ドラキュラ伯爵には首筋よりも乳房を《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:あかり愛子 (プロフェッショナルゼミ)
私の、9年近くになる結婚生活のうち、授乳生活があしかけ6年に及んでいたことに、ふと気が付いた。
別に、子だくさんなわけではない。
子供は二人。
それぞれの授乳期間が長かっただけだ。
上は2歳半まで、下は3歳半まで飲んでいた。
それにしても6年も授乳していたなんて。
特にポリシーがあったわけでもなく、最初の子を産んだ直後に育児雑誌で読んだ「断乳? 卒乳? どっちにする?」的な特集で「赤ちゃんが自分でやめ時を決めるのが卒乳かぁ……面白そう!」と軽いノリで決めたにすぎない。
ちなみに、もう一方の断乳とは、母親が母乳を飲ませるリミットを決め『その日』に向けて準備を進める計画的なものである。
どちらにもメリットがあり、デメリットがある(らしい)。
断乳のメリットは、決めた時期にすぱっとやめられること。
1歳の誕生日から2歳半あたりをタイミングに選ぶことが多いそうだが(離乳食に切り替えるためだったり、母親の仕事の都合だったり、歯が生えてきた赤子が噛みしめて傷になるからだったり、ストレスで母乳が減ってきたりと理由はいろいろある)、前々からきちんと言い聞かせることによって、赤子にも覚悟が伝わるのだという。
儀式に近いかもしれない。
ただ、母乳というものは基本的に「飲まれれば作られる」ものである。
個人差はあるが、多い人なら数時間で乳房の限界まで作られ、痛さを通り越して乳房全体が熱を持ってくる。
私の経験でいうと、その場合、乳房は丸みを通り越して直線的なフォルムにまで近づく。表面は滑らかさを失い、乳腺に作られすぎた母乳でぼこぼこしてくる。パンパンに張った乳房は痛みで感覚もなくなり、それでも放置しているとダム決壊のごとく、勢いよく母乳が放射される結果となる。
つまり、計画的にやめようと考えても、体の方はそんな都合など聞いてくれないのだ。
よって、母親は適度に乳を搾って減らしながら(搾り過ぎると、体は飲まれたと判断してまた母乳を作ってしまう)、徐々に作られる量を落としていくことになる。
特に最初の数日は乳房の痛さと、それに伴う発熱や頭痛、さらに、欲しがる子供にあげられない辛さで寝込むほどのダメージを受ける、人もいる、らしい。
ほとんど修行である。
ただ、親子で乗り越えた後の達成感は大きいのだと聞く。
さて、卒乳であるが、こちらは全く終わりが見えない。
お子様次第。
子の気が済むまで飲ませ、子の判断で終わらせるのだ。
ところで、世界保健機関(WHO)とユニセフは『2歳以上までの母乳育児』を推奨している。
全世界が対象なので、そこにはたとえば衛生環境の悪い地域においては、無理に粉ミルクを調製するよりも母乳の方が清潔かつ経済的で良いという理由も多分に含まれる。
それに私は別に「母乳神話」論者でもない。
栄養があるから! 愛情を感じるから!
だから何が何でも母乳でないとよくないのよ! なんて、全く、1ミリも思わない。
ただ、この文言は「とりあえず2歳以上まで母乳をあげても別に問題はないよ」ということは間違いなく示していると思う。
つまり、2歳を超えて与えなくてもいいだろうけど、続けても別に問題はないということだ。
私は単にすっぱりやめるのがきつそうなのと、子供がいつやめるのかを知りたくて続けることにした。
ちょうど子供が1歳になるタイミングで仕事に復帰したため、そこからは日中の授乳は不可能になる。
保育園では離乳食を食べることになったが、どちらも食いしん坊なので特に問題なかった。
昼間はイモのペーストだのおかゆだのを、もぐもぐ食べていたようだ。
一方私は、張ってくる乳房を職場のトイレに隠れて適当に絞り、水分を控えて夕方に備える。
お迎え後、晩御飯の用意までにまず授乳。
お風呂上りの一杯的にまた授乳。
あとは寝かしつけながらの授乳。
さらに夜中も目が覚めると授乳。
こう書くと、自分の時間が取れないほど授乳に縛られた生活をしているみたいだが、実際はまったく逆だった。
なぜなら、子供が欲しがるたびに与えている母乳は、断乳後であればいちいち粉ミルクや白湯で対応しなければならないものだからだ。
その点母乳は、サーバーが体に24時間くっついている。
当時の私は歩く弁当箱であり、水分補給器であり、おやつであった。
外出時は、突然の要求にこたえるために、授乳できる場所を事前に把握したり、街中でもカフェでも対応できるように授乳ケープ(首だけ出しててるてるぼうずのようにかぶり、中で授乳を行うというもの)を持ち歩いたり、さらにはいつでも乳房を出せるような服を着たりと、それなりに用意が必要になるが、特におしゃれ心もなく、人目もたいして気にならない私には、それほど大きな障害でもなかった。
夜など、一緒に横になれば、向こうが勝手に服をあげて飲みたいだけ飲んでいる。
私はそれに身をまかせるだけ。
見ていた母に「動物みたい」とひかれたが、添い乳とはそういうものだ(たぶん)。
快適ずぼら授乳生活。
子が泣けば与え、眠いといっては与え、笑い疲れたといっても与える。
やがて乳房は『常に満タンで張っている』状態を過ぎ『飲めば飲むだけその時に作られる』段階になっていった。こうなると、数時間放置していても張りすぎて痛くなることも減ってくる。
さて、時は流れ、気づけば子供も大きくなっていた。
家にいると気づかないが、デパートの授乳室などでは、その、子の大きさが異様な存在感を放つようになってくる。
生後2か月、3か月の赤ちゃんがひしめく中、しっかり靴を履き、ぺらぺらしゃべりながら授乳スペースから出てくる姿が、母親として気になるようになってきたのだ。
――いやいや、別にいいよね? だってWHOも推奨してるんだし! 世界の平均でいえば、4歳を超えて授乳するのも珍しくないらしいじゃない?
