罵倒してしまうくらいに誰かを愛したことがありますか
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記事:Yushi Akimoto(ライティング・ゼミ)
生前の祖母は、僕が生まれる前に起きたある出来事をきっかけに国内でも稀な難病を患ってしまい、それで僕の記憶の中の彼女はほとんど寝たきりの状態だった。うまく言葉を発することができなかったのも病のためで、祖母と何か会話をしたという覚えがあまりない。祖母の世話をしていたのはもっぱら僕の母と、そして祖父だった。母は、田舎の小さな酒販店を営んでいた父とともに4人の子どもを抱えながら店を切り盛りし、家事をこなし、祖母のケアをしていた。
まだ僕が幼かったころ、2階にあった祖父母の寝室が、土間の部分に増築した1階の和室に移った。今、その部屋は、両親の寝室になっている。広々としており、新しい畳の独特のにおいが印象的で、我が家で唯一のエアコンが設置された。祖母のために大きなリクライニングベッドも置かれた。祖父はその横に布団を敷き、夜8時頃には床についていた。5歳ぐらいのとき、たまたま観てしまったホラー映画がトラウマになり独りで夜を過ごせなくなってしまった僕は、図々しくも祖父の布団と祖母のベッドの間に陣取り、祖父にしがみつくようにして一緒に寝ていた。ものの数分で寝息を立て始め、暗闇の中に僕を独りぼっちにする祖父をいつも恨めしく思いながら。
祖父母の寝室をなかなか卒業できずにいたある夜、突然の衝撃に寝込みを襲われ、目が覚めた。寝ぼけた頭では、何が起こったのか咄嗟に判断することができなかった。自分の体にのしかかってくる重み。押しつぶされるような痛み。「痛い! 痛い!」僕が必死にひねり出した声に祖父が目を覚ました。「どうした!?」慌てて祖父が電灯を点けると、ベッドの上で寝ていたはずの祖母が、僕に覆いかぶさるように横たわっていた。祖母が、ベッドから落ちてきたのだ。いや、「落ちてきた」といっても、祖母の寝相が悪かったわけではない。ベッドには手すりがついているからだ。つまり、祖母は、意図して手すりを自ら乗り越え立ち上がろうとし、それに失敗して僕の上に倒れ込んできたのだ。
祖母の故意の事故であることを状況から察した祖父が、急に怒鳴り声を上げた。「なんで勝手にそんなことをする!!」可愛い孫である僕にはよっぽど見せたことがないような怒り様だった。トイレに行きたいと訴えた祖母を起き上がらせ、トイレに連れていき、再度ベッドに寝かしつけるまでの祖父の一連の動作は傍から見ても乱暴で、子ども心に恐ろしさを覚えた。ごめんな、痛かっただろう、大丈夫かい? 祖母の過失を僕に詫びる祖父の、本当に申し訳なさそうな素振りが、祖母に対する態度と対照的で、かえって強く印象に残った事件だった。
別の日。母が店番を抜けて夕食の準備に取り掛かる頃、祖父母の寝室の入り口付近で不意に大きな物音がした。リビングにいた僕と祖父が何事かと駆けつけると、なんとベッドで寝ているはずの祖母が倒れていた。トイレに一人で行こうとベッドから起き上がり、自ら数メートル這ってきたのだろう。リフォーム後に寝室の入り口に据え置かれた手すりにつかまって立とうとしたところ、誤って転んでしまったらしい。再び祖父が激しく怒った。「馬鹿野郎!! なにやってんだこんちきしょうめ!!」倒れている祖母を起こしながら、殴り掛からん勢いで怒鳴り散らす祖父。東京生まれ東京育ちの江戸っ子気質は、決まって感情を露わにしているときに顔を出すのだった。
幼い僕は、祖父に罵られる祖母に同情していた。きっと、祖母は自分が祖父や母の手を煩わせていることを嫌というほど感じていたに違いない。だから、人の手を借りず、独力でトイレに行こうとしてしまったのだろう。結果的により迷惑をかけてしまっているとはいえ、祖父も少しばかり祖母の気持ちを汲んでやれないものだろうか。不器用にも程がある。そんな風に思っていた。
その後、祖母も年を経るにつれて徐々に容体が悪化し、一時入院したこともあって、さすがに無茶をすることはなくなった。そして、僕が小学5年生のとき、あの1階の寝室で、祖母は静かに息を引き取った。いつも家にいた人がいなくなったことのショックで、僕は自分でも驚くほどにたくさん泣いた。父が言葉に詰まらせるような場面を目撃したのは、祖母の葬式が初めてだった。愛する妻に先立たれた祖父は、少なくとも孫の僕の前では気丈に涙を見せずにいたようだった。そして、会ったこともない親族や近所の人が次々と家に出入りする慌ただしい日々がようやく落ち着いたころ、僕は、我が家に訪れた小さな変化を認識する。
祖母は、増築のタイミングで祖父母の寝室に移された仏壇に祀られた。その仏壇の前で、祖父が、毎朝お経を読み上げるようになったのだ。その習慣は、四十九日が過ぎた後も継続された。祖父が自宅にいる日は必ず続けられていたようだ。当時すでに70歳を越え、細かな物忘れが目立つようになっていたはずの祖父が、仏前に置かれていた般若心経を手に取りお坊さんの読経の調子を真似ているうちに、いつの間にか暗誦するようになっていたことには、正直に言って、驚かされた。背筋をピンと伸ばし読経する姿は、凛々しささえ感じられた。
