プロフェッショナル・ゼミ

彼のことを「好き」だと認めることが、とても怖かった。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:松下広美(プロフェッショナル・ゼミ)

「えっ? ホントに行くの?」
「うん、そう。いいじゃん、楽しそうだし」
「じゃあ、来週の水曜から広島に行こう!」

コンパと呼ばれる飲み会に、私はいた。
男性と女性、3対3の6人で楽しく飲んでいた。
そこで突然、幹事の2人を除く、4人での広島行きが決まった。
顔を合わせてから数時間も経っていなかったけれど、同級生が久しぶりに会った、というくらいそこにいるみんなが打ち解けていた。コンパだと、あの人とこの先に男女の関係になるかも、という空気は少なからず出てくる。でもそのときは、コンパ独特のそんな空気は一切なかった。
それがなぜなのか、と問われたら、理由はいろいろ挙げられる。幹事が結婚を決めたカップルだからとか、男性の3人が親友だからとか、他にももっとあるだろうけど、なんだか気が合った、という言葉が一番しっくりくる。
気が合い、休みが合い、広島行っちゃおうぜ! と、2軒目をどこに行くかを決めるみたいに、いや、それよりも簡単に決まった。

1泊2日の旅行だった。
ただ、私はその日程の2日目の1日の休みだけだった。それでも、何か見えないものに突き動かされて、日帰りだけど、2日目の朝イチから3人と合流をした。
待ち合わせ場所に先に到着し、3人を待っていた。
どこから現れるのだろうと辺りをキョロキョロしていると、3人が横並びで歩いてきた。

「おはよー」
「ホントに来たねぇ」
挨拶をしながら、なんだか違和感を感じた。
なんだろう、と思いながら3人をよく見てみる。
違和感どころか、明らかにおかしいことに気付く。

ひとりは、スポーツバッグを肩から掛けている。
ひとりは、ボストンバッグを手に持っている。
ひとりは……手に文庫本2冊。

「本だけ?」
「そうだよ」
そうだよって。
「あれ? 昨日は雑誌も持ってなかったっけ?」
スポーツバッグを掛けているひとりが聞く。
「あぁ、ホテルに置いてきた」
いや、そういう問題じゃなくて、文庫本2冊?
泊まったんだよね? 着替えは? 洗面用具は?

旅行に来ているはずなのに、日帰りの私よりも荷物が少ない。荷物が少ない上に、服装もTシャツにハーフパンツでビーチサンダルを履いている。近所のコンビニにでも行くの? というような格好だった。

変わった人。
彼のことをそう表現するのが、いちばん、いい。
名古屋から広島に旅行をするのに、手ぶらで、文庫本だけを持っていく。
平和記念資料館を先に出たかと思ったら、公園のベンチで寝そべって昼寝している。
厳島神社では、私たちが写真を取っている間に、いつのまにか水の引いた大鳥居の方へ行っちゃってる。
4人の団体で遊んでいるのに、自由な行動にハラハラした。ハラハラしたけれど、その自由な感じがとても心地よかった。
友達に、その出来事を話すと、「マジ?」と嫌な顔をした。着替え持ってないって、着替えてないこと? 勝手に行動するのって、どうなの? と言われたけれど、私は嫌だとは全然思わなかった。

広島へ行ったことは、すごく楽しい思い出になった。
その思い出を共通言語として、何度か、といっても数える程度だけど、そのメンバーで会うことがあった。

会う回数を重ねていくうちに、私は彼のことを目で追っていた。
いいな、って思っていた。

とても自由だけど、本当は常識的なところも多い。
彼の真面目な話も、くだらない話も、楽しい。
自分のことを、よく見せようとしなくても、自然体でいることが心地よい。

でも「いいな」から「好き」になることはなかった。

学生の頃は、簡単に「好き」に昇格をした。
足が速いのがカッコイイとか、学級委員で話している姿がかっこいいとか、ちょっと優しい言葉を掛けてもらったことが嬉しいとか、ちょっとした「いいな」が簡単に「好き」になった。
友達に「好きな人いるの?」と聞かれると、ちょっとでもいいなと思っている人のことを、好きだと言った。

いつからだろう。
あんなふうに、「好き」を好きと言えなくなったのは。
ちょっと、いいなと思っていることを、好きなんだ、と友達に話すことができたのに。「好き」を表現することが、ちょっとした楽しみだったのに。

