無意識に「ありがとう」の搾取していませんか?《READING LIFE vol,105 おためごかし》
記事:すじこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「ありがとうございます」
私は他人と比べてこのコトバを使うことが多い気がする。
別に意識的にこのコトバを乱用しているわけでもない。
普通に暮らしているだけなのになぜか「ありがとうございます」と言う機会が多いのだ。
一見すると「いいこと」のようにも思えるが
言換えれば「人に感謝しなくてはいけない場面が他人より多い」とも言える。
ではなぜ私は、「人に感謝しなくてはいけない場面が他人より多い」のか。
その理由は簡単で、私が身体障害者だからだ。
身体障害者というものは非常にこのコトバを使う機会が多い。
例えば私の場合、足が悪い。歩行する時は内股のため、側から見るとバランスが
悪く歩いているように見えるらしい。
たまに「いつ転ぶか心配」と言われる時もある。
だが、これまでもこの足で歩いてきたわけだ。
この足で、幼稚園も、学校も、会社も通ってきたわけで、今さら転ぶわけない。
転ぶわけないのだが、やはり初見の方は私の歩き方を見ると背中を支える素ぶりなどをする。
特に階段は「大丈夫?」や「支えとく?」などの声をかけて頂くことが多い。
私にとっては、階段をこの足で上ることや下ることなんて「日常」なので特段苦労する点ではないが、付き合いの浅い方や初対面の方は「サポートしなくてはいけない」という衝動に駆られてしまうらしい。
こちらにとっては使い勝手の悪い足で階段を下ることは「日常」であるが初対面の人にとっては、「足の不自由な方が階段を下ろうとしている」という普段の生活ではなかなか味合わない「非日常」的な場面に遭遇しているわけで、簡単に言えば気が動転しているのだ。
気が動転し、「何かサポートしてあげなくてはいけない」という気持ちが先走り、結果背中を支える素ぶりなど過度なサポートをしてしまうケースが多い。
そういう場合、私は「大丈夫です。お気遣い頂きありがとうございます」と言ってそれが過度なサポートであることを知らせる。
逆にサポートしてもらって助かったものもある。その時は純粋に「ありがとうございます」と感謝を伝える。
助かるサポートにも、「ありがとうございます」
過度なサポートにも「ありがとうございます」
どっちに転んだとしてもサポートしてもらった時点で「ありがとうございます」のコトバが発動するのだ。
ここまで読んで頂くと私が「ありがとうございます」と言いたくないだけなのでは?と思われるかもしれないが別にそうではない。
幼少期から、「たとえ些細なことでも、何かしてもらったらお礼を言いなさい」との教育を受けたお陰で、私の「コトバ」というタンスの中で最も一番手近な場所に「ありがとう」は常備されている。そのため、「ありがとうございます」を言うことに関しては全く苦ではない。
サポートしてくれることに関しても例え過度であったとしても善意であることは代わりがないので、それに対する感謝は言って当然である。
正直、以前は過度が過ぎると「ムッ」と感じてしまう時はあるが、先にも書いた『気が動転し、「サポーしなくてはいけない」という気持ちが先走っている状態なのだろう』と相手の感情を分析すると、心の引っ掛かりは消え、平常心で「ありがとうございます」が言えるということに最近になって気づいた。
ここまでは、善意あるサポートが前提の話で、感謝の想いを伝えても異論はないと思う。
だが、時にして、サポートというのは100パーセント善意なのだろうか?と疑ってしまうものもある。
これは、会社の飲み会での話だ。
その飲み会では、私含めた男性3名と女性1名のこじんまりとしたもので私以外のメンバーは、プライベートでも遊ぶ仲なのだとか。
いわゆるイツメン(いつものメンバーの仲に私をゲストとして呼んだのは女性ではあったが、女性ともそこまでの接点はなく、「なぜ呼ばれたのだろう?」と疑問に思いながら飲み会に参加していた。
女性は私を呼んだ張本人とあって飲み会に慣れない私に積極的に話を振ってくれたりサラダを分けてくれた。
その優しさに私も心を許し楽しい時間を過ごすことができた。
他の男性2人とも打ち解け合うことができたし、何より女性の優しさに惚れてしまっていた。
好きになりかけていたのかもしれない。(当時は、「優しくされる」と「好き」になる単純な思考だったもので)
だが、それは夢話だった。
