごかしの精神はいつまでも持続するものなのだなと、呆れつつ、感心した。
潜入レポ的な好奇心を持って彼女に接した私も、相当に意地の悪い性格をしていると思う。しかし自覚がないまま、他人を「ポイント」として見続ける彼女を軽蔑したし、既読スルーされていることを気にすることなく、追撃のLINEを送ってくる図太さにも嫌悪感を覚えた。
他人のためと言いつつ、自分の利益を求めることは悪いことではないだろう。人間誰しも小狡いところはあるだろうし、自分の利益を一切求めずに生きていくことは危うい。しかし「おためごかし」が「おためごかし」という可愛らしい音の言葉で許されるのは、本当に相手の利益になったときだけだろう。私は単純に軽く見られただけだったのである。
「かわいいもんじゃなんだぞ」という思いを込めて、LINEの画面に向かって「この『おためごかし』め」とつぶやいた。
「おためごかし」の「ごかし」を思いっきり汚く発音しながら、彼女のLINEを非表示にした。
□ライターズプロフィール
小石川らん(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
華麗なるジョブホッパー。好きな食べ物はプリンと「博多通りもん」。
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