プロフェッショナル・ゼミ

たとえ紙切れ一枚だけのつながりしかなかったとしても《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:上田光俊(プロフェッショナル・ゼミ)

※このお話しはフィクションです。

「君と別れたい。離婚して欲しい」
すでに夫の名前が書かれてある離婚届が私の目の前にあった。
『望月真一』
私はリビングで椅子に座りながら、テーブルの上に置いてあるそれをただ見ていた。
あーそういえば離婚届ってこんな用紙だったなと、私はぼんやりと7年前のことを思い出していた。
私は以前に一度だけ離婚経験がある。
つまり、バツイチだ。
一度目の離婚の時は、私から離婚を申し入れた。
明確な理由があったわけじゃない。
前の夫のことが嫌いになったということではなくて、ただ好きじゃなくなってしまったのだ。
前の夫に何か問題があったというわけではない。
浮気をされたとか、暴力を振るわれたとか、そういうことは全くなかったし、束縛が強いとか、働かないとか、そういうことでもなかった。
ただ、前の夫と一緒にいる理由が私の中でなくなってしまったのだ。
なんで私はこの人と一緒にいるんだろう。
これからもずっとこの人と一緒にいるんだろうか。
この人は本当に私と一緒にいていいと思っているんだろうか。
私、このままでいいのかな……。
そんなことを考えていたら、このまま結婚生活を続けていける自信がなくなった。
どうしたらいいのかわからなくなった。
この人と一緒にいることが、なんだか悪いなという気持ちまで湧いてきて、私の方から離婚を申し入れたのだ。
私も、何故前の夫のことが突然好きじゃなくなってしまったのかはわからなかった。
今でも良い人だったと思っているし、あのまま結婚生活を続けていても、きっと人目には幸せに映っていたんだろうなとは思う。
でも、私にはあのまま結婚生活を続けることはできなかった。
ただ、時期の問題だった。
いつ離婚するか、それだけだった。
遅かれ早かれ、私たちには離婚しかなかったのだ。
そして、私たちは話し合いが長引くこともなく、割と早く離婚することができた。
慰謝料も何もなし。
あっさりとした離婚だった。
私は、その時に書いた離婚届を思い出しながら、今目の前に置いてあるそれをただぼんやりと眺めていた。

「これ、何?」
「突然でゴメン。急でびっくりしたと思うけど、君と別れたいと思ってる。離婚して欲しいんだ」
夫は目を逸らすことなく、真っすぐに私を見ながらそう言った。
「どうして? どうして急に離婚なんて……」
私の質問に対して、夫は迷うことなくこう答えた。
「もう、君のことが好きじゃなくなったんだ」

それから私たちは別居生活に入った。
夫が私たちの住んでいるマンションから出て行ったのだ。
勿論、私たちはすぐに離婚したわけじゃなかった。
私は抵抗した。
離婚はしたくないと言った。
私に何か不満があるのなら言ってください。
私にできることなら、何でもしますからとも。
しかし、夫は「もう、君のことが好きじゃなくなった」と繰り返すばかりで、私には何の問題も不満もない、これは僕の問題なんだと言った。
私は納得できなかった。
それで、はいそうですか、わかりました、じゃあ離婚しましょうか、と簡単になるわけがなかった。
他に好きな人ができたのかもしれないと思って聞いてみたけれど、そういうわけじゃないという返事しか返ってこない。
このままいつまで話していても、答えが出そうになる気配は全くなかった。
会話が途切れて長い沈黙が続いた後、「真剣に離婚のことを考えて欲しい」と言い残し、その日のうちに夫は出て行ってしまった。

私は離婚するつもりは全くなかった。
結婚して丸3年が経ったけれど、私には今の夫のいない生活なんて考えられない。
私はまだ夫のことが好きだった。
もし、離婚したとしても、今後、今の夫以上に好きになれる人と出会えるなんて到底思えない。
私は夫以外の別の人を好きになりたくはなかった。
このままずっと一緒にいたかったのだ。
私にはしんちゃんが必要だった。

