人生の節目には不思議なことが起きるのかもしれない
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記事:ココヒロ(ライティング・ゼミ日曜コース)
人生の節目では、不思議なことが起こるのかもしれません。
今から25年ほど前になりますが、その日、私は「退職願」を手にとって、玄関で妻にこう言いました。
「今日、辞表を出してくる」
「うん、わかった。いってらっしゃい」
いつもならそういう時、「でもやっぱり、もう一度考え直した方がいいんじゃないの?」と、心配そうに言うはずの妻が、その日に限っては何も言いませんでした。
後から聞いた話では、ちょうどあの時、妻の片方の目からハードコンタクトレンズがポロリと床に落ちてしまったそうです。急にあたりがぼんやりとしてしまった妻は、レンズを踏んではいけないと思い、床をじっくりと見回していたので、私の辞表の話どころじゃなかったということでした。
そんなこともあり、その時に妻から引き止められることもなく、結局、私はその会社をそのまま辞めることになりました。私の場合、普通に会社を退職していくケースとは、少しだけ事情が異なっており、自分にとってそれはとても大きな決断だったのです。
私はその会社では、ナンバーツーの存在でした。社長からは100%、いや120%以上信用されていたと思います。なぜなら、社長は私の妻の兄だったからです。
会社を始めたのは社長一人でした。その後すぐに私と私の妻が加わり、スタート時は、それこそ三人で寝る間も惜しんで働き続けました。そして順調に会社もだんだんと大きくなリ、従業員も30人くらいになっていきました。最初の頃から苦労を共にしてきたし、義理の兄弟でもあるので、社長もまさか後になって、私が辞めると言い出すなんて夢にも思っていなかったに違いありません。
今までもよりも広いオフィスに引っ越しをして、これからもっと会社を大きくするぞ! と意気込んでいた、まさにその矢先に、私は辞めると言い出したのです。
実際に会社は、成長曲線に乗りはじめた頃で、すごく調子がいい時期でした。ならば、なぜそんな時に私は辞めると言い出したのか? きっとそう思うかもしれません。
身内がいると、良い時はいいが、何かでこじれはじめると一緒にやっていくのは難しくなるという理由もそのひとつでした。でも、一番の理由は私の若気のいたりが原因でした。最初は小さな不満だったのが、たまりにたまって爆発してしまったのです。
その後、私はすぐに妻と二人で独立しました。最初は新しい業種をやる能力もなかったですし、自信もなく、また、半ば何も考えずに辞めてしまったので、社長と同じ業種でスタートすることにしました。つまり、社長とはライバル会社になってしまったのです。
これにはさすがに社長も相当頭にきて、きっと私に対してキレまくったことでしょう。そして実際に、同じ顧客層の中で争ったこともありました。もし、それが反対の立場なら、自分は間違いなく許せなかったと思います。
それからしばらく同じ業種で会社を続けていましたが、時代の流れもあり、お互いに自然と業種が変わっていきました。社長の方も、メインの業種はまったく別のものに転換していきました。
独立してからは、社長とは義理の兄弟であるにもかかわらず、また、妻がなるべく社長と接しなくてもいいように気を使ってくれていたこともあって、面と向かって話をする機会もなく、そのまま何年間か時が過ぎていきました。社長とちゃんと話ができるようになったのは、そのずっと後の話です。
ある時、社長が鬱病になっているということが耳に入ってきました。1億円近く騙され、その相手が逃げていってしまったというのです。
その直前までは、ものすごく調子がいいと聞いていたので、そのショックは相当なものだったようです。
「きっと精神的にかなり大変だろうな」
私はそうは思ったものの、そんな時でさえも、社長に声をかけることができませんでした。辞めた当時のしがらみはだんだんと消えてはいたものの、やはりどこか後ろめたいものがずっと残っていたからです。
それからまたしばらく時が経ち、社長もそのことからは無事に立ち直り、また会社の業績をどんどん伸ばしはじめました。そして、私が一緒に会社で働いていた頃の社長とは、雰囲気が変わってきていて、少し丸みも感じられるようになっていました。
一方、私の方はというと、自分がメインで取り扱っていた商品に、日本中で大ブームが起こり、急に売り上げが半減していきました。そうなるとなかなか簡単には元の売り上げには戻っていきません。私はだんだんと窮地に追い込まれていきました。
もう、後がない、この先は破産手続きをするしか方法がない。
とうとう、そんな状況にまで達してしまいました。
明日、弁護士に会って裁判所に申請を出そうと決めていた日の前日、久しぶりに社長の元へ夫婦で挨拶に行きました。しばらく妻と社長の実家に戻りたいという報告をしに行ったのです。
その時でした。社長は、「なんとかしてあげるから、明日改めて自分の会社においで」と言ってくれました。二人だけで話そうというのです。
次の日に社長の会社に行った時、まさかとは思いましたが、「今、いくら必要なんだ」と援助の申し出をしてくれました。それは、私にとって信じられないほどありがたい話でした。
でも、私には、もうひとつのある問題もあったのです。私の経営能力がなかったことはもちろんですが、それ以外に、投資(株や外国為替取引)で大損失を出してしまっていたのです。それがトドメを刺した原因でした。
私はそれをすべて包み隠さず、社長に話をしました。たぶん、普通なら、呆れて自業自得だと言われたことでしょう。
いや、そもそも、そんなお金の感覚もない自分に誰が援助をしてくれるでしょうか。
ところが、社長はそこで、にっこりと笑いながらこう言ったのです。
「自分の方が、もっと何倍も損をしているよ」と。
そして続けてこう言いました。
「昨日会った時に、多分そんなことだろうと思った」と。
「でも、もうこれからは一切、そんなものには手を出したらだめだよ」
援助を申し出てくれたことは、もちろんとても嬉しかったのですが、それ以上にそんな自分の失敗を理解してくれたこと、そしてもう一度頑張れと言ってくれたことは、あの時の自分には救いの一言でした。
それ以来、私は社長の援助によって、立ち直ることができました。まさか、自分勝手なことしか考えず、迷惑をかけた自分に、社長が助けてくれるなんて夢にも思いませんでした。社長への感謝の気持ちは一生忘れることはできません。
あれは自分の人生にとって大きな節目でした。そんな節目には不思議なことが起こるのかもしれない。
今振り返ってみると、そう思います。
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