そんな祖父の様子を横目に見ながら通学の支度をする日々が続き、ある夜、眠りにつく前に、唐突に、祖父母との思い出が甦ってきた。僕が小学2、3年生のころだったろうか。とある休日の朝、祖父が、車で出かけよう、と僕に提案してきた。それ自体はよくあることだったが、珍しいことに、祖母も一緒だと言う。行先は、毎月のように祖父が孫たちを連れていく小さなテーマパーク。正直、特にメリットを感じなかったが、特に予定もなかったので、いいよ、とついて行くことにした。他の兄弟はたまたま都合が付かず、祖父の愛車であるエスティマの車中には祖父母と僕の3人だけだった。祖父は、車いすに祖母を乗せてテーマパークを練り歩く。時折、僕も車いすを押すのを代わった。祖母がいること以外はいつも通りの楽しい休日を過ごした後、帰りがけに祖父がおもちゃ屋へ寄ってくれた。好きなテレビゲームを買ってやる、と言う。僕は、不思議に思いながら、スーパーファミコンのゲームを1つ、買ってもらったのだった。こちらからねだったわけでもないのに、祖父から唐突に提案されるのは珍しかったので、そのときに購入したソフトのタイトルも含めて、割とはっきりと記憶に残っていたのだった。
そういえば、なぜ祖父はあのときゲームを買ってくれたのだろう。孫にめっぽう甘く、しょっちゅう孫と出かけていたが、気まぐれにゲームを買ってくれることなんてなかったのに。いつものお出かけと違うとすれば、それは助手席にいる祖母の存在だった……。
「あっ!」
布団の中で思わず声を漏らしそうになった。そうか。あのとき、ゲームを買ってくれたのは、孫への優しさなんかじゃない。祖母がいたからだ。おもちゃ屋に寄ってくれたのは、寝たきりでなかなか出かけられない祖母を連れ出すのについてきてくれた孫への感謝の気持ちからだったのではないか。潤沢な厚生年金のおかげで元々気前が良い人だったとはいえ、思いつきで孫にゲームを買うような真似はしなかったのだから。
あれは、気まぐれでもないし、孫への愛情でもなかった。長年連れ添った妻への愛ゆえの行為だったのではないか……。その可能性について思考を巡らしているうちに、とうとう僕は、祖父が毎朝の読経に取り組み始めた意味を理解するに至った。オセロがたった一手でパタパタと裏返っていくように、祖父母に対する僕の視点は完全に逆転した。今さらそれに気づいた自分を、むしろ、強く恥じた。
そうして、あのとき祖父が、家族に、そしてきっと誰よりも祖父に迷惑をかけまいとした祖母に対して烈火の如く怒った理由も、わかってしまった。僕は、祖父ももう少し祖母の気持ちを考えてあげたらいいのに、と思っていた。違う。勘違いも甚だしい。まるっきり正反対だった。祖父は、祖母が家族の手を煩わせることに申し訳なさを感じていることも知っていた。祖母がそれゆえに一人でトイレに行けるようになろうと自分なりに努力していることも、痛いほどわかっていたのだ。それゆえに、激しく怒ったのだ。
ああ、そうだったのだ。
振り返ってみると、祖父が祖母に対して強い態度に出ることがあっても、日常的に、祖母は祖父を変わらず頼っていたし、祖父を避ける素振りを見せたことはなかった。祖母もまた、祖父を愛し、信頼していたのだと思う。祖父が怒る理由を、祖母もきっと受け止めていたに違いない。そして、僕の両親が、熱くなる祖父に対し、そこまで言わなくてもいいじゃない、と割って入ることもなかった。これまでの祖父母の関係性を見てきた両親も、きっとわかっていたのだろう。そう考えれば、すべての辻褄が合う。
あの「馬鹿野郎!!」は、祖父母がどれだけ強くつながっているかを端的に表した言葉だった。二人の関係性があって初めて成り立つコミュニケーションだった。
迷惑をかけているなんて思わなくていい! お前が怪我でもしたらそれこそ困るんだ! 俺がお前の面倒を最後まで見ると決めたんだ! 申し訳なさなんて感じる必要は一切ないんだ!
あの「馬鹿野郎!!」の裏には、祖父と祖母の、愛と信頼を積み重ねてきた長い歴史があったのだ。
あれから月日は流れ、4人の孫の社会人デビューを見届けた後、ひ孫と顔を合わせられるまであと数か月というところで、祖父もこの世を去った。それは孫にとって本当に悲しい別れだったけれど、「ああ、これで、祖父も、祖母と一緒にいられるのか」と思えたのは、唯一の救いだったかもしれない。
朝の光に照らされながら、祖母の遺影に向かって毎朝読経する祖父の姿は、どんな言葉でも語り尽くせない大切な何かを示してくれていたと思う。そう考えることで、僕という存在の礎となった歴史の重み、そして、愛する人を持つことの希望というものに気づくことができたのだから。
あの祖父母の遺伝子はいくらかでも僕に引き継がれているということになるが、今なら、こう思える。そうか、それも悪くないかもな、と。
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