次の場所では、今度は私が、と思える自分にしてくれた町。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:桝田綾子(ライティング・ゼミ日曜コース)
JR吹田駅の改札を出て、地上のバスロータリーを見下ろす。あの頃から変わらない風景。
さぁっと吹く風に「やあ、おかえり」と言われた気がして、胸がいっぱいになった。離れて数週間しか経っていないというのに、ここはもう「毎日帰る場所」ではなく、「時々帰ってくる場所」になってしまったのだなと、実感する。
吹田は、夫の実家のある街だ。新幹線の新大阪駅から2駅という、東京の新幹線から2駅、と考えればどれほど都会なのだろうと想像するような距離にもかかわらず、改札を出ると駅からまっすぐのびる通りに商店が並び、どこかのんびりとしている。
こどもや若い世代も少なくないが、高齢の方が多く、商店街は午前中にもっとも賑わい、商店街のアーケードの下、ベンチで話し込む人たちの姿もよく見られるような場所だ。
数年前、この街にこれから住むために、夫より先に一人で吹田駅に降りた日、私は妊娠していた。義理の両親が駅まで迎えに来てくれて、家へと招いてくれた。「一人で大丈夫なのに」と、その好意に困惑したことを覚えている。
大人なのだから、自分のことは一人でなんでもできる。
人に迷惑をかけてはいけない。自分にできることならば一人でするが当然だ。
いま振り返れば、それまでずっと、どんな時も私はそんな鎧を着ていたのだと思う。もちろん、それに気づいてはいなかったけれど。
鎧を着ていた私にとって、夫が吹田に来るまでお世話になった義実家は、とても居心地が悪い場所だった。
あれやこれや、こまごまと世話を焼いてくれる。
こちらでの産院は決めているのか、こども用品の準備はしたのか、お腹が重くてしんどいなら買ってくるから、など。時々、頼んでいないこども服が部屋に届いたりもして……。
自分のことは一人でなんでもできる。
そう思っている私にとって、その世話は「これは、できないでしょう?」「できないからやってあげる」と言われているように感じ、腹立たしくもあった。
人に迷惑をかけてはいけない。自分にできることならば一人でなんでもする。
自分でできるのに、やってもらうなんてとんでもない! と思いながら、小さな好意の一つひとつを不本意ながら受けとらなければならない苦痛。「いえ、大丈夫です」とさすがに断ったり、「ありがとうございます」と受けとったり。
一人でできる、やりたいのだから、そこにかかわらないでほしい。望んでいないものを渡されるのはいい迷惑だ、おせっかいだ。私は迷惑をかけないようにと気をつかっているのに、義両親は迷惑だと気づかないのだろうか? などと、離れている夫にずいぶん愚痴りもした。
「自分のことは一人でなんでもできる」、その鎧は出産と共に崩れ去った。
出産そのものも、夫や助産師さんの力を借りてようやく無事にこどもと対面することができた。
出産後、私が勤めていた会社を辞めてこどもを育てることを中心に生活できているのは、夫が仕事をしてくれているからだ。
大人なら、自分が生きていくために必要なものは、お金も、能力も、技術も、自分が身につけるものだ。
そう思ってきた自分が、「自分のことなのになにもしていない」状況は、とても苦痛で、罪悪感を覚えることもよくあった。
自分のことなのに、自分がなにもしていない……、それは私にとって苦痛だったけれど、当然ながら生まれたばかりの赤ちゃんは、自分のことであっても自分はなにもしない。
赤ちゃんと暮らしていると、自分にもこんな時期があったのだなと不思議に思う。
自分のことをなにもしなくても、眠っているだけ、笑っているだけ、泣いているだけで、こんなにまわりの人を幸せにしていた時期があったのだろうか、私にも。
こどもが産まれてから、こどものために自分になにかができるということは、よろこびでもあるのだと私も感じるようになった。
義両親にとっては、産まれてくる孫のため息子夫婦のために、なにかしたい、してやりたい。ほんとうにそういう、よろこびであったのだろうし、その息子が30歳を越えた今も、まったく変わらないのだろう。
義理の実家だけではなくて、こどもと一緒に歩く道路、乗る電車やバスでも、道や席をゆずっていただくなど、たくさんの方にご好意をいただいた。
崩れ去った鎧に罪悪感を覚えつつも、戦う機会など実は最初からなくて、鎧を身につける必要はなかったのかもしれない。
こどもと暮らす中で、だんだんと、人の好意を受けとってもよいのだと、思える自分になっていった。
同じ時期にこどもを育てる女性として出会った友人たちには、こどもと一緒に好意に甘えることもあったし、彼女たちやそのこどもたちに対して私にできることがあるのは嬉しいと、「自分のことを一人でなんでもやる」だけでは絶対に感じられなかった喜びを知った。
吹田駅前の風景は、あの頃からなにも変わっていない。
さぁっと吹く風に「おかえり」と言われたような気がするのも、私がそう感じただけ。
まわりはなにも変わらなくても、鎧を着ている自分と、外した自分とでは、見える景色はまったく違う。
言い尽くせない感謝と、お世話になった人、友人たちにもう気軽には会えなくなるのだなぁと思うと、涙があふれてくる。
この町で過ごした時間、人からいただいたものを、次の場所では、今度は違う人にお返ししていきたい。
そしてまた、この町に遊びに帰ってこよう。「おかえり」と迎えてくれる風と、義理の両親や友人たち、お世話にになった人たちに、「ただいま」を言いに。
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