好奇心に負けた私の迷惑メール戦争
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:松本信子(ライティング・ゼミ6月コース)
一部フィクションを含みます。
会社から支給された携帯がメールの着信で光っている。
お客様からのメールや、非常時の緊急連絡網が設定してあり、勝手に仕様が変えられないものだ。
この頃、頻繁に着信があるとは思っていたが、開けてみると、1週間ほど前から、1日に20〜30の迷惑メールが入っている。
件名は、よく見かけるようなものがずらりと並んでいた。
『賞金の当選』とか、『お支払い期限が過ぎています』など、お金絡みのもの。
『配信の停止のご連絡』『パスワード再設定のお願い』、『個人情報の漏洩』あとはいかがわしいサイトへの誘導メール。ざっと分類するとこんな感じだった。
まとめて一気に消去しようとしたのだが、1件のメールに目がいった。
『夫が食べられました』
えっ! どういう事なんやろう。
この話が人間なら、それよりも大きな生き物がいる地域に住んでいる人だろう。日本ではないな。どんな化け物に食されてしまったのだろう。
つい開いてしまった。
『はじめまして。雪乃といいます。夫は木こりです。毎日朝から晩まで、一生懸命働いています。山では、お昼を買いに行けないので、私は毎日お弁当を作って持たせていました。それがある日を境に、彼は一切お弁当に手を付けなくなったのです。私はとても悲しくなりました』
確かに……。
でも、それは悲しいというより、私だったら怒りを感じる出来事だと思った。
木こりというレトロな響きも頭に残った。
『夫が食べられた』ではなく、『夫が食べてくれなくなった』の打ち間違いか?
なんとも言いようのない消化不良感が残った。
そして『食べられた』話は、ずいぶん前に『オオアリクイに夫が食べられた』という迷惑メールが複数の人に届いていたことを思い出させた。
当時、私も読んだが『そもそもアリクイの口で、人が食べられるのか』ということや、『オオアリクイに対峙するような場面がそうそうあるとは思えない』という素朴な疑問が湧いたことを覚えている。
とにかく、他のメールは全消去したのに、このメールだけは気になってなんとなく残してしまった。
一週間ほど過ぎたころ
『夫が食べられました2』が入っているのに気が付いた。
『続き。私はなぜ夫がお弁当を食べないのか悩んでいました。直接聞こうかと思いましたが、料理があまり上手くない自分の引け目もあり、もっとおいしいおかずを入れたら食べてくれるのではないかと、料理教室に通い始めました』
なんという真面目で前向きな女性だろう。いい人だ。
私だったら「残すんやったら、作らへん!」と一喝して終わりにしてしまいそうである。
『私の料理の腕前は上がり、上級クラスまで進みました。お店レベルです。でも私は夫に喜んでもらいたい一心で、それからも家庭料理を特に練習しました。卵焼きとか。先生に、「今までの生徒で一番上手だ」って、褒められたのですよ。でもお弁当は相変わらず手つかずで。それなのに、夫はどんどん恰幅がよくなってきたのです』
そしてそのメールは終わっていた。
全く不可解だった。
ただ、私が話の虜になってしまった事は事実だった。
2週間ほどして『夫が食べられました4』が届いた。
3が届いていないのに!
読み落としたのかと思い、慌ててメールをひっくり返した。
だが、大量の迷惑メールはすでに削除してしまっていた。
まとめて削除した中にあったのだろうか。ひどく損をした気になった。
とにかく開いてみた。
『その時、彼は必死に抵抗したようでした。相手はかなり大きく、鋭い爪にひっかかれたような傷が体のあちこちに残っていたと警察の人が言っていました。当時の夫は、山の食事で得た栄養でかなり恰幅がよくなり、獲物としても魅力的だったのだと思います。朝や夜に、料理の腕が上がった私が作る丹精込めた美味しい食事もそれに起因していたのでしょう。今でも、私はこの事件の片棒を担いでしまった気がして心苦しいものがあります』
あぁ。やっぱり食べられてしまった。爪の鋭い猛獣に襲われたのだろうか。
木こりという職業から何となく、熊を想像した。
だが、『山の食事で得た栄養』って何だろう。食事は手つかずではなかったのか?
話が終わっている。でも核心は闇の中だった。
次の日にもメールが届いた。『振込確認のお願い』とある。
またかと思い、内容も読まずに削除した。
だがそれは取引先からのメールであることが、昼過ぎにかかってきた会社の外線電話で判明した。
迷惑メールと思いこんで削除したものは業務メールだったのだ。
こんなこともあるので、なかなか対応に苦慮するところではある。
仕事に紛れて、すっかり忘れていた頃『夫が食べられました_最後に』が届いた。
『あの頃に、なぜお弁当を食べないのか聞くべきでした。今でも私は思います。同僚の方から、たまたま木の隙間から出てきたシロアリがとても美味しそうに見えてつまんだのが始まりだった。と聞きました。思っている以上に美味しく、次々に食べるようになったと。でも、気味悪がられるから、人には言わないでくれって。』
そうだったのか。
『結局それがきっかけで、私は料理にのめり込みました。彼はもう私を必要にしてないのではないか。そんな不安が膨らみました。ある日、林道を出た小高い丘で夫と同僚はオオアリクイに襲われたのです。オオアリクイは、シロアリを食べて太っていた夫を狙ったようです。シロアリを食べた人間を食べるなんて皮肉なものですよね。逃げ遅れた夫の最期を同僚から聞かされた時には、後悔で胸がいっぱいになりました』
あれっ?
また出てきた。オオアリクイだ。
これは昔読んだメールによく似てきたぞ。
その下には『続きは、このサイトへどうぞ』と誘導先が書いてある。
『料理人の私の独り立ちと成功1』と丁寧にあった。
何か、ほっとして、現実に引き戻された気がした。
やっと普通の迷惑メールらしくなっている。
彼女が今後どのような料理人になっていくのかは、正直気になってはいたのだが。
ぐっとその気持ちを抑えることにした。
迷惑メールにいろんな種類があるのは、人の性格や背景により嗜好があるせいだろう。
私のように、文章の虜になる人にとっては要注意だなと思う。
友人の父親は、実直な人で、『お金の無心』を全て信じてお金を振り込み、警察沙汰になったといって、慌てて会社を早退していたことがあったりもしている。
メールなのに、お金を振り込んでしまったり、私のように物語の虜になったり。
冷静に対処するべきと、理屈では分かっているのに。
人間の心は難しいものだなと思う。
料理上手な女性はこの後どんな人生を歩んだのだろう。やっぱり気になっている。
いけない。いけない。迷惑メールだ。
これ以上心を奪われないよう、私はこれまでの話を全て削除した。
私はスマホを置き、深呼吸をした。
そして、再び迷惑メールが来るときに備えて決意した。
『次こそは、絶対に開かない!』
強い心を持とう。自分に言い聞かせた。
その瞬間、またメールの着信が光った。
件名は『夫が生還しました!』
いやいや。もうオオアリクイの餌食になってしまったはずだ。
でも、奇跡かも。そう考えた瞬間、好奇心が頭をもたげてくる。
開いちゃダメだ。もう私は惑わされない!
でも。気づいたら、私はメールを開いていた。
ああ、やっぱり、私はダメかもしれない。
***
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