飲み会がそろそろお開きに近づいた時、男性2人が外へタバコを吸いに出て行った。
その時だ。空気が一変したのは。
先ほどまで私と和やかに談笑していた彼女だったが男性2人が席から外れた瞬間、すぐさま顔色を変えスマホを取り出し何やら熱心に打ち始めた。
その間、私が何か投げかけても「うん」、「ああ」、「まあね」と塩対応をし続け、なんとも殺伐とした空気が流れた。先ほどまでの優しかった彼女とは偉い違いだった。
その後男性が帰ってくると先ほどまでの優しい彼女が戻ってきた。
私は思った。
カモにされたと。
障害者と優しく接する状況を見せて、男性に「私優しいでしょ」アピールをするために彼女は私を呼んだのだ。
後に男性の一人と付き合うことになったと耳にした。やっぱりな、と思った。
彼女の場合、あからさま過ぎるが、この世には確かに「善意だけではない優しさ」というものが存在する。
彼女のような「他人にいい人と思われたい」という欲からくる「優しさ」や「自分を満たす」ための「優しさ」は確かに存在する。
その「善意だけでない優しさ」を昨今「偽善」という言葉で表現されがちだが、別に「善意だけでない優しさ」が全て「偽物」の「善意」ということでもない気がする。
彼女も目的は男を落とすためだったかもしれないが、実際に飲み会慣れをしていない私を輪の中に入れようとしてくれたのは彼女の「善意」だ。
「100パーセント相手のために思う善意」が「善」で1パーセントでも「自分を他人に良く見せたい」とか「自分の気持ちを満足させたい」とかの気持ちが入ったら「偽善」と評価するのは考えることを放棄した人の考えとか思えない。
そもそも「100パーセント相手を思う善意」なんてこの世に存在するのだろうか。
よく「他人にいいことをしたら気持ちがいい」というが自分の気持ちが満たされている時点で数パーセントは自分に利益があるということだ。
「100パーセント相手を思う善意」を持つ人がこの世にいるとしたら、「他人にいいことをしたら気持ちがいい」と思うことはなくただ淡々と他人の「善意」だけを与え続けている人だ。
そんな人、私は見たことがない。
やはり「善意」というものは数パーセントであっても「自己満足」や「自己肯定感」というものが入り混じる。その「自己満足」や「自己肯定感」があるからこそ人は助け合いながら生きていける。これがただの「善意」の投げ合いだけで「善意」を尽くしたことの対して何も感じない世の中はどこか味気なく感じる。
やはり「他人を助けた」から「気持ちがいい」と感じる世の中の方がいい。
「他人から助けてもらった」から「ありがとう」と感謝を伝える世の中の方がいい。
だから、私は「自分の気持ちが満足する善意」を「偽善」とは思わないが、1つだけ注意しとかなくてはいけないことがある。
それは、不必要な「善意」や過度な「善意」の存在だ。
数年前、こんなことがあった。
私はとある障害者のサークルで出会った友人と食事に行くことになった。
友人は車椅子を利用しているため、そこら辺の居酒屋というわけには行かなく彼のよく利用するバリアフリーな店に行くことになった。
食事会当日。渋谷の駅で待ち合わせて店へ向かうのだが、渋谷という街は、「谷」というだけあって、坂が多い。
店に向かう道中も勾配がキツイ坂があった。
電動車椅子であればまだしも、手動タイプの車椅子でこの坂はキツイだろう、そんなことを思い私は車椅子を押した。
坂を登りきると「サンキュー」と彼から一言。
「他人から助けられる」ことは多かったが「他人を助ける」経験は少なかったのでなんだか変な高揚感を感じた。これが噂の「他人を助けたら気持ちがいい」というやつか。
そンなことを思いながら彼の選んだ店に入り食事会がスタート。
お酒も入り、大いに盛り上がった。
食事会(結局、普通の飲み会になってしまったが)はお店閉店ギリギリまで行われた。
まだ話し足りないが店が閉まるということで渋々店から出て、再び渋谷駅へと戻る。
その道中、彼が何かを躊躇うかのように話を切り出したのだ。
「なあ、言おうかどうか迷ったことがあるんだけどいいか?」
さっきまでのご陽気で話していた彼とは違う。何か歯に物が詰まったような言いぐさだ。
私は恐る恐る「何?」と聞いた。
「別に大した話じゃないんだけど、店に行く道中の坂で車椅子を押してくれたじゃん」
「うん」
「気を使ってくれたかもしれないんだけど、お店に行く時にはいつも自分の力で登ってるから登り慣れているんだよね」
私はハッとした。ひょっとしていらぬお節介をしてしまったのではないかと。
