言葉が遅かった息子の20年後
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記事:南部利江子(ライティング・ゼミ4月コース)
「この子は学校入っても成績はふるわない。勉強にはついていけないということだよ」
健康診断のつもりで受けた場所で初めて会った医師に言われた言葉である。
息子が2歳半くらいの時。
(どうしてそんな事わかるの? どうしてそんな事言えるの? 会ったばかりで胸と背中に聴診器あてただけじゃない。なんでそんなひどい言葉で将来否定するの! この子の人生は今始まったばかりなのに)私は心の中で何度も医師に向かって叫んだ。しかし、表向きは黙っていた。何か言葉を発したら雪崩のように口から罵る言葉と目からは熱いものが吹き出しそうだった。
息子は1歳半健診で母子手帳の発達目安欄では自分の名前を呼ばれたとき「はい」と返事ができるに○がつくだけで、ママも言わなかった。いわゆる言葉の発達が遅れていた。2歳で2語文が言えますかのチェック欄も○はつけられなかった。
「お母さん、お菓子食べたい。帰りに公園も行きたい」
まわりの同い年の子達がこのくらいの会話はお母さんと普通にしている。
私は何処かに息子が走っていかないようギュッと手を握り続けるか、目を離さずに後ろを影のようについてまわる日常だった。それでも、こちらの言っていることは理解しているのは生活の中でわかっていたので、それほど心配していなかった。
例えば「隣の部屋からテイッシュの箱とってきて」と頼めばすぐに持って来てくれる。単語の絵カードも全て取れる。物の名前や動詞の意味は理解している。ただ、発語としてはそれらの単語は1つも出てこない。もうすぐ幼稚園に入る年になり先生や周りの子とやっていけるだろうかと心配になり保健所に相談したところ、発達検査と併せ身体の発達も見ることになった場面で医師からの先の言葉であった。
「週に一度という形で通所してみませんか」その施設の別の先生が部屋から黙ってでる私に声をかけてきた。当時はワンオペなんて言葉はなかったが、実家から遠く仕事からの帰りも遅い夫には相談しても、心配する内容は伝わらなくもどかしさを感じていた。また、幼稚園準備くらいの軽い気持ちで通うことにした。
駅から一本道。5分も歩くと寂しい通りになる。秋から冬になるくらいの季節。午後からコースだったので帰りはうす暗くなる中黙って2人で歩いていると、真っ暗な先の見えないトンネルをひたすら歩いている気分になった。家に帰ると夕飯の支度の時間帯だったが、玉ねぎからキュウリに切るものが変わろうと涙をこぼしながら台所に立った。そんなうつうつとした気分になるのでクリスマスの前には通うことさえ止めてしまった。
(子供のためにいいから勧めてくれたのに、私が嫌で通わなくなった。この子はこのままではやっぱりダメになってしまうのだろうか)
ワンオペ育児は全部自分で解決するしかないと思い込んでしまい、悪いことは全部母親である自分に原因がある。そんな風に自分を追い込んでしまっていた。見えない繭の中で親子二人で過ごしていたという苦しい時期だった。
それでも、幼稚園に通う時期にはこの2人だけという時間に少しの風穴があき、相変わらず言葉は少ないものの、幼稚園に通う中では何かについていけないという事はなかった。(あの医師はいい加減な事を)私は息子が運動会でお遊戯を踊る姿を見ながら思った。
「お友達との遊びの中に入っていきませんね。男の子は戦いごっこが流行ってるのですが」幼稚園の先生からの年一回の面談時の言葉。
「そうだと思います。息子は車が好きですが戦隊ものはテレビも見ません」と事実を言ったが、要はコミュニケーションに問題ありといわれたのだ。わかっているがどうすることもできなかった。
そうした頃に第二子を里帰り出産のため実家に息子を連れて戻ることになった。この頃は4歳だったので2語文はポツポツの「ポ」くらいは発語することもあったが、圧倒的にしゃべるまくるジジ(祖父)とババ(祖母)との暮らしでは「うん」と返事すれば何でもでてくるので、たいして言葉を話さなくても一日は過ぎていった。
さて出産当日。赤ちゃんがくる、弟ができるってどんなこと? 理解しているのかな?
息子は陣痛で苦しむ私の横でババに連れられてカツ丼を食べていた。夕食の時間だったのでお腹がすくだろうとババが私の分と息子の分を産院に持って来てくれた。私はとても食べられないので置いておいたら、なんと私の分まで黙ってモリモリと食べ始めた。
定期的に痛んだり治まったりする腹痛に苦しみながらも息子の豪快な食欲を見ていると気が紛れた。
次男は3822gの大きな子で、お腹から出てくるのが大変だった。痛すぎて途中気が遠くなる感じになったが看護婦さんの言葉で正気を保った。所々で記憶が飛んでいる。産声も憶えていない。ぐったり。ベッドに倒れこむよう横になり病室で後産の痛みに一人うなっていた。出産時の強烈な痛みも大変だがこのいつ終わるともしれない痛みも苦しいものである。これからお産する人? と勘違いされるくらいウンウンとうなり続けた。
そこにパタパタと慣れない大きなスリッパで音を立てながら近づく足音。
顔をあげるとまん丸顔にキラキラした瞳とちょっと紅潮した頬。
「お母さん。おめでとう」長男が大きな声でニコニコしながら私に言った。
「ありがとう。お兄ちゃんだね」そう私も答える場面だが感激しすぎた。でも、たぶん
「ありがとう」は返せたと思う。
あの場面であの言葉。ズキズキした痛みはジンとした何かに変わった。
あれから20年近くの月日が流れた。長男は相変わらずの車好きでスポーツカーを乗りまわす。そして、ある日「好きな人ができたから一緒に暮らしたい」と家をでることになった。
引越し前日、車のバッテリーがあがるトラブルがあり、自宅駐車場でバッテリーを充電しながら、つまり大きなエンジン音をブンブンかけながら引っ越しのあいさつをするという
なんともせわしない別れの場面となった。
送り出す私のところに駆け寄り180cmの身長から私を見下ろす。
見下ろしているのだが、真っ直ぐな感じがする。
「じゃあ、お母さん。行ってくるね。元気でね」
私はやっぱり何にも言えない。ただただ、その手を握り返しウンウンと大きく頷いた。
泣いていると気づかれたくなく下を向いた。本当はもっと別れを惜しみ色々言いたいがエンジン音がうるさく言えない。
25歳の息子は相変わらず寡黙だ。しかし、ちょうどの場面でタイムリーヒット的な決め台詞が言える。医師のあの時の言葉はやっぱり外れていた。成績がふるわない科目もあったが黙々と努力して克服していった。そして、自分の選んだ学校に合格し就職も親にはなんの相談もなく決めていった。
しかし、一体あんなに普段話さないのに、どうやって就職面接を突破し彼女もできたのだろうと実のところ未だに謎である。やはり、ちょうどの場面で刺さる台詞がいえるからか。それとも、家から一歩出れば違う顔で饒舌なのか? 子供の本当の性格。親は知っているつもりで一番知らないのかもしれない。
***
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