メディアグランプリ

星と業


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記事:たらちね(ライティング・ゼミ8月コース)
 
 
夫は星を持った男だ。
私は業を背負った女だ。
 
結婚し、夫の過去や境遇を知れば知るほど、私はこう思ってきた。
家庭が裕福で、中学から有名私立校をエスカレーターで上がった夫。高校時代には交換留学でアメリカに行き、大手企業からITベンチャーへ。多くの友人に囲まれ、性格は超絶ポジティブ。人生で挫折したことは一度もないと、なんかうまくいってきたんだよねと、彼は飄々とのたまった。
 
私は、というか我が家は、苦労の連続だった。
私が小学1年のとき、父は会社の経営に失敗し、多額の借金を背負うことになった。「引っ越しするけど誰にも言ってはダメよ」と母に言われた一週間後の、ある3月の朝、教室の隅で担任の女の先生がピンク色の可愛いジャンパーをくれて、私を抱きしめて泣いた。その日、一家で夜逃げした。
 
私が大人になってから母に聞いたことだが、父は倒産寸前の会社の社長におだてられ、代わりに社長になり、全責任を押しつけられたのだという。その男は、東北の山奥の村から出てきたお人好しの父に、多額の保険金をかけていた。一家心中を見越していたのだ。
目論み通り、父は一度は死のうと考えたが、母に引っぱたかれて思いとどまった。秋葉原に住み込み、昼は家電量販店、夜はバーテンと働き詰めでコツコツと借金を返済していった。母は東京の西の小さな町で、新聞配達とパートを掛け持ちしながら、小学4年から1歳の4人の子を育てた。
 
そのせいで我が家はとても貧乏だった。2間のアパートで母と四人兄弟ぎゅぎゅうに暮らした。市販のお菓子は買ってもらえず、もらってきたパンの耳に砂糖をまぶしたものがおやつの定番だった。スイミングも書道も公文も、お金がないからと通わせてもらえなかった。誕生会で友達がいっぱい来てくれたとき、母がホットケーキ(小麦粉とふくらし粉の)を3段重ねてクリームを塗った自作ケーキを出し、女の子たちが「なんか、固いね……」と顔を見合わせていたのを覚えている。
高校生になって家は3間になったが、外国に行ってみたいのも運転免許を取りたいのも、自分でなんとかするしかなかった。
貧乏だけじゃない、我が家には本当に多くの苦難があった。
 
私はずっと、成り上がりたかった。東京都であることが申し訳ないほどの片隅の町から都会へ出たかった。我が家の強い業からいち早く抜け出し、成功してお金持ちになりたいと思っていた。
奨学金をもらい、兄弟4人の中で一人だけ四大へ行った。別の奨学金で1年間留学にも行った。教習所に通わず免許も取った。大手メーカーに総合職で内定した。借金を完済しガリガリに痩せた両親は、とても喜んでくれた。
 
それから10年、成り上がりたい気持ちが空回りして、間違った結婚をしたり手痛い失敗も数多くしたが、今の、強い星を持った夫と巡り合うことができた。
それでも私は、相変わらず業を背負ったままだった。油断するとすぐに嵐が来て、波の中に引きずり込まれる。呼吸できずにジタバタもがいていると、サーフボードに乗った夫が陽気に現れ、「大丈夫、大丈夫」と私を引き揚げた。もしくは「そこ足つくよ」と笑いながら私の手を取った。
そんなふうにして、結婚して15年、泣いたり暴れたり心を閉ざしたり(全て私が)、大変なこともありつつ結果としていい方向に導かれてきたのは、夫の星の強さが、私の業の強さより優っているからだと、結構本気で思ってきた。
 

 
「あいつのせいだ」
これまで私は、年に数回、何かの拍子に父を騙した男のことを思い出しては歯ぎしりをした。私がその時大人だったなら、訴えるなり助けてあげられたかもしれないのに。過去に戻れるなら、ああしたのに、こうしたのにと眠れなくなった。
 
ところが先日、私の家に泊まりに来た父が、ウッドデッキでビールを飲みながら、思いがけずあの頃の話をし始めた。父から出た言葉に、私は衝撃を受けた。
「あの社長のおかげで俺は力をつけられた。そのスキルが後の仕事につながった。今でも感謝しているし、彼の幸せを祈っているよ。子供4人を連れての夜逃げだって、助けてくれた人が何人かいてね。いまだにその人たちにはたまに会いに行ってお礼を言っているんだよ」
 
恩を忘れない生き方。濃くて温かな人間関係の中で生きてきた彼ら。
端から見たらひどい人生だったのに、辛抱強い雪国育ちの彼らは、むしろ成長の機会だったと、生きる実感のある素晴らしい日々だったと感謝をしていた。
70歳を過ぎた夫婦が、顔を見合わせて「うんうん」と微笑み合う様を眺めながら、ああ、彼らは幸せなんだ、幸せだったんだと思った。
 
夫婦も、4人の兄弟も、そのパートナーたちも仲が良く、思いやり合い、元気に暮らせていること。どんなにお金を積んでも手に入るわけじゃない、このことが、彼らが苦労の中でも死守してきた一番の宝物だったとしたら。目の前にいる二人が急に「勝ち組」に見えてきた。
 
業だと思っていたものは業ではなかった。
彼らにとってのこれまでは、星のキラキラ輝く人生に他ならなかった。
そう、きっと私の人生だって……。
 
建仁寺の塔頭、両足院の和尚からこんな話を聞いたことがある。
「過去は変えられる。過去を振り返り、あのせいでと思うのか、あれがあったからと思えるのか。後者は、過去を変えた人です」
 
私はもう、業を背負っているという認識をやめようと決めた。そしたら、業でも星でも、どっちでもよくなってしまった。
夫は、星の強い男じゃなくて、私の最愛の人だ。
私は、業の強い女じゃなくて、かけがえのない、私だ。
日々のあらゆることを喜び、感謝し、信じ、ひたむきに生きる。それ以上の美しいことがあろうか。
 
35年かかって、この秋、私は過去を変えることができたのだ。
 
 
 
 
***
 
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2022-09-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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