「もしかして、邪魔だった?ご、ごめんね」
「邪魔ではなかったし、嬉しかったよ。でも、あの坂は自分で登れたんだよっていうことを知っておいて欲しくってさ。これからもあの店には行くことがあるだろうし。もし、押して欲しい時は頼むから宜しくね」
彼の「これからもあの店に行くこともある」という言葉に救われた。
彼は怒ってはいなかった。むしろ今後も良き友人として対等に付き合っていきたいが故に言ってくれた一言だった。
それからもあの店には何度か訪れたが車椅子を押さなかった。
もしあの時彼が、「押さなくていいよ」と言わなければその後も「不要な善意」を押し続けていた。
「不要な善意」を押し続けて、「サンキュー」のカツアゲをしていた。
彼は坂を自力で登れるにも関わらず、勝手に手助けして、勝手に満足感を得ていた。
彼が「登れる」と言ってくれたから未然に防げたが、一歩間違えればそんな自分勝手な「善意」が一人歩きしていたかもしれない。そう考えると急に恥ずかしくなってくる。
「不要な善意」を迷惑とさえ思っていた自分が、1つ間違えれば「不要な善意」を押し付ける側になっていたかもしれないと思うと恥ずかしすぎて言葉が出ない。
その後彼の前では「押してあげよう」と思うことをやめた。そう思ってしまうというのはどこか彼を下に見てるということで失礼に値する。
ただ、彼が「押して」というときは、車椅子を押すようにしている。
それは、お節介ではなく、彼からの依頼だからだ。
彼から依頼されて、依頼に応じた。だから「サンキュー」という言葉を対価としてもらえる。
逆も然りで、彼は私が「SOS」信号を出したときだけ手助けをしてくれる。
あとはお互い干渉し合わない。
干渉し合うとまた「不要な善意」の押し付け合いになってしまう。
だから出会って間もない頃はあまりお互い手助けはしなかった。
最近になって、やっとお互いに困っている部分などが空気感でわかる間柄になったので、依頼される前に手助けするときがある。
でもそれはある程度信頼関係出来上がってきてからの話だ。
最初こそ、最初だからこそ過度な「善意」を押し付けることは控えた方が良いというのが私の結論だ。それは一見してドライだと思われるかもしれないが、「不要な善意」を与えないようにしていると考えればこちらの方が親切なのかもしれない。
「善意」というものは難しい。私は「不要な善意」を「ストレス」と感じてしまうが、人によっては「親切」と感じるかもしれない。
その善意が不要か必要かも人によって違う。
今後もあなたの「善意」が相手方に必要なものか不要なものか迷うことがあるだろう。
そんなときの解決案として一つ提案するとしたら、「手伝いましょうか?」と聞いてみるということだろうか。
この善意が必要か不要か聞いてみて必要なら、手伝えば良い。
不要ならたとえ側から見て困っていそうでも手伝うべきではない。
なぜなら、その人にとってはそれが「日常」なのかもしれないからだ。
逆にお節介を焼かれることが多い人は本当に手伝いが必要なときに必ず「SOS」を発信することが大事だそうだ。友人曰くしっかり「SOS」を発信することで困っている時は必ず知らせる人との印象がつくとのこと。逆に「SOS」を発信しない時は「手助け不要」という印象がつくのでオススメなのだとか。
なるほど。私もやってもみよう。
昨今コロナなどで人との繋がりが希薄のなりつつある中で「善意」が相手にとって必要なものか不要なのかの判断は以前にも増して難しくなってしまったと思う。
「人助けしたい」という気持ちは多くの人が持ち合わせているが「偽善と思われるかな?」など思ってなかなか表立って善意を示すことは難しく感じる人もいるのではなかろうか。
そんな時、まずは確認だ。この善意は不要か必要か判断を委ねるそこからでも「人助け」というものは間に合う。
どうせ人助けするなら心のから「ありがとう」と言われた方が良いに決まっている。
どうかあなたの「善意」が誰かの本心からの「ありがとう」に繋がりますように。
あ、最後になるがこの言葉を言わせてほしい。
「ここまで読んでいただきありがとうございます」
この「ありがとう」はもちろん、本心だ。
すじこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
27歳東京在住
読者に寄り添うライターを目指し修業中……
□ライターズプロフィール
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