そして私は静かに常連になった
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:山本三景(ライティング・ゼミ12月コース)
「ちょっとの間だけ店番をお願いしていいですか?」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
一応語尾を上げ、許可を求める形にはなっていたが、それは「お願いします!」にほぼ等しい響きをしていた。
私は思わず「はい」と答えた。
5年以上も前の話になる。
当時の私は、レトロな良い雰囲気の喫茶店を探しては、一人で入って珈琲を飲むという、いわゆる『レトロ喫茶めぐり』をしていた。
その日訪れた喫茶店は初めてではなく、一度入ったことがあった。
10人ぐらいしか入らない小さな喫茶店で、前に入ったときは常連と思われる客が2人ぐらいしかおらず、静かで大人な雰囲気のお店だった。
(また、あの喫茶店に行きたい)
そう思い、再びその喫茶店を訪れた。
扉を開けると、客は私しかいなかった。
席に座って珈琲を注文すると、渋めの器で珈琲が出された。
砂糖やミルクはこちらからお願いしないと提供されない。
珈琲本来の味を楽しむ、本格的なスタイルの喫茶店だ。
珈琲に入れるミルクを頼んでも、チェーン店で出されるようなミルクではなく、ちゃんとしたミルクピッチャーで提供される。
落ち着く。
珈琲を飲み、店内に置いてある雑誌を読みながら、ゆっくりと流れる時間にうっとりとしていた。
そんな悦に入っているときに、突然、店員さんに店番を頼まれたのだ。
(え? 店番? 私が?)
クエスチョンマークが脳内を占拠した。
店員さんは私の答えを待つまでもなく、エプロンの紐をほどきながら続けてこう言った。
「もし、他にお客さんが来たら、すぐに戻りますと伝えてください」
そう言って、店員さんは慌ててお店を出て行った。
どうやら銀行に両替をしに行ったようだ。
そして私は一人お店に残された。
自分で言うのもなんだが、確かに真面目そうな顔はしている。
道もよく聞かれるタイプだ。
静かに本を読んでいたので、常識は持っているように思われたのかもしれない。
好印象というより、前回、来店したときも本を読んでいたので、滞在時間が長かったことを店員さんが覚えていたのだろう。
そして、一人だったので店番を頼むには最適な人物だったのかもしれない。
しかし、私の来店歴はまだ浅く、常連とはいえない客である。
まあ、常連であるかどうかは関係なく、店員さんにとって、店番を頼む条件をただ私が満たしていただけだったのかもしれないが、私は結構な小心者である。
緊張で鼓動が速くなった。
(他のお客さんが来たらどうしよう……)
「店員さんは今ちょっと席を外していて、すぐに戻ってくるのでちょっと待っててくださいね」
そう言うだけなのだが、通常であれば言葉を交わすことのない人に、軽く言うことが私にできるのだろうか……。
これは難しいミッションだ。
脳内で何度もセリフを繰り返す。
もうちょっと軽い感じのほうがいいか。もう、演技をする感覚だ。
きっとこのお店に入る人だ。悪い人はいないだろう。
大丈夫、きっとこのミッションを無事にこなせるはず。
できる、私はできる。
そのとき、ふと脚本家の三谷幸喜のエピソードを思い出した。
たしか、三谷幸喜が大学時代に喫茶店で1日だけ店長を任されたときの話だ。
ホールもレジも厨房も、すべて1人でやらなければならず、メニューを勝手に珈琲だけにしたけれども、それでもさばききれず、最終的に三谷幸喜はゴミを捨てにいく振りをして、そのまま逃げだしてしまうのだ。
(さすが三谷幸喜、バカだな~)
と、面白く思っていたが、あのときの三谷幸喜の気持ちが今なら少しわかるような気がした。
(どうかお客さんが一人も来ませんように!)
そう強く願い、雑誌のページをペラペラめくり、心臓をバクバクさせながら私は冷静を装っていた。
そして10分ぐらい経過すると、店員さんが何食わぬ顔で裏口から戻ってきた。
「すみません、ありがとうございました~」
さっきとはうってかわって表情が緩くなっている。きっと店員さんも安心したのだろう。
(終わった! 私はミッションを完遂した!)
私はすさまじい葛藤があったことを微塵も感じさせないようにこう言った。
「留守にしている間、新しいお客さんは一人も来ませんでしたよ」と。
緊張で珈琲の味はおぼえていなかった。
雑誌もページをめくるだけめくり、また最初に戻してはパラパラとめくっていただけなので、内容は頭にはいってこなかった。
そして、何事もなかったかのように、「ごちそうさま」と席を立ち、支払いをして店を出た。
もう、あんな体験をすることはないだろう。
その後、何度か喫茶店を訪れてみたが、もう店番を頼まれることはなかった。
店員さんは私に話しかけることもなく、いつもそっと一人にしてくれる。
あの日の二人のテンパりが、まるで幻だったのではないかと思うほど、何事もなかったかのように……。
私が珈琲を頼むと、さりげなく珈琲にミルクが添えられる。
そして私は静かに常連になった。
***
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