かっこいい人のクローゼット
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです
私はマナーを教えている。
きれいな食事の仕方や立ち振る舞い、話し方、人との接し方。
そんなことをお伝えするのが仕事だ。
基本的に、私は静かな環境で育った。
父はとても丁寧で、穏やかな人だった。
夫もどちらかといえば静かな人だ。
そんな私が若い頃、なぜかとても惹かれたものがある。
豪快な男の人だ。
ご飯をガツガツ、わしゃわしゃ食べる。
大きな口でものすごい勢いでかきこむ。
「うまい、うまい」と言いながらどんどん食べる。
かっこいい。
なんて男らしいんだろう。
少々ガサツなくらいがいい。
歩き方も堂々としていて、話し方も威勢がいい。
少しくらい、べらんめえ調の方がいい。
たぶん私は自分の周りになかったものに憧れていたのだと思う。
ところが、である。
そういう豪快さと日々一緒にいると、
だんだん様子が変わってきた。
ご飯をわしゃわしゃ食べる。
頭をかしげながら「うん、うん」と食べ続ける。
最初は「おいしそうに食べるなぁ」と思っていた。
ところがいつも見ていると
「もう少し静かに食べられないものかな」と思い始める。
そのうち、心の中では、
「飢えた猿じゃあるまいし…」
とまで思うようになった。
勝手なものである。
もちろん煙もうもうの焼肉屋さんならいい。
みんなでワイワイしながら、お肉を焼いて、豪快に食べる。
そんな姿は今でも好きだ。
でも、静かなレストランでも同じ調子だと、ちょっと疲れる。
店に入った途端、ガンガン先ヘ歩いていく。
一緒にいる私のことなど気にも留めず、一番上等な席にどっかり座る。
「あら、私、いたんですけど」と言いたくなる。
会合でもそうだ。
面倒見がよくて、みんなから慕われる兄貴分。
お酒が入ればますます元気になる。
そこまではいい。
ところが声もどんどん大きくなる。
笑い声は耳をつんざくほど。
豪快と言えば豪快。
でも近くにいる私は、だんだんぐったりしてくる。
どうやら私は豪快な男性が嫌いになったわけではないらしい。
豪快しかないことに、疲れるようになったのだ。
そんな中で、「この人は本当に男らしいな」と思う人がいる。
その人も、ものすごくよく食べる。
驚くほどよく食べる。
ご飯なら、お釜ごと食べてしまうんじゃないかと思うほどだ。
体力もある。
険しい自然の中で、仲間と力を合わせて挑むようなことをしている。
家族と山深い場所に泊まった時、猿の大群が現れたことがあったという。
その時は家族を守るため一晩中警戒をしていたそうだ
強い。
身体も気持ちも強い。
仲間思いでいざというときには頼りになる。
ところが案外食事は静かだ。
話し方も、元気ではあるが穏やかだ。
そして何より奥さんをとても気遣っている。
家族を大切にしていることが、何気ない振る舞いから
ひしひしと伝わってくる。
それを見ていて、私は気づいた。
私が昔思っていた「男らしさ」は一着の服だったのかもしれない。
豪快。
強い。
大きな声。
ガツガツ食べる。
という「男らしい一着」だ
でも、どうやら本当にかっこいい人のクローゼットはもっと広い。
豪快な服も持っている。
強さが必要な時に着る服もある。
仲間と大笑いをするときに着る服もある。
でも、静かな場所では穏やかな服に着替えられる。
誰かと歩くときには、その人の歩調を見る。
食事の席では一緒にいる人が心地よく過ごせるように振舞う。
家族を守らなければならないときには、飛び切り強い一着。
奥さんの隣では、優しい一着を選ぶ。
どれもその人だ。
そう考えてみると、これは男性に限った話でもなさそうだ。
誰でもいろいろな自分を持っている。
元気な私。
静かな私。
強い私。
優しい私。
きちんとした私。
羽目を外す私。
どれか一つだけが「本当の自分」なのではない。
その時、その場所、一緒にいる人に合わせて、どの自分でいるのかを選べる。
そういう人を私は素敵だと思うようになった。
そしてふと気づいた。
これった、私がずっと伝えてきた「マナー」の話だ。
マナーというと、堅苦しいと思われることがある。
あれをしなくてはいけない。
こうしなくてはいけない。
決められた制服を着せられるように感じる人もいるかもしれない。
でも、私はむしろ逆だと思う。
マナーを知ることは、自分を一つの型にはめることではない。
自分のクローゼットに、選べる服を増やしていくことなのだ。
煙もうもうの焼肉屋さんなら、豪快な一着を。
静かなレストランなら、少し上品な一着を
大切な人を守るときには、強い一着を。
誰かが傷ついているときには、優しい一着を。
服が増えるほど、行ける場所が増える。
出会える人も増える。
そしてその場にいる自分も楽になる。
昔の私は、豪快という一着の服に憧れていた。
今はクローゼットの広い人に惹かれる。
そして自分自身もまだまだ一着ずつ増やしていきたいと思う。
マナーは、人を窮屈にするものではない。
選べる自分が増えるほど、人はもっとのびやかに自由になれる。
どうやら、かっこいい人のクローゼットは、ずいぶん広いらしい。
《終わり》
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