プロフェッショナル・ゼミ

右、左、右、左、右、左、右、左……。ただその繰り返しだけが連れていってくれる、ある場所について《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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【東京・福岡・京都・全国通信対応】《日曜コース》

記事:ノリ(プロフェッショナル・ゼミ)

「……はぁ」
  ん?
「んはぁ……はぁ」
  えっ!?
「はぁっ、はぁっ! はっ!」
  えっ? えっ!?
夕方、歩いていると、背後から男性の怪しい息づかいが迫ってくる。
  ひぃ!
目を見開いて振り返ると、同時に、男性が風を連れて私を追い越していく。

ランナーだった。

黒のウィンドブレーカー、ハーフパンツの下にランニングタイツ、黒のシューズ。腕の外側、ももの外側、シューズのかかとに、おそろいのネオインイエローのラインが夕暮れ時に浮かび上がって見える。

  今日は三人目かな。
クマやカモシカ、タヌキなどの目撃情報が近所で聞かれるようになった。そろそろコタツをしまおうかと思う陽気に誘われて出てくるのは、動物だけではない。このところランニングする人を多く見かけるようになってきた。
  走り始めたばかりなんだろうな。
そう思えるのは、買いそろえたばかりと思われるキメキメのランニングウェアだけではない。腕の振りが小さく、歩幅も狭い。体の軸が安定していないように見え、視線も下がっている。
それは、数年前の自分、そのものだからだ。
今でこそ、何の運動もせず、自分史上最高体重を日々更新している私だが、以前、ランニングをしていたことがある。

「そっか! 体も疲れさせればいいんだ!」
それは、数年前のこと。私は運動の必要に迫られていた。
会社で長時間デスクワークに勤しんでいた私は、毎晩、家に帰ってからも頭がさえて眠れない日々が続いていた。仕事を持ち帰っていたわけではないが、企画などを手掛けていたせいか、手元に資料がなくても、気がつくと仕事のことを考えてしまう。毎日、会社を出るときには、ちゃんと疲れている。疲れてヘトヘトであるはずが、まったく眠れないのだ。
「上質な睡眠のとり方」、「熟睡する方法」、「オンオフの切り替え方」あれこれ調べてたどり着いたのは、頭だけがオーバーヒートして、座り仕事で体が一切疲れていないからでは? ということだった。
それなら話は早い。運動しよう!

  しかし、どうしたもんか。

私はもともと運動が苦手だ。体育の授業にいい思い出はない。球技も、走ることも、すこぶる苦手。さらにコンプレックスを強めていたのは、体が大きいことだった。今でこそ何てことないが、164cmある私の身長は、中学1年の頃には、ほとんど完成していた。小学生低学年から、背の順に並んで後ろから数える場所が、私の定位置だった。
私が通った小学校も中学校も、体格のいい子は何かしらスポーツが得意な子が多かった。しかし、私は違っていた。運動会や球技大会では、大きな体をもてあまし、明らかに自分の失態でチームを窮地に立たせてしまう。私は誰に言われるでもなく、国語の授業で習った、宮沢賢治が手帳に書きつけた詩の中の言葉を、自分のことだと考えるようになっていた。

デクノボー。

しかしそれは何十年も前のこと。今は運動の出来、不出来で会社の給料が決まるわけではないのだ。デクノボーにも、デクノボーなりに楽しめる運動はあるはずだ。

  しかし、どうしたもんか。

唯一、人並みにできたスポーツ、水泳は、部活動でやってきたけれど、もう長い間、私は水着を着ていない。プールも近くにない。もしあったとしても、プールに行って、化粧を落として、泳いで、髪を乾かして、また化粧をして帰ってくる。そんなエネルギーは私にはない。

定期的な運動、といえば、まずはジムに通うのがいいのだろう。自分のレベルに合わせて運動できるし、ヨガやピラティスみたいなプログラムなら、私でもついていけるかもしれない。けれど、私が会社を出るのは平均して午後9時ごろ。会社の近くや家の近くにジムはなく、土日電車に乗って行くほどの気力はない。

ならは家で、と、当時流行っていたDVDを見ながらやるトレーニングもいくつか試してみた。中でも、ムキムキの黒人男性に「カモン! カモン!」とあおられ、「君ならできる!」と叱咤激励されながら、筋トレやスクワットを繰り返す「ビリーズブートキャンプ」は、かなり汗だくになるし、話題として面白かったけれど、自分が思ったような達成感を感じることはなかった。

「ねえ、これおもしろいから読んでみなよ」
「へー、エッセイですか?」
考えあぐねている私に、本を貸してくれたのは、会社の女性の先輩、清水さんだった。清水さんは少し前からランニングを始めていた。今度、マラソン大会にもエントリーしたらしい。まあ、そんな感じのエッセイなのかな。軽く考えて読み始めたこの一冊が、デクノボーである私を変えてしまった。