焦り気味に思い込もうとしても、どうにも居心地が悪い。
居心地が悪いということは、どこかに原因があるのである。
自分が、引け目を感じてしまう理由があるのだ。
理由はすぐにわかった。
生後2か月のほよほよした赤ちゃんと、のしのし歩き、片手におやつの煮干を握りしめている我が子。
――切実さが、違う。
それしか飲むものがない赤ちゃんにとってのおっぱいは『いま、飲めないと、命にかかわります!』という存在なのだ。自分の顔よりも大きな、柔らかいおっぱいの温かさと、そこからあふれる甘いミルクは、命に直結しているのだ。
対して今の我が子はどうだ。
ごはんも食べられるし、おやつに煮干をしゃぶれる我が子は、今、完全に嗜好品として母乳を要求している。
いつでも食べられる甘いやつ、くらいの認識で、飲みたくなれば気軽に「おっぱい」とつぶやくだけ。
今私の乳房が誰かに切り落とされても、おそらく、そう困らないくらい、切実度は低い。
上の子も下の子も、私がそう感じる段階で2歳過ぎくらいだったと思う。
しかしその頃、保育園の同じ学年の母親と話すと『まだ続けてる派』は意外に多かった。
「夜だけだけどねー」
と苦笑しながら『まだ続けてる』トークをすることがしばしばだったと記憶している。
保育園ママは、つまり昼間仕事をしている母親たちである。
日中離れている分、母親自身が寂しくて、ついつい授乳を続けてしまう、ということもあるかもしれない。
目を閉じて体に抱きついて、安らかにちゅうちゅうと乳を含む顔は、見ているだけで満ち足りてくるほどかわいい。
実際、母乳を生産するホルモンであるプロラクチンや母乳を運ぶホルモンであるオキシトシンは、母性を引き出すホルモンとも呼ばれている。
乳を飲まれると新たに母乳が作られ、再びそれが乳頭まで運ばれる。
すると、母親は赤ちゃんをかわいいと感じたり、信頼関係が増すのだ。
(つまり母性はホルモンで増えたり減ったりするものなのだ! もともと強い人もいるだろうが、もとから弱くても別に問題などないのです。だって授乳をスイッチとして出てくるホルモンでコントロールされるものなのだから)
日中、子供に会えない分、夜くらいはくっついていたい。
そこで授乳を続ければ、子供だけでなく、母も子供にかわいさを感じたり、心地よい眠気に誘われたりして幸せになれるのだ。
お互いハッピー。
街中では堂々としづらくても、家でははばかることなく続けていればいいのである。
蜜月は、我が家の場合、上の子2歳半、下の子3歳半で終わりを告げた。
最後の方は、保育園の日中の疲れからか、飲まずに眠ることも多くなっていた。
そうすると、乳房の中の母乳も新鮮さをなくし、つまり、おいしくなくなっていく。
飲まれなかった日は、入浴時に自分でほぐして出してみるのだが、その時ぺろりと舐めてみても、どうも前よりおいしくない気がする。
おいしい母乳は『米のとぎ汁のようにやや透明で、すっきりとした甘さがある』そうだ。
濃くて甘すぎるのもよくないし、甘味がないのもまたよくない。
子供が食事として飲んでいる、ごく小さいうちは、母乳も一回の授乳タイム中に味を変えるのだという。
飲み始めは渇きを癒すように薄めでスタートし、徐々に甘味を増して、両方の乳房が空になるころには、デザート的に甘い味になっているのだと、出産した産院で教えられた。
「よーくできてますよねー」
助産師はにっこりと笑ったが、子を3人産んだという彼女は果たして自分で確認もしたのだろうか?
