メディアグランプリ

忘れてしまいたい過去はありますか? 上書き保存された記憶が招いた悲劇


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:くればやし ひろあき(ライティング・ゼミ10月コース)
 
 
人間の記憶はフロッピーディスクに似ている。
保存したデータが消えてしまう。そんなことが昔はよくあった。
困ったことにデータはバックアップが取れるが、記憶はバックアップが取れない。
 
 
人は忘れる生き物だ。
忘れた方が幸せなことも多いし、忘れてしまいたいことも多い。過去に犯した過ちはすべて抹消してしまいたいが、そういうことだけはなかなか忘れてもらえない。
 
 
だから、記憶が消えてしまうのは良いことなのかもしれない。
問題は記憶が「上書き保存」されてしまったときだ。
上書き保存された記憶は、時にゾッとした事態を招くことがある。それはホラー映画よりも恐ろしいことだ。
 
 
「今日のミーティング、もしかして忘れてない?」
 
 
そんなLINEが届いてハッとした。関わっているプロジェクトのオンラインミーティングがあったのを、すっかり忘れていたのだ。
 
 
「すいません。来週と勘違いしてました」と慌てて返信し、ZOOMに入る。なんとも便利な時代になった。
 
 
スケジュール帳には、「来週の予定」としてメモ書きされていた。
どうもカレンダーアプリが苦手で、未だに手書きの手帳を愛用している。予定を忘れぬよう手書きでメモするわけだが、メモそのものが間違っていることも多い。
加齢と呼びたくはないが、どうも脳の機能が少しずつ劣化し始めている気がしてならない。
 
 
先日、高2になる娘と食卓を挟んで話をしていたときのこと。新しい音楽の情報は彼女から仕入れることが多い。最近教えてもらったのは、Mrs. Green Apple。ミセスなのに男性グループだという。
Mr.BIGもMr.Childrenも男性である。昭和生まれの男としては、Mr. Green Appleが正しいのではないかと思う。
 
 
そんなどうでもいい話をしていたら「ホント、おじさんだなぁ」と言われてしまった。
齢45歳。立派なおじさんである。
そんなおじさんにも、青春時代があった。
 
 
DEENの『このまま君だけを奪い去りたい』を聴くたびに思い出す女の子がいる。
中学生の頃、お付き合いしていたソフトテニス部の彼女。帰り道が逆方向だったけれど、部活が終わった後、よく家まで送っていった。おかげで帰りがすっかり遅くなり、そのたび母には心配された。
 
 
彼女の家までの帰り道、何気ない会話をしながら、歩くのは楽しい時間だった。手を繋ぐことすらない、なんとも健全なお付き合いだった。
日暮れの早い秋の公園を、落ち葉を踏みしめながら歩いた淡い思い出。卒業後、別々の高校に通うようになり、自然と距離ができるようになった。
 
 
そんな彼女がくれたのが、この曲のCDだった。だから、カラオケでこの曲を歌うたび、そんな終わった恋を思い出すのである。
 
 
そういえば、中2の頃、1つ年上の先輩と付き合ったこともあった。ハンドボール部の先輩で、焼けた肌がまぶしい彼女だった。
渡辺美里が好きで『夏が来た』という曲の入ったアルバムを貸してくれた。たしか夏はとっくに過ぎ去っていたけれど。
 
 
やはり恋は秋が似合う。
恋と秋刀魚は秋が旬。
おじさんはそう思う。
 
 
『夏が来た』を夏の終わりに聴くたび、年上の彼女から味わった甘酢っぱい恋の味が蘇ってくる。その恋も彼女の受験とともに終わりを迎えた。
 
 
音楽というのは、どうも古い記憶を呼び起こす効果があるように思う。
たぶん誰にだって一曲や二曲、聴くと思い出す恋があるのではないだろうか。
 
 
それで娘に、昔好きだった先輩からこのCDを借りてさ、という話をしたら、「それってどういうこと?」と尋ねられた。
 
 
彼女たちが生まれたのは、スマートフォンの中に無数の音楽が入っていることが当たり前の時代である。
どうやらもう、音楽は貸し借りをするものではなくなったらしい。彼女のためにお気に入りの曲を集めたカセットテープを作ることもないようだ。
 
 
「URL送ればいいじゃん」と言われて味気なさを感じた。
少女よ、恋はもう少し味わい深いものなのだぞ。
 
 
そんな話をしていたら、長男がタブレットPCを持ってきて、「父ちゃん、この映画観てみてよ」と言った。
 
 
音楽にしろ映画にしろ、コンテンツはすべて配信される時代になった。近所にあったレンタルビデオ屋もずいぶん昔に潰れた。昭和の娯楽がどんどん消えていくのは、なんだか寂しい気もする。
 
 
それはホラー映画だった。
「俺はホラー映画だけは観ないと心に決めてるんだ」
焼酎グラスを傾け、僕は長男に告げた。彼は黙って僕から箸を奪い、酒の肴のお刺身を口の中に放り込んだ。
 
 
ホラー映画が嫌いだ。立派なおじさんになっても怖いものは怖い。
長男が偉そうに、「父ちゃん、情けないな」と笑った。
 
 
それで、「いやいや、お父さんだって、ホラー映画を観に行ったことがあるんだぞ」という話になった。
 
 
貞子で有名な『リング』を妻と2人、映画館に観に行ったことがある。
映像でなんとなく、そろそろ怖いシーンが来るというのが察知できる。BGMも恐怖を煽ってくる。そのたびに、僕は妻の腕を掴み、画面から顔を背けた。
 
 
「怖いシーンは観なかったから、全然怖くなかったよ」と笑った。
「なんだよ、じゃあ観てないのと同じじゃん」
「まあな。いや、ホント、あのときは手汗がヒドかったよ。なぁ、母さん」
 
 
すると、洗い物をしていた妻が手を止めて、一言つぶやいた。
 
 
「それ、アタシじゃないよ」
 
 
我が家の食卓がしばし静寂に包まれた。
記憶は上書き保存されるのが一番怖い。
 
 
以上が、ホラー映画よりゾッとした、忘れてしまいたい話だ。
 
 
 
 
***
 
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2023-11-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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