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』。

「これだ! ランニングだ! もうそれしかない!!」
村上春樹がよくマラソン大会に出ていることは何かで見知っていた。しかし、彼が小説を書くために走っていることを知った私は、ずっと嫌ってきた「走る」という行為が、とても可能性に満ちたスポーツのように思えた。そして頭ばかり疲れていた私が、むしろ走ることでより頭を働かせられるようになるのではないか。期待を大きくふくらませて本を閉じた私は、気がつくと会社を抜け出し、スポーツ店でランニングシューズを見繕ってもらっていた。

私はついに走り出した。

無理なくできるところでいい。そう思って選んだコースは、家の近所の大通り。右側の歩道を走って、突き当たりまで行ったら道路を渡り、左側の歩道を走って戻ってくる。それで約1km。初めは行って戻っての一周だけで、膝がガクガクしていた。肺が破れるのではないかと思うほど呼吸が乱れた。着地するたびに余分な肉が振動するのを感じた。

走り出すと、やっぱり、みっともなくて、デクノボーの自分がいた。しかしそこには、みんなから遅れてゴールした私のお尻をたたく体育教師はいないし、リレーでごぼう抜きされてバトンを渡す私をにらむクラスメイトもいない。周回遅れでゴールする私を見る冷ややかな目線もなかった。ただただ、走るのが遅い自分がいるだけだった。

  私はなんて自由なんだろうか。
私は自分のペースで、いくら遅くても、カッコ悪くても、誰に文句を言われることもなく、純粋にランニングを楽しむことができる。それがとてもうれしかった。だからきつかったけれど、ほぼ毎日走った。大雨でない限り、雨の日も走った。雪が積もっていないなら冬も走った。次第に走らないと気持ち悪さを感じるようになっていった。残業が重なり、夜中の0時に家に帰った時も、走っていた。

そして回数を重ねることで、少しずつ走れる距離は伸び、タイムは確実に縮んでいった。もっとうまく走りたくて、マラソン選手の監督や陸上のコーチの本を買い、ランニングのフォームの研究をし、準備体操の仕方を勉強した。ランナー用の雑誌からは、マラソン大会の情報を得た。

「清水さん、聞いてくださいよー! アレ買ったんですよー」
お金をかけたのは本だけではない。初めはランニングシューズだけだったのが、ランニング用のアイテムがどんどん増えていく。
ラップタイムを計れるスポーツ用の腕時計、効率良く汗を逃すというランニング用のジャージ、疲労回復を早めるというスポーツ用タイツ、ランニング用のブラジャーにソックス、手袋、帽子に耳当て、携帯電話を腕につけて走れるポーチなど、あれこれ試しては、会社の清水さんと情報交換するのも楽しくなっていた。

「もう少し! もう少し!」
アイテムをそろえるのがキリなく楽しい一方で、虜になっていたのは「ランナーズハイ」の手前にある「セカンドウィンド」という境地だった。人によって時間はまちまちだけれど、私は走り出して20分を過ぎた頃、それまで乱れていた呼吸や、重くなっていた体が急に軽くなるのだ。これにたどり着きたくて、走っていたと言ってもいい。
そして「ランナーズハイ」はもっと先にあった。時間も、距離も。私は1時間を過ぎて、7・8kmほど走ったとき、数回そこにたどり着いたことがある。足の裏も膝も、脚全体も、振り続けた腕も、背中も、肺も、みんなだるい、痛い。それなのに頭のてっぺんから糸で引っ張られているように背骨がしっかり立っていて、姿勢がまったく崩れない。右脚、左脚が勝手に交互に出て、合わせて勝手に腕が前後する。あたりが一面静かになり、耳に突っ込んでいたiPodのイヤホンからは何も聞こえなくなり、心がとても穏やかになる。そしてなぜか走っていることがうれしくて仕方なくなり、みんなありがとう! と言ってまわりたくなるような、ちょっとヤバイほどに気持ちのいい境地になれるのだ。

いつもそこにたどり着けるわけではないけれど、走り続けた人しか、そこにはたどり着けない。そんな魅力を持つ「ランナーズハイ」をいつも遠くに見据えながら、私は確実に走れる距離を伸ばしていた。

「ちょっと! それは女性としてヤバイ数字だよ!」
「えっ! そうなんですか?」
そうして走ることにのめり込んだ私は、体脂肪率を告げた清水さんに怒られるほど筋肉量を増やしていた。会社のデスクではミネラルウォーターをがぶ飲みするようになり、冷え性だった体はいつも熱く感じるようになっていた。

会社で嫌なことがあっても、仕事で悩んでいる企画があっても、家に帰って走り出せば、汗だくになって疲れ切った体になれる。体に意識が向くからだろうか。シャワーを浴びれば気持ちはすっかり切り替わっていて、前向きに眠ることができた。
私にとって走ることが一日のリセットになり、健康でいるために欠かせない習慣になっていった。久しぶりに会う友人や仕事で出会うお客様にも、片っ端からランニングを勧めてしまうほど、私は楽しくて充実したランニング生活を送っていた。

