メディアグランプリ

イワシはモーツァルトを奏でる


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:あき(ライティング・ゼミ9月コース)

 
 

夜の水族館。ルールはひとつだけ、静かに過ごすこと。つまりおしゃべり禁止。水族館のあちこちに置かれたクッションやソファを自由に移動させて、静かな空間でおくつろぎくださいという趣向だ。
 
誰もが自分だけの静寂を楽しんでいるようだった。薄暗い照明のせいか、厚いガラスで隔てられているはずの海の生き物たちとの距離が、だんだんと曖昧になっていくような、不思議な感覚に包まれる。
 
水族館の花形であるイルカプールの住人たちは、静かに泳ぐだけで、ジャンプも輪くぐりもしない。ペンギンたちは、微動だにせず、くちばしを翼に挟んだり腹ばいになったりして、目を閉じている。昼間は活動し夜は寝るという当たり前のサイクルを守る生き物たちを見ていると、夜にわざわざ電車に乗って、他の生き物が寝るのを眺めにきた人間の自分が、滑稽に思える。
 
昼夜関係なく漂い続けるクラゲの水槽が並ぶエリアは、ひときわ静かだ。椅子や床に座る半分くらいの人が目を閉じていた。確かにクラゲの動きは眠気を誘う。
 
1番人気の大水槽の前は、1人用のソファに寝そべる人々で混雑していた。私も隙間を見つけて、なんとか膝を抱えて座ることができた。百種類もの魚が、互いにぶつかることもなく悠然と泳ぐ姿に目を奪われる。賑やかな光景だが、いったいどんな音がしているのだろう。それとも、こちら側と同じく、水中は静寂のルールに支配され、魚たちの背ビレや尾ヒレは、音を立てることはないのかもしれない。少しづつ動きが鈍くなる魚が増えてきた。ゆっくりと旋回しながら、水槽の底でしばし動かなくなるサメ。揺らぐ海藻に身を預けて、一緒に揺れながら寝るクマノミ。魚が寝る姿をじっくり見るのは初めてだ。それにしても、あの鯛は美味しそうだ。
 
…… などと思いながら、ぼんやり眺めていた時のことだ。
 
水槽の奥の暗がりで、突然きらりと何かが銀色に光った。光の塊は方向を変えスピードを変え、水槽の中に光の道を描いては消している。その塊がこちらに近づいてきて、光の正体がマイワシの群れであることがわかった。その瞬間から、断然目が離せなくなってしまった。
 
パッといくつもの小さな群れに分かれ、バラバラの方向に進んだかと思うと、すっと大きな塊に集まって、水槽の中のどの魚よりも大きなひとつの魚になる。ひとときも同じ形にとどまることなく、誰よりも速く群泳している。マイワシには「海の米」という可愛らしい呼称があるようだが、ダイナミックに水槽の水をかき回し、大きなうねりを作りだすさまは、水の中の打ち上げ花火のようにも見える。小さな魚が群れを組んで泳ぐ姿は前にも見たことがある。なのに、これほどの存在感を感じたのは、初めての経験だ。
 
モーツァルトみたいだ
 
頭の中に音数の多い華やかな音楽が流れる。なんだっけ、これ。フィガロの結婚? クラシックに疎い私でさえ知っている有名な曲だ。流麗なヴァイオリンが印象的なオーケストラに合わせて、マイワシが泳ぎ続ける。
 
イワシについて私が知っていることは少ない。魚へんに弱いと書いて、鰯。体は小さいし、すぐ傷んだり死んだりするから、この漢字が充てられたと読んだことがある。海の生態系の中では、多くの生き物にとって恰好の「エサ」に違いない。陸の生き物である私だって、今までたくさんのイワシを食べてきた。イワシを高級魚だと思ったことは、一度もない。
 
そんな弱々しくて、小さくて、安い魚の本質を、私は今日まで全く理解していなかったのだ。命がきらきら輝いている。溌剌としたマイワシの周りで泳ぐ大きな魚が、愚鈍にさえ見えてくる。モーツァルトの圧倒的な存在感は、当時の他の作曲家たちに「とても敵わない」と思わせてしまったそうだ。同じように、マイワシがただ自分らしく生きているだけで、こんなにも見る人を惹きつける。大水槽の前の人たちが一言も言葉を発しないのは、静寂のルールのせいではない。マイワシに圧倒され、感動で言葉が出ないからではないか。もしかすると、マイワシのオーケストラが泳ぐ姿を目で追いかけながら、観客はそれぞれ頭の中で、モーツァルトを奏でているのかもしれない。それはなんとも贅沢なコンサートだった。
 
演奏者たちが決して互いを邪魔することなく、協力してひとつの音楽を作り上げるオーケストラ。マイワシも他の魚にぶつかることなく、かといって群れとしての統制を失うこともない。疲れることを知らないかのように軽やかに泳ぎ続ける。ふと、通勤時に通るターミナル駅が頭に浮かんだ。コンコースを行き交う人間は、立ち止まったり互いにぶつかったりで、不格好にしか移動できない。イワシ以下だ。
 
マイワシの前で過ごした2時間が、私を変えた。
 
水族館の夜以来、通勤の際、私はイワシになる。周りの人間を仲間のイワシだと思うと、自然と歩調を合わせることができる。すると、人の群れの間を上手くすり抜けられるのだ。時にはスピード感の違うエイや、急に方向を変えるアジがいるけれど、そんな時は、頭の中に大水槽を思い描く。色々な生き物が一緒に泳いでいるとイメージし、真っ直ぐ歩こうとする代わりに、ちょっとよけたり方向を変えたり。あくまでスマートに、行きたい場所を目指す。
 
イワシブームは止まらない。
 
今週3回目のシラス丼に手を合わせて、祈る。イワシにあやかって、人生という海を優雅に泳いでいけますように。頭の中にはフィガロが流れている。

 
 
 
 
***
 
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2024-10-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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