「ごめんなさいね。真一がわがままなことばっかり言って」
お義母さんが私たちの住んでいるマンションを訪ねて来ていた。
事情を聞きつけて、私の顔を見に来てくれたのだ。
お義母さんは、結婚してからずっと私のことを良くしてくれていた。
二人で一緒に買い物や食事に行くことも多かった。
私が小学2年生の時に両親が離婚してから、私は父親に育てられていたので、母親に甘えるということがあまりできなかった。
母親の愛情に飢えていたかもしれない。
そんな私に、お義母さんはとても良くしてくれた。
お義母さんはとても優しい人だった。
嫁と姑は仲が悪いなんて言うけれど、私たちにはそれは全くあてはまらなかった。
もしかしたら、本当の母娘以上に仲が良かったかもしれない。
私はしんちゃんのことも好きだったけれど、お義母さんのことも同じように好きだったのだ。
「真一から聞いたわ。今、別居してるって……」
「は、はい……、そうなんです……」
私はなんだかお義母さんに申し訳ない気持ちになっていた。
結婚生活を上手く続けられない自分は、ダメな嫁だったんじゃないかと思えてしまって、真っすぐにお義母さんのことを見ることができなかった。
「すみません……」
気が付いたら、私はただ謝っていた。
しんちゃんから、私には何の問題も不満もなくて、しんちゃん自身の問題だと言われていたとしても、しんちゃんにそう思わせてしまった自分にもどこか非があるんじゃないかと思えて仕方がなかったのだ。
「別に、ゆりちゃんが悪いわけじゃないでしょう? 謝らなくてもいいわよ」
お義母さんは笑みを浮かべながら優しい表情でそう言ってくれた。
「で、でも……」
「これはね、どちらが良い悪いとか、どちらに非があるとかないとか、そういうことじゃないの。理屈じゃないものね」
「……」
「人の気持ちなんて、そう簡単に割り切れるものじゃないんだから、謝る必要なんてないのよ。ゆりちゃんは何も悪くないんだし」
お義母さんは紅茶を口にしながら、私に向かってそう言った。
「謝らなければいけないのは、むしろ私の方ね。真一がごめんなさいね、わがまま言って」
「い、いえ……」
「私が口出しすることじゃないから、二人のことについては何も言わないけど、もし、真一がしたことでゆりちゃんが傷付いてたら申し訳ないと思って。それで今日来たの」
「お義母さん……」
「今すぐに答えを出さなくてもいいんだから、ゆっくりと今後のことを考えて、それから二人でちゃんと話し合ってね」
私はもう何も言えなかった。
お義母さんの言葉が嬉しくて、私は溢れてくる涙を止めることができなかった。

「お義母さん、今日は本当にありがとうございました」
玄関でお義母さんを見送りながら、私はお義母さんにお礼を言った。
「いいえ、また何かあったら相談してね。それと、今度一緒にランチでも行きましょう。ほら、ゆりちゃんが前に行きたいって言ってたところあったでしょう」
そう言ってから、お義母さんは何かを思い出したような顔付きになってこう続けた。
「あ、それと、もし子供のことが気になってるんだったら、気にしなくてもいいからね。あれは仕方のないことなんだから……」
「あ、は、はい……」
私は言葉に詰まった。
何て言ったらいいのかわからなかった。
「それじゃあね」
「は、はい、ありがとうございました」
お義母さんはそう言って帰って行った。