しかし、その日はやってきた。

「よーい、バァン!!」
ピストルの音が鳴ると、大群が一斉に動き出す。
私はついに、ランナーとして一つの節目になる、マラソン大会に出ていた。隣県のさくらんぼの産地で行われる、ほどほどの規模の大会。知り合いもいない、誰かに会う心配もない。そういう大会を求めて、出場を決めた。もちろん、走り終わった後に参加賞としてさくらんぼが1パックもらえるのも魅力だった。

大会は、自衛隊の基地を拠点に、のどかなさくらんぼ畑の中を走るコースだ。いつも夜ばかり走っていた私にとっては、初めてといっていいほどの昼間のランニング。さらにいつもiPodで聞いている音楽も大会だからとやめていた。

「がんばれー! ほらがんばれー!」
代わりに聞こえてくる声援。沿道では、地域の中学生が給水を手伝っていたり、椅子を持ち出して観戦しているおばあちゃんの集団が見えたり。暑すぎない曇りの天気、気持ちのいい田舎の風景に、温かい声援、どれもランナーにとっては恵まれていた。
しかし、いつも同じ道をぐるぐる回ることで距離感をつかんできた私にとっては、スタート地点から畑の中を回ってゴールへと帰ってくる大きなコースは、距離がとてもつかみにくかった。そしてたくさんの人。若い人、年配の人、友人らしき人とおしゃべりしながら走る2人組。抜いたり抜かれたり、周りの人のペースにすっかり飲まれた私は、「ランナーズハイ」どころか、「セカンドウィンド」も体験できず、ずっときついまま、ひたすらコースを走っていた。

「ラスト1キロー!!」
そんな時、沿道の人が手をたたいて応援してくれるのがとてもありがたかった。
  よし、あと少しだ。頑張ろう!
そして10分ほど経っただろうか。もうすぐだ! そう思った頃。
「あと1キロー!」
  えっ! さっき1キロって言ったじゃん! もー! テキトーなこと言ったな、あのおじさん。でももう少しだ、頑張ろ!
そしてさらに10分ほど。ゴールである自衛隊の基地が見えてきた。
  ほらやっぱり最初の人、間違ってたんだー。よし、もうすぐゴールだ!
そう確信した時、沿道から信じられない言葉を聞いた。
「ラスト1キロ!!」
また、言われたのだ。
  おいおいおいおいちょっとちょっとー! なんでなんで? 本当は今何キロなわけ? こっちはもう3回目なんですけど! ラストスパートの力、残ってないんですけれどー!
沿道の声援の温かさを感じていた私だったが、3度目の「ラスト」の声を聞いて、怒りがこみ上げていた。なんなのこれ! テキトーにもほどがある!
しかし、3度目の声は本当だった。程なくして、自衛隊の基地の中に入り、止まっている戦車の脇を通り過ぎると運動場に出た。トラックを一周回るとゴール。沿道の適当な声援に対する怒りは、ラストスパートへつなげた。
息が整うまで、しばらくかかった。真っ昼間の、しかも走ったことのない場所の10kmは、ものすごく長かった。私は走りきったんだ! そう思ったけれど、またやりたいとはなぜか思わなかった。

そして、気がついてしまった。

私が求めていたのは、「みんな」で、「励まし合い」ながら、「賑やかに」楽しんで走り、「結果」を出していくランニングではない。走るほど「一人」になり、「自分」と向き合って、「静かに」昨日の自分に「勝つ」ランニングがしたかったのだと。

私は走るのをやめた。

大会が合わないのなら、毎晩のランニングだけを楽しんでいればよかった。しかし、マラソン大会に出たことは、私にとって余程大きなダメージだったのかもしれない。その後、これといったスポーツを見つけられることはなく、私はすっかり運動習慣のない、今の自分になってしまった。

「彼はどこまでいくのだろう」
私を颯爽と追い越して、夕暮れの下り坂に消えていく初心者ランナーの背中を見ながら、これからあの場所へとたどり着くことのできる彼をうらやましく思った。それは日々距離が伸びていく楽しさであり、タイムが縮む面白さであり、自分と向き合える貴重な時間であり、「ランナーズハイ」のあの場所でもある。

私にとっては苦痛だったけれど、賑やかなマラソン大会も彼にはうれしい場所かもしれない。健康づくりや体重を減らすことが目的かもしれない。いずれにしてもランニングは、続けることで、その人自身が行きたい場所へと連れて行ってくれるはずだ。デクノボーの私でさえも受け入れてくれたのだから。

  あ、そうか、私も走ればいいのか。

そうだ、春のせいにして、暖かさのせいにして、新しいジャージを買う理由にして、そして、小説を書き続けるために、また始めればいいのかもしれない。あの頃、走っていた自分が見つけたランニングの魅力は、自分と向き合えることだけではなかったのだから。

どこからでも走り始められて、どこでやめてもいい。

そんな気軽さも、ランニングの魅力なのだから。

でもやっぱり走り出す前に少し体重を減らさないと、私の膝が耐えられないかもしれない。

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