私はそこまでしていない。
ときおりシャワーの時に味見するくらいだ。
それも食事の提供者として、味の移り変わりを知っておきたいという義務感でやっているだけで、そうでもなければ自分のものといえど(おいしそうに飲んでいる子には悪いが)体液なんかたいしてすすりたいとは思わない。
そういうわけで、授乳も最後期には、あまりおいしくなくなっていたというのが自分の実感としてもあった。
そうなると、子供も思い出したように飲もうとしても「なんか違う」という顔をして離れていくようになる。
そんなことが続いて、やがてどちらも完全に飲まなくなった。
寂しい。
授乳中、皮膚を守るために黒ずんでいた乳首の皮がとれ、少し色が薄くなったのを見ながら、ため息をつく。
眠る時、常に傍らにあった甘いにおいのあたたかな体が、自分から離れて平気な顔で眠っているのが寂しい。
下の子が『卒乳』するに及んで、私の、6年に及んだ授乳生活も終わったのだ。
長く授乳することでひとつ、思わぬ方向からの嬉しいことがあった。
言葉が話せるようになった子供からの『味の感想』である。
上の子も下の子も、2歳半頃になって自分の言いたいことがある程度思い通りに言えるようになると、私にそろって感想をくれるようになったのだ。
「あーおいしかった。ママありがと」
「はー、おいしー」
「あとでまた飲むけん、とっとってね」
「ママも飲んだら? おいしーよ」
1歳でやめていたら、絶対に聞けなかった言葉である。
『ああ、おいしくてよかったな』
と、じんわり、自信と嬉しさがこみあげてきたものだ。
精神安定剤や入眠剤のようになっていた『食事ではない母乳』は、安心感だけでなく、きちんとおいしさも届けられていたんだ、と。
そういえば先日、もうすぐ4歳になる下の子が、風呂上がりの私を見ながら言い放った。
「ねえ、その(乳房の)中、まだ、ジュースは入っとうと?」
「え……ジュースなんか最初から入ってませんけど」
「うそ! 入っとうでしょ!」
彼はプリっと怒りながら背を向けて行ってしまったが、そこで『母乳=ジュース』の扱いだったという新たな事実を知ってしまった。
まあ、光栄ですけどね。
おそらく褒め言葉ととってもいいのだろうから。
さて、これで私の授乳生活は終わりを迎えたのだが、その中で母乳に対して新たな興味がいくつも生まれてきた。
たとえば、母乳の味について。
授乳指導においては、おいしい母乳を出すための食事指導はかなり神経質に行われる(実行するかどうかは別として)。
油は控えろ、塩分糖分も適度に摂れ、餅は乳が詰まる、等々。
推奨されるのは、みそ汁と魚と少しのコメの、純和食である。
けれど、世界各地を見てみれば、油をガンガン摂取する地域もあるだろうし、控えろと言われるスパイスやニンニクを山ほど食べる地域もあるだろう。
そこに住む母親の母乳は、ガーリックの風味に満ちているのだろうか?
――本当かな?
そもそも母乳は血液から作られるのだ。
アルコールは入り込むかもしれないけれど、食べ物の匂いまで、母乳に反映されるなんてことがあるだろうか(産院では言われたが)?
私は、指導のアドバイスを「その民族がもともと長く続けてきた食生活に沿ったものにしなさい」という意味なのだと理解することにした。
その民族と、というか、結局はその人個人の体にあった食生活をしていれば、おいしいおっぱいが出ますよ、ということなのだ、きっと。
けれど、その仮説が果たして正しいのかどうか。
実証するには、誰かが『世界中をまわって様々な食生活をしている母親の母乳を味わう』必要がある。
……不可能であろう。
宗教的に肌を出せない地域もあるだろうし、そこでそんな申し出をすれば、最悪、殺される。
はっきり言って、別に知らなくてもどうでもいいことだけに、この先『母乳の味と地域性の違い』について誰かが実証してくれることはないと思われる。
得られる成果に対して、リスクが高すぎるのだ。
残念だなー。
といいつつ私も、自分でやりたいとは思わない。
他人の体液を飲み比べる研究をするには、自分の潔癖具合が邪魔をするのだ。
(例:他人の作ったおにぎりは食べられない)
結果を知りたいとは、心の底から思うのだが……。
しかし最後にひとつ、これだけは確実に言えることがある。
『吸血鬼はトマトジュースでなく粉ミルクを飲め!』ってことだ。
母乳は血液から作られる。
成分に多少に違いはあっても、トマトジュースよりは断然血液に近い。
人間社会に混ざりこみ、血を吸えずに苦しんでいる吸血鬼がいれば、彼の背後からそっと近寄って、無言で粉ミルクを渡してやりたい。鉄分は別にサプリで補ってもらえばよかろう。
見た目に惹かれて、苦しみながらトマトジュースを飲んでいる彼らは、きっと、ずいぶん救われると思う。
それなら、私にもしてあげられる。
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