大人になったから、だろうか。

すごく気になって、暇があると楽しかったときのことを思い浮かべて、頭も心も彼のことを感じているのに、「好き」と認められない。認めたくないと思ってしまうようになったのは。

私が彼のことを好きだと認めることができていたら、彼に「好き」と言うことができていたら、なにか変わっていたのだろうか。

「あの本はどこ片付けたんだっけ?」

私は本を探していた。
部屋の本棚では見つからず、別の場所を探し始めた。
部屋の本棚に入りきらなくなった本を、使わなくなった食器棚にも入れている。奥行きがたっぷりある食器棚に本をつめてあるので、文庫本は3列くらい並んでいる。
奥の方にあるかもしれないと、一番奥を探ってみる。

1冊の本に目が止まる。

あ、この本、まだ持っていたんだ。
読みかけの本……というよりも、最後まで読めなかった本。
私には難しくて、頑張れば読めたかもしれないけれど、読むことを諦めてしまった本だった。

この本を勧めてくれたのは、その彼だった。

「ねぇ、おもしろい本って、なにがある?」
旅行先に、着替えは持っていかないけれど、文庫本は持参をする彼に聞いてみた。きっとおもしろい本を教えてくれるだろうと、期待をした。
答えを聞いて、どう返していいか、頭が真っ白になった。
私が今までに読んできた本の中に、知っている本の中に、彼の答えた本は入っていなかった。名前はもちろん聞いたことがある。歴史的な話の小説だということだけはかろうじて知っている。
本当は、「あ、それおもしろいよね!」って言いたかった。
その思いは、完全に打ち砕かれてしまった。
「よ、読んだことないや。そ、その中だったら、なにがおすすめ?」
聞いた手前、何か会話を繋がなくちゃ、と聞いた。
聞いておいて、興味がないなんて、言えない。
会話を弾ませようと聞いた質問が、沈むような結果になってしまった。
聞いた本のタイトルを、頭の中にしっかり刻み込む。
忘れないように、忘れないように……。

すぐに本を買いに行った。
読んで「おもしろかったよ!」って、話をしようと思った。
……でも、私には読み終えることができなかった。
ちょっと難しくて、ちょっと興味が持てなくて。
本をパラパラとめくると、栞が挟んであった。
そこまで読んだんだ。
その先のページをめくることができなかったのは……。

あぁ、そうか。

私は、変わってしまうことが怖かったのだ。
本を読み終えた後に世界が変わってしまったように、「好き」だと認めることで世界が変わってしまうことが怖かったのだ。

本当は、そんなことないのに。

本を読む前と読んだ後では、なにも変わることはない。
あぁ、おもしろかったなぁ。そう感じた後で、本の中の人生に憧れ、自分もそうなりたいと強く思い、少しずつ少しずつ変わっていく。劇的に何かが変わるわけでなく、いつもよりも5分だけ早く起きるとか、ほんの些細なことを少しずつ積み重ねていく。
変わったと感じるのは、ふと思い出したときに、あの本があったから変わることができた。そう思うからだ。

あのとき、私は彼のことが好きだった。

今なら、認めることができる。
時間がそうさせてくれたのか、それとも「好き」だと認めても、なにも変わらないことがわかったからだろうか。
本のページをめくれなかったように、一歩踏み出すことはできなかった。
それも、彼のことが好きだったな、と確かに思う。

好きだったと認めると、ちょっぴり後悔の気持ちが生まれてくる。

あのとき、読み終えた感想を言えなくても、よかったのに。
「ちょっと私には難しくて、読めなかったよ。でもね、この本がすごくおもしろくてね」
そんなふうに話してもよかったのに。

でも……。
彼のことを「好きだったんだ」と思えたことで、今の私は「変わった」と思うことができる。

文庫本だけを持って旅行をする彼を見てから、旅に必ず本を持っていくようになった。
そして、自由に、自然体でいいんだって思わせてくれたから、今の私は肩に力が入らないような生き方がしたいと思うようになった。
彼のことが好きだったから、近付きたい、そうなりたいと思うことができたのだ。

もう一度、この読み終えることのできなかった本を、彼のことを思い浮かべながら読んでみようかと思う。

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