マルチ商法vsドストエフスキー
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:ebikawa(ライティング・ゼミ日曜コース)
もう何年も前だが、友達に誘われて合コンに参加したことがある。
参加者は男女4人ずつ。女である私の知人は女子ひとりのみで、他の2人の女子は初対面であった。
その合コン自体は、惨憺たる結果に終わった。話は盛り上がらず、連絡先交換の機会はうやむやにされ、二次会に行こうという提案は女子ひとりによる「(まだ20時なのに)もう終電が近いから」という明らかに嘘の理由で却下された。
店を出て男性陣と別れた後に、そのまま女子4人だけでカフェに行くことになった。いったい終電とは何だったのかと思いつつも、どういうわけかそこでは話が盛り上がり、しっかりと連絡先が交換された。合コンの本来の目的は果たされなかったが、カフェで話した時間は楽しく、私は満ち足りた気持ちで帰路についた。
数日後、その新しく知り合った女子のひとりから連絡があった。
カフェで話したときにそれぞれがどこに住んでいるかも話題になったが、彼女は私の家の近くにある紅茶専門店が気になっているから一緒に行こうというのだ。私は喜んで、提案された平日の夜に会うことに賛成した。
当日、仕事を終えた後の、少し疲れた様子の彼女が店に現れた。同性であっても、知り合ったばかりの人とふたりきりで会うのは緊張する。せっかく誘ってくれたのだ、話が盛り上がって仲良くなれたらいいな、と私は内心意気込んでいた。
テーブルについて注文を済ませると、彼女はおもむろに「仕事がつらい、辞めたい」「こんなはずじゃなかった」「将来のお金も心配だ」という話を始めた。当時転職したばかりだった私はすっかり同情して、真摯に彼女の悩みを聞いた。
このままの人生では不安だ、としきりに訴える彼女をどう慰めようか私が頭を悩ませていると、彼女が突然「ebikawaさんも、人生を変えたいって思わない?」と切り出してきた。話の雲行きが急に怪しくなってきたのを感じた。
そして、彼女は自身の人生が変わったという1冊の本を紹介してきた。その本は、私も知っていた。
マルチ商法でよく勧誘の手段にされていると、インターネットで注意喚起を読んだことがあるのだ。
そこで、気づいた。今日のこの集まりは楽しいお茶会ではない。マルチ商法の勧誘なのだ。彼女はおそらく合コンで知り合った女子の連絡先を集め、手当たり次第に勧誘をしているのだろう。私はそうと知らず、友達になれるかも、などと期待して、のこのこ出てきてしまった。弾んでいた心が急に萎んでいくのを感じた。
私の落ち込みをよそに、彼女は意気揚々と、人生が変わった本について、それを紹介してくれた人との出会いや、ためになる集まりについて話しはじめた。このままでは私もその人の集まりとやらに勧誘されるのだろう。
友達になれるかもという期待への裏切り、親身に相談に乗ろうと思っていた気持ちへの裏切りから、私の中に「怒り」が生まれた。
このまま勧誘話をおとなしく聞いてやるものか。何が人生を変えた本だ。ただのお決まりの勧誘手段じゃないか。人生を変えた本っていうのはなぁ、そんなんじゃなくて、もっと……そして、話し続ける彼女に、無理やり割り込んだ。
「私も、おすすめしたい本があるんだ。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』って読んだことある?」
これから自分のイベントの話に持ち込もうとしていた彼女は、話題が「おすすめの本」になったことに少し意表を突かれたようだった。そして突然出てきた重めのタイトルに、苦笑いして「読んだことない」と答えた。
「絶対読んだ方がいいよ! すっごくおすすめ!」
私は身を乗り出した。彼女が自分の人生を変えた本について語るというなら、私にも好きな作家を思う存分語らせてもらおうか、と思ったのである。
私はロシアの文豪・ドストエフスキーが大好きだが、悲しいことに、当時たいていの友達はドストエフスキーに興味がなかった。なので、普段は語りたくても、存分に語る相手がいなかったのだ。
しかし、興味がないマルチ商法の話を彼女が構わずしようというのなら、私だってとりとめのないドストエフスキー語りを延々としても構わないはずだ。
語りたいことは山ほどあった。
どれだけ夢中になって読んだか。どれだけ涙を流したか。つらいとき、この物語がどれだけ寄り添ってくれたのか。200年以上前に書かれた小説の登場人物と、自分の心情がリンクすることが、どれだけ孤独を癒してくれたか。
彼女のマルチ商法にかける思いがどの程度のものかはわからなかったが、情熱なら負ける気がしなかった。
私は話し続けた。彼女は何度も話題を変えようとしてきたが、そのたびに私は強引に話をドストエフスキーに戻した。普段は内に秘めていた情熱をこれでもかとぶつけた。
彼女はマルチ商法の教えを背負って戦っていたが、私はその場にドストエフスキーを召喚していた。まるで能力バトルのような雰囲気だった。ドストエフスキーの登場人物は数ページにわたってネチネチと一方的に語り続けるのも珍しくないが、私もその一員となったような気分だった。
「きいてくれ、アリョーシャ! つまり俺はな……」
登場人物イワン・カラマーゾフの熱に浮かされたような語り口を思い出し、私はますます勢いづいてきた。もうここは日本のかわいい紅茶専門店じゃない、19世紀ロシアの酒場だ。世界最高の文豪がこのフィールドで負けるなんてことはあり得ない。
そうこうしている間に閉店時間になり、その会はお開きとなった。結局彼女の勧誘の話は、具体的に進められないままに終わった。私も彼女もトークバトルで疲れ切っていたが、私はこれまでになくドストエフスキーの話をたくさんできたことで、妙な充足感に満たされていた。
後日、合コンに参加した他の女子に連絡してみると、やはり同じように彼女からマルチ商法のイベントに誘われたようで困っていた。私には、あの日に店で別れたあと、それきり彼女から連絡はなかった。関わるとヤバい奴だと思われたのかもしれない。
はたして、あのあと彼女はドストエフスキーを1冊でも読んでくれただろうか。連絡を取っていないためわからないままだが、私の紹介はとても押しつけがましいものになってしまったので、たぶん関心は持ってくれなかっただろうと思う。
ドストエフスキー語りによるマルチ商法に対する防御は効果があったが、こんな形ではなく、彼女とドストエフスキーが、もっと良い出会いをしてくれたらよかった。ドストエフスキーは熱狂的な思想に入れあげて身を滅ぼす人々の話も書いている。孤独に悩む人、自意識で苦しむ人も書いている。
ドストエフスキーを読んだら、あの登場人物たちに出会ったら、彼女は人生を少しだけ別の方向にも考えてくれただろうか。そうしたら、私と友達になれることはあったのだろうか。そう思うと、少し切ない気持ちになる。
***
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