週刊READING LIFE vol.147

小談志師匠の『富久』は絶品《週刊READING LIFE Vol.147 人生で一番スカッとしたこと》


2021/11/15/公開
記事:山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
小説でも映画でも、ラストのラストで感動させられると実にスカッとするものだ。読後感、観賞後感の‘スカッと’は、例え様が無い程格別なものだ。
何しろその感触だけで、数日間は充実して過ごすことが出来る。少なくとも、機嫌はよくなる。
その‘スカッと’がより痛快なものなら、尚更機嫌が上向くものだ。
 
これまでに15,000本を超える映画を観て来た私は、誰にも負けない数の‘スカッと’を体験して来た自信がある。しかし、映画でも小説でも内容、ましてはラストを語ること等、“ネタバレ”となるので決してしてはいけない行為だ。
“ネタバレ”は、どの世界でも御法度な行為だ。従って、ここでは語ることが出来ない。
実に残念だが。
 
ところが、落語という芸能は、特に昔から口伝で伝承された古典落語は、サゲ(ラスト)を語っても問題は無い。何故なら、同じ題目なら明治の落語家さんも令和の真打(落語家の最高峰)も、同じ噺(はなし)・サゲだからだ。
従って殆どの落語題目は、既にネタばらしされているのも同然だ。観客は、噺の内容を知っていることを前提として、寄席(よせ:落語の常席)に通うのだ。
そこで観客は何を楽しみにするかといえば、噺家さんによって噺が変化するところだ。それは丁度、同じ楽譜で演奏されるクラシック音楽が、奏者によって聞こえてくる曲調が変化するのと同じだ。
なので、『小さん師匠の“時蕎麦”は最高』とか『圓生(えんしょう)師匠の“死神”を越えるものは無い』といった評判が立つのだ。これは、『“幻想交響曲”は小澤征爾の十八番(おはこ)』『モーツアルトの交響曲ならカール・ベームに限る』といった評価と同じだ。
 
落語という芸能は、観客を怖がらせる‘怪談話’(夏場によく上演される)や、観客を感動させ涙を誘う‘人情噺’といった一部のジャンルは有るものの、噺の多くは観客を爆笑させる‘滑稽噺(こっけいばなし)’が殆どだ。
観客は、ラストのオチを熟知していても爆笑してしまう。それどころか、オチの直前に為ったりすると、思わず息を詰めたりもする。
そうして聴くオチは、実に痛快でスカッとするものだ。
 
 
「志ん生の『富久』は絶品」
一昨年NHKで放映された大河ドラマ『いだてん』は、この言葉が書かれた絵葉書で始まる。日本が占領していた満州に派遣された一兵卒が、生まれたばかりの息子に宛てたものだ。戦地に慰問に訪れていた若き日の志ん生師匠の『富久』を観て、感動したことを伝えたかったのだ。
どうやら戦時中の軍部や政府も、戦地であっても人々には‘スカッと’が必要だったと気付いていたので、志ん生師匠に慰問を依頼したのだ。
この、父の顔を知らない若者が戦後、晩年の古今亭志ん生師匠(ビートたけし・演)に弟子入りを願う際に「志ん生の『富久』は絶品」と書かれた絵葉書を持参したのだ。
 
大河ドラマ『いだてん』は、日本人として初めてオリンピックに出場したマラソンの金栗四三(かなくりしそう)氏と、1964年の東京オリンピックを成功に導いた田畑政治(たばたまさじ)氏の活躍を描いたドラマだ。時代が違う二人を繋ぐ役回りを、落語家の古今亭志ん生師匠が語り繋ぐ(つなぐ)かたちを取っていた。
 
古今亭志ん生師匠(1890-1973)は、昭和を代表する名噺家(はなしか)さんだ。その、志ん生師匠の数ある十八番の一つが『富久』という噺だ。
落語『富久』は、江戸時代の“太鼓持ち”、今で言う芸人の久三(きゅうぞう)が噺の主人公。
酒好きで‘しくじり’が多い久三だったが、大変お人好しで憎めない人物。
そんな久三が年の瀬、芝(現在の増上寺付近)の御贔屓筋(ごひいきすじ)が火事に巻き込まれそうと知り、機転を利かせて手伝いに駆け付ける。運良く延焼は免れたものの、今度は浅草の自分の家が火事に巻き込まれそうになる。
慌てて、走って戻る久三。家には、買ったばかりの富籤(とみくじ、宝くじのこと)が有ったからだった。
 
こんな『富久』を、大河ドラマ『いだてん』では若き日の古今亭志ん生師匠に扮した森山未來が、落語の素人らしからぬ軽快な演技で演じてみせていた。
 
落語という芸能は、古くから季節感を大切にする。噺家さん達は、春夏秋冬に合わせた演目で高座に上がるものだ。『富久』は、年末には必ずといっていい程、どこかの寄席(よせ)で掛かる噺だ。時季設定が、現代も‘年末ジャンボ宝くじ’が発売される年末だからだ。
落語好きの私は、これまで何度となく『富久』を観て来た。残念ながら古今亭志ん生師匠には間に合わなかったが、志ん生師匠の息子さんの金原亭馬生(きんげんていばしょう)師匠や、先代の三遊亭圓楽師匠の『富久』には間に合うことが出来、大のお気に入りとなった。
しかし、このところ寄席通いをサボっていたせいか、とんと『富久』を観ていなかった。考えてみれば、直近で観た『富久』は、大河ドラマ『いだてん』の中に登場した、森山未來が演じる若き日の志ん生師匠だった。
御恥かしい話だが。
 
