メディアグランプリ

犯人とトリックを先読みしてばかりだった


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【8月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:山田あゆみ(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
何か、あったっけ。
最近、ふと時間が空くと28年の人生をひっくり返して、ドラマティックな出来事を思い出そうとばかりしていた。
それは、天狼院のライティング・ゼミで課題を週に1つ提出しなくてはいけないからで、コンテンツになり得るものを書いて、編集部の方に面白いと思って頂かなくてはいけないからで。
その為には、何かしら印象的な出来事を記憶の中から掘り起こし、それについて書くのが一番だと思ったのだ。
28年の中で最も感動したのは、何だったっけ。最も感激したのは。嬉しかったのは、悲しかったのは、考えさせられた出来事は。
掘り返そうと、昔を思い出すけれど、そんな特別な出来事なんて、そういくつも思い出せなくて、こんなに長く生きてきているのに、一体今まで何をしていたのだろうか、と悲しくなった。
今の生活だって、働いて、週末は友人と会ったり、趣味を満喫したりして、また働いて同じ事を繰り返して、去年も今年も特に変わらなくて、一体何をやってきたのだろうと虚無感に襲われていた。
 
先日、ふらっと昔住んでいた街へ出かけた。
バスで1時間半もかければ着くそこは、私が小学校の3年間を過ごした場所だった。
約20年ぶりに通る道の景色は、あの頃と少し変わっている部分もあったけれど、大部分が昔のままだった。場所の持つ力はすごい。沢山の思い出が、記憶が急に蘇ってきた。初めて入院した病院。お見舞いに来てくれた母と父の心配そうな顔がくっきりと浮かぶ。よく使っていたバス停。鳩を追いかけて遊んで怒られたなぁ。街のあちらこちらに思い出が散りばめられている。その中でも、もっとも強烈な感情を呼び起こしたのは、アーケードの中心部に位置する駐車場だった。何の変哲もない、ごく普通の時間駐車場。それを目にした時、強烈なわくわく感が胸の中に湧き上がった。
 
小学生の頃、週末は両親にいつもどこかへ連れて行ってもらっていた。そのどこかには、そこまで多くのレパートリーはなかった。公園か、アーケードか図書館か。だけど、家族での週末のお出かけをとても楽しみにしていた。アーケードへ行く時、父はいつもこの駐車場に車を停めた。ここに車が到着するその瞬間をどれだけ待ちわびていたことだろう駐車場の看板が見えてくるともうすぐアーケードで遊べるのだ、という期待感で胸がいっぱいになった。私たちはデパートへ行き、雑貨屋さんへ行き、ハンバーグレストランに行った。何度も何度も同じ場所へ行き、同じようなものを見ているのに、毎回そこへ車を停める度、これから冒険が始まるかのような強烈な嬉しさとどきどきわくわくする気持ちでいっぱいになった。
アーケードは、私にとって、いつ出かけても、とても魅力的な場所だった。雑貨屋さんの季節感あふれるディスプレイを眺めるのが好きだった。デパートのお菓子コーナーは、色鮮やかで、見ているだけで飽きなかった。ガチャガチャが大好きで、新商品をいつもチェックしていた。ハンバーグは、チーズをのせた方が美味しいか、それともそのまま食べようかと悩むことが楽しかった。
お出かけ先のレパートリーの内のどこへ行こうと、週末はいつもわくわくしていた。図書館で、今まで読んだことのない種類の本を読んでみようかと、棚を眺めるのが好きだった。公園で、フリスビーは、どうやったらもっと上手く飛ばせるだろうかと試行錯誤するのが楽しかった。
そして、週末以外も、それはそれで別の楽しみが沢山あった。近所の友達と鬼ごっこをして、秘密基地を作って、アスレチックに登った。毎日、毎日外で飽きる事なく遊んでいた。
 
考えてみると、あの頃も今も生活のパターンは同じだった。
学校へ行き、週末は家族で出かけ、また学校へ行く。同じようなところへ出かけ、行きつけのお店でごはんを食べる。
今は、学校が会社に変わり、週末を過ごす相手が友達になった。でもそれ以外は特に変わらない。
今もあの頃もルーチンな日々を過ごしている。でも、その生活に臨む態度が違っていたのだった。
 
最近の私は、朝起きる度に、また同じ一日が始まるのか、と軽く嫌な気持ちになっていた。そして一日が終わる頃、今日も全て予想通りのいつものような一日だったと、軽くがっかりしていた。それは、まるで推理小説のトリックを先に読んで、犯人も知って全部わかった上で、物語を読み進めているのと同じだった。そうしておいて、その推理小説の作者に文句を言っているようなものだ。
「全部わかっちゃった。つまんなかった。予想通りだった」
小説の着地点が先にわかってしまっている状態では、その場所にたどり着くようにしか読むことができない。本筋から逸れることなく読み続けるだけになってしまう。せっかく張り巡らされていたひっかけに引っかかることもなく、自分の頭で考えて色々と結末やトリックや犯人を想像する自由もなく、ただただ答えへ続く道を淡々とたどることになってしまう。私も知らず知らずの内に、今日という小説の結末を先に見てしまって、その通りの今日を黙々と過ごしていた。
「今日は仕事を終えて、いつも通りに家に帰って、ご飯を食べたら眠るだけ」
生活に、人生に対して、こんなものだろう、というあきらめに似た気持ちを持って生きていた。そんな感情に包まれて生活しているせいで、「こんなものだろう」程度のことにしか出会う事が出来ず、味気ない毎日に感じていた。
 
人生は映画とは違うから、ドラマティックな出来事が次々と空から降ってくることなんてない。宇宙人は、やってこないし、タイムスリップもしないし、生き別れた兄弟に10年たって出会ったり、実は両親が国家的なスパイだったりはしない。
 
人生のドラマは、自分で作るものなのだ。それは、推理小説が、答えそれ自体ではなく、その答えにたどり着く創造的な道筋を楽しむものであるのと同じように。時に横道にそれたり、だまされたりしながらも自分の頭で考えながら読んでいく、それが楽しいのだ。決して受動的に受け止めるのではなく、能動的に読む。それが面白い。
 
生活において、何を感じるのも、考えるのも自分であって、出来事に意味を持たせるか持たせないかも、自分の頭と心が決めることだ。
今日からは、もっと毎日に期待をしよう。日々を小さな冒険だと思おう。あの頃の私みたいに。寄り道を楽しみ、伏線に敏感になってみよう。二度と来ない今日を味わいつくそう。
そんな毎日は、刺激的で、きっととてもドラマティックなはずだ。
 
 
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2017-09-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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