実は、私はまだお義母さんに言っていなかったことがある。
私はなかなか子供ができにくい体質だった。
不妊症だったのだ。
しんちゃんと結婚してから、一年以上経っても私はなかなか妊娠しなかった。
念のためと思って行った婦人科で私は不妊症と診断されたのだ。
幸い、排卵障害や卵管障害があるというわけではなかったため、排卵日を計算して自然妊娠できるようにタイミング療法から始めることになったのだが、それでもなかなかできなかった。
私は元々子供が欲しいと思っていたわけではなかったので、妊娠しなくてもそれほど落胆することは少なかったのだが、しんちゃんはそうではなかったようだ。
しんちゃんは、結婚当初から子供を望んでいた。
子供はできれば3人くらいは欲しいなんてことをよく言っていたし、早くから名前も考えていた。
それでも、なかなか子供ができにくい体質の私に対して、責めるようなことを言ったことは一度もなかったし、気長に待とうとも言ってくれていた。
そして、その一年後、やっと私は妊娠した。
しんちゃんはとても喜んでくれた。
私は、妊娠したことよりも、しんちゃんが喜んでくれているのを見るのがとても嬉しかった。
あーこれで私もとうとうお母さんになるんだなと思って、しんちゃんが私たちの赤ちゃんを抱っこしている姿を想像しては一人でほほ笑んでいたのだ。
そして、これでやっと私は、しんちゃんに対して妻としての役割を果たせたような気分にもなっていた。
肩の荷が下りたような気持ちだったのだ。
しかし、その喜びはすぐに終わってしまった。
流れてしまったのだ。
やっとできた小さな命は、その短い生涯をあっけなく閉じてしまった。
私は、落ち込んだ。
ショックだった。
そして、私と同じように、いや、私以上にしんちゃんはショックを受けていたようだった。
私はそんなしんちゃんの姿を見るのが余計につらかった。
しばらくして、私たちはそれからもタイミング療法を続けてはみたものの、今まで私が妊娠することはなかった。
もしかしたらとは思っていた。
頭の片隅にはあった。
急にしんちゃんが離婚を言い出したのは、それが原因ではなかったのだろうかと。
私になかなか子供ができにくいということが、私と別れたいと言い出した一番の理由なんじゃないかと、そう思うようになっていたのだ。

「どう? 気持ちの整理はついた?」
私たちはカフェで待ち合わせをしていた。
しんちゃんと今後のことについて話し合うためだった。
「ひとつ聞きたいことがあるんだけど……」
私は、あのことについて、しんちゃんに聞いてみることにした。
「急に離婚したいって言い出したのって、もしかしたら、私の身体のことが原因で?」
私はしんちゃんを真っすぐに見据えて、そう聞いてみた。
「身体のこと?」
しんちゃんは何のことを言っているかよくわからないといった風に聞き返してきた。
「私に子供ができにくいから……。だから、私と離婚したいって……、そう思って離婚したいって言い出したんじゃないかって……」
「そう思ってたの?」
「う、うん……」
私の話しを聞いて、しんちゃんは言葉を選ぶように慎重に答え始めた。
「違う。それは違うよ。ゆりに子供ができにくいから離婚したいって言い出したわけじゃない。前にも言ったように、ゆりは何も悪くないんだ。ただ、もうゆりのことが好きじゃなくなってしまったっていうだけなんだ。どちらかというと、これは俺の問題なんだ」
「じゃあ、私以外の別の人と結婚すれば子供ができるかもしれないと思って、そう思って私と離婚したいって言い出したわけじゃないの?」
「ああ、そうだよ。そんなこと考えたことないし、これからも子供のために誰かと結婚しようなんて思わないよ」
「そんな……」
あんまりだった。
いっそのこと、子供ができないから離婚したいって言ってくれた方がよっぽど楽だった。
その方がきっと気持ちの整理もついたのに……。
そうじゃなくて、ほんとに私のことが好きじゃなくなったっていう理由の方が、私にとってはつらかった。
他に好きな人ができたとか、私のことが嫌いになったとかなら、納得はできなくても踏ん切りはついたかもしれないのに……。
それなのに……。
これじゃ、あんまりだ。
このままじゃ、私はまだしばらく離婚届けにサインできそうにない……。
そう思った時、私は、前の夫が私から急に離婚したいと言われた時の気持ちがやっとわかったような気がした。
こんな気持ちだったのか……。
嫌いになったと言われたならまだしも、ただ好きじゃなくなったって言われただけなら、踏ん切りつかないよな。
気持ちの整理なんて、できないよな。

「私、離婚したくない……」
「えっ?」
「私、別れたくない……」
「でも……」
「私、やっぱり嫌だから」
「ゆり……」
「離婚したくないから」
私はそう言い残して席を立った。
だって、私にはまだ気持ちの整理がついてないんだもん。
私はまだ、しんちゃんのことが好きなんだもん。
たとえ、しんちゃんの私に対する気持ちがなくなってしまっていたとしても、私にはまだ気持ちが残ってるんだから。
仕方ないよ。
私には、まだ離婚届にサインはできない。
たとえ紙切れ一枚だけのつながりしかなくても、私はまだあなたとつながっていたいから。

***

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