 
天狼院には、落語部という活動が有る。落語好きの私は、欠席することなく参加しているが、御時勢で最近は開催されることが出来ないでいる。天狼院・落語部を御指導下さっているのは、落語立川流の真打・立川小談志師匠だ。
昨年12月20日、小談志師匠は、好例の独演会を開催された。この、年に数回開かれる小談志師匠の独演会では、毎回必ず、時節に合った大ネタ(長い噺)を初披露することに為っている。
4年前の年末独演会では、小談志師匠の師匠、立川談志師匠の十八番である『芝浜』を演じられた。師匠(立川談志師匠)譲りの『芝浜』は、実に見事で、場内からは、
「お見事!」
の、声が掛かった程だった。
『芝浜』は『富久』と並ぶ、年末噺の大ネタだ。
その様な経験が有ったので、私は昨年の独演会に並々ならぬ期待を抱いていた。もしかしたら、小談志師匠の年末話は、面白いと思い込んでいたからだろう。
 
落語家さんの個人独演会は通常、先ず若手の前座さんが一席演じて場を温め、次に師匠が登壇し二席又は三席、噺を演じるものだ。どの様な噺をされるかは、始まる迄解らないのが独演会の楽しみの一つだ。
当日の小談志師匠は、いつにも増して気合が入っていらっしゃる様子だった。一席目と二席目は、私も天狼院・落語部の際に拝聴したことが有る小談志師匠お得意のネタ、『辰巳の辻占(たつみのつじうらない)』と『夢金』という、冬場にピッタリの噺を演じて下さった。
 
 
中入り(休憩)後、再び高座に上がられた立川小談志師匠の御召し物を見て、私の期待はさらに膨らんだ。何故なら、小談志師匠は冬場には珍しい縞(しま)の着物に黒紋付といった出で立ちだったからだ。
落語という芸は、噺だけでなく衣装にも季節感をこだわるものだ。縞の着物は、庶民的感覚では夏場の着物に多い柄で、江戸の町で冬場に縞の着物を着ている者は、相当の傾奇者(歌舞伎者・かぶきもの。目立ちたがり屋のこと)と相場が決まっていたからだ。当時の傾奇者といえば、役者や芸人・太鼓持ちというのが常だ。
小談志師匠の出で立ちは、
「芸人の噺をします」
と、観客に宣言していることに為るからだ。
 
短い“まくら”の後、小談志師匠は、
「江戸浅草に久三という、大層酒好きの太鼓持ちが居りました」
と、話し始められた。
『富久』だ。
最前列に陣取った私は、全神経を集中して小談志師匠の話しと所作を見詰めた。
 
立川小談志師匠の『富久』は、見事だった。
太鼓持ち・久三の“お人好しさ”描写は、小談志師匠の得意とするところなので当然と言えば当然だった。
私が注目したのは、自分の家が火事に遭いそうになり、取り急ぎ浅草へ戻る久三の走る姿だった。
直近で観た大河ドラマ『いだてん』での若き志ん生師匠(森山未來)は、大河ドラマのテーマが‘マラソン’だったこともあり、立て膝になり大きく両腕を振り、
「どいた! どいた!」
と、大声をあげながら走っていた。まるで、アスファルト路でランニングシューズを履いて大股で走る、マラソンランナーを彷彿とさせていた。
一方、独演会の小談志師匠は、正座したままで、腕も大きく振らずに走っていた。自分に家が燃えようとしているのだから、焦っていない訳はない。小談志師匠はその焦りを、なんとも不安げな表情だけで演じて見せてくれた。『どいた! どいた!』の声も落語の江戸弁にしては小さめだと感じた。
走る動作の小ささは、舗装されていない石ころだらけの道を、草鞋(わらじ)で走る辛さと思えた。声が小さいのは、真っ暗闇の中を提灯片手にはしるには丁度いい具合に見えた。
しかも、裾を端折っているとはいえ、着物姿では大きく足を広げることが出来る訳がないので、小さい動作により信憑性が増したと私は感じた。
 
落語は笑いを誘うものなので、人情噺で無い限り涙を誘うことは珍しい。特に『富久』は、主人公がお人好しの粗忽者(そこつもの)なので、笑い声は出ても泣けるなんて考えてもいなかった。
ところが、小談志師匠の『富久』熱演に、私は不覚にも目頭が熱くなってしまった。仕舞いには、唇がワナワナして来て、笑うには苦しいマスクに感謝しなければならなくなった。
人間、感激すると涙ぐむ動物の様だ。
 
何度も聴いたことがある、サゲ前、久三が焼け残った(長屋は延焼していた)富籤を入れて置いた大明神の祭壇の扉を開ける段。私は、思わず息を呑んで緊張してしまった。
サゲの『大明神様だけに、これで方々の御祓いをします』(富籤の賞金で方々の借金の払いが出来る意)を拝聴すると、これまでになくスカッとした。
現に、一年近く経った今でも、この時の小談志師匠の熱演を想い出すと、途端に機嫌が良く為るものだ。
 
私は、古今亭志ん生師匠の『富久』を生で体験していないので、引き合いには出せない。しかし、御世辞抜きで先代・圓楽師匠や、小談志師匠の師匠・立川談志師匠の『富久』に、小談志師匠のそれは決して観劣りするものではなかったと思っている。
 
 
このところ、メキメキと腕前を上げられている立川小談志師匠。
十数年後には、“名人”“上手”と呼ばれていることだろう。
もしかしたら、御自身の宣言通り、“立川小談志”が大名跡(だいみょうせき)となっているかも知れない。
しかし、歳喰った私にはそれを確かめようが無い。
 
ここは一つ、後に続く落語ファンに検証を委ねることにしよう。
 
 
ただ、これだけは覚えていて頂きたい。
ネタ下ろしで、
「小談志の『富久』は絶品」
と、言っていた男が居たことを。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
天狼院メディアグランプリ38th~41st Season 四連覇達成

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2021-11-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.147

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