メディアグランプリ

民族衣装をまとう時


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記事:あき(ライティング・ゼミ12月コース)

着物って日本の民族衣装だからね。

明衣(めい)にそう言われなかったら、着物を着ようなんて思わなかった。

最近着物にハマっているんだ、あっこちゃんも一緒に着ない? と誘われた時は、明衣の新しいブームが来た、くらいの認識だった。「編み物しよう」と突然毛糸と編み針をプレゼントされて、苦戦しながら2ヶ月かけてポンチョを編んだ。テングザルを見に行こうとの誘いに乗って、ボルネオ島で船から落ちそうになったこともある。明依はいつも想定外の楽しいことを私の人生に投げ込んでくれる貴重な友人なのだ。

浴衣は着たことあるけど…… 。あ、成人式の時は振袖を着せてもらったっけ。あの着物、実家のたんすに入ったままだわ。

着物に関する経験をぼんやり脳内検索している私の耳に、

着物、着られるようになろうよ。着物って日本の民族衣装だからね。

の一言が飛び込んできて、目から鱗が落ちる思いがした。

『着物は日本の民族衣装』

確かにその通りだが、民族衣装という言葉と着物が頭の中でリンクしない。私にとって民族衣装とは、メキシコのソンブレロやシンガポールのサロンケバヤであっても、日本の着物では、ない。それほどまでに着物に関心がなかったことに反省の念が湧く。

そうだね、日本人なのに、自分の民族衣装が着られないって問題だね!

このうかつな返事が、私の着物ライフの幕開けとなる。

明衣とリユース着物屋めぐりをしては手頃な値段の着物や帯を手に入れたり、着物の催事に足を運んだり、人間国宝の手による工芸品のような贅沢品を見に出かけたり、ネットの動画を教材に着付けにチャレンジしたり。

そして、新しい世界に足を踏み入れる時の常で、恥ずかしい思い出が次々と生産されていくこととなった。

初めて自分で着物を着て出かけたのは、夜桜見物。暗ければ下手な着付けがあまり目立たないだろうという判断は間違ってなかったけれど、草履が痛くて、歩けば20分の距離をタクシーで帰る羽目になった。初めて着物で電車に乗った時は、今思えば帯締めが緩かったせいで帯がだらりと解けてしまい、パニックになった。引き摺らないように帯を何とか後ろ手に押さえながら半泣きでデパートに駆け込み、呉服売り場で着付けをやり直してもらった。実家のタンスで見つけた着物を、丈が合うからと着て出かけた先で「これは男着物ですね」と指摘されて、汗がどっと出たこともある。明衣が呉服店で結城だの黄八丈だのと話に花を咲かせる横で貝になり、着物屋さんにやんわり「お勉強してね」と言われる始末。

民族衣装、なかなか手強いのだ。伝統、しきたり、季節、技術、所作、風土や言語とも深く結びついている。裏を返せば、着物を知らないことで、自身のルーツである文化にアクセスする機会を失っていることになる。日本人が毎日着物で暮らしていたのはそう遠くない昔のはずなのに、明治以降の西洋化がいかに急速だったかを思う。今や着物はほとんどの日本人にとってすっかり特別なものになってしまっている。

着物で暮らしていた日本人といえば、私の祖母がそうだった。

大正生まれの祖母は、生涯洋服に袖を通すことはなかった。一度、私の母が夏は暑いからとワンピースを無理やり着せたら、泣いてしまったのを鮮烈に覚えている。私の浴衣を縫ってくれたのも、成人式の着物を選んでくれたのも、祖母だった。腰紐を上手に使いながら襦袢の上に着物を重ねていく祖母を眺めた記憶が蘇る。

まさか50を過ぎた孫が着物に興味を持つなど、想像もしていなかったであろう。生きていたら喜んでくれただろうか。叔父に頼んで祖母の着物の形見分けをさせてもらえることになった。世代を超えて身にまとう物を受け継ぐなんて、大袈裟かもしれないけれど、文化の継承者としての責任を引き受けたような気がした。

冬の初め、六本木の美術館で開催されているイブ・サンローランの大回顧展に明依と出かけた。世界のファッションをリードしてきたデザイナーへの敬意を込めて、日本の民族衣装に袖を通す。祖母から受け継いだ江戸小紋に一番締めやすい名古屋帯。高価なものではないけれど、できるだけ綺麗な着姿になるように、何度も着つけ直した。駅で待ち合わせた明依は、チェックの紬に和更紗の帯。「帯曲がってない?」「大丈夫」と互いの着姿をチェックしてから美術館へ向かう。

おしゃれ偏差値の高そうな来場者の中で視線を集めていたのは、着物姿の男女だったと思う。羽や刺繍で飾られたイブ・サンローランの豪華絢爛なドレスや構築的なスーツに、引けを取らない日本の民族衣装。知恵と技術と伝統の結晶である着物が、トップデザイナーの作品と堂々と対峙しているように見えたのは、ひいき目が過ぎるだろうか? その時隣で明依が囁く。

もっとみんなが普段着として着物を着るようになったら、民族衣装としての着物が復活するね。

明依と祖母のおかげで始まった私の着物ライフ。いずれは祖母のように、日本の民族衣装をまとって日々暮らしてみたいと夢見ている。

***

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2023-12-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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