サダム・デビル・フセインが教えようとしたこと、それは?
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:高林忠正(ライティング・ゼミ日曜コース)
「オレがいいって言うまで、ここ動くんじゃねえぞ」
ハンドマイクを手渡されました。フロアガイドをポケットに入れました。
目の前には高さ50センチほどの台があります。
ここに登って場内案内をせよ、との指示です。
肚をくくりました。
「いいな」と念を押されました。
5分ほど前まで、ここから30メートルほどの距離だった最後尾のプラカードは、90〜100メートルにもなろうとしています。
10月1日の午前9時55分、西鉄福岡駅ビル前の渡辺通り、天神地下街は、まるで安室奈美恵のファイナルコンサートを待つ観衆のように、かつてない数の人で埋め尽くされていました。
百貨店に入社して20年目、何もかもが初体験の秋でした。
その半年前、私は人事異動の辞令を受けました。
「仕入、食品を命ず」
入社20年とはいえ、アパレルとスポーツ用品の販売が大半で、食品の販売経験はほとんどありません。
辞令とともに、人事部長からは「まぁ、気分転換のつもりで楽しんで」と言われました。
それもいいかなという楽観的な感情は、異動初日でもろくも崩れ去りました。
百貨店の本業は品物の販売です。そしてその品物は、仕入れなければなりません。仕入を担当するバイヤーの目利きと商品調達力は、百貨店に限らず、スーパー、コンビニをはじめ、小売業にとっての生命線です。
特に食品の仕入の場合、その道15年、20年というプロ中のプロというにふさわしいバイヤーたちの集団でした。
「やっていけるのかなぁ……」最初から怖気付いてしまったことはいうまでもありません。
さらに、その目利き集団の長こそ、たたき上げながら、会社全体の食品ビジネスの仕入と販売を一手に取りまとめる河野(仮名)部長でした。
人呼んで、サダム・デビル・フセイン。身長180センチ以上、体重90キロ超。腹の底から発する声は、まさに映画で見た『大魔神』そのものでした。
私の担当は乳製品、調味品、乾物などのグロサリーコーナーとなったものの、試用期間はゼロ。直属の上司はいたものの、毎日のようにサダムから呼ばれ、直接質問を受けるのです。
「グラニュー糖1kgの店頭小売価格は?」
つい数日前までスポーツシューズを販売していた私にとって、わかろうはずがありません。
わからないでフリーズしていようものなら、「すぐに調べて来い」が合言葉です。
サダムの言ってる品物が身の回りにない場合は、メーカーに言って取り寄せるのです。
安全、安心をモットーに、現物確認を第一とする指導は、品物を目で見て、手に取って、食べてみて、匂いを嗅ぐというものです。
「わからないことだらけ」の私にとって、さらにサダムから追い討ちをかけるようなミッションがもたらされました。
会社が社運をかけて行う九州初の店舗の開店です。
銀座三越に匹敵する売り場面積37,000平方メートル、ショーメなど九州初のブランドの数々を取り揃えた福岡店の開店プロジェクトの一員でした。
食品ど素人のおれがなんで? と言ったところで始まりません。
「ちょっと体の具合がよくないんで」と、エスケープしようにも、周りからは「だいじょうぶ、サダムと一緒だったらなんとかなる」と一蹴されてしまいました。
あとから聞いたところでは、他の食品バイヤーは現在担当している仕事で目一杯だったというのがその理由でした。たまたま私が指名されたというものです。
福岡店開店初日の場内案内は、午前10時前から午後3時まで休みなしでした。
声はかすれ、ハンドマイクを持つ手はしびれ、腰は鉛のように重くなりました。
バックヤードに置いた凍らせたペットボトルのアクエリアスは、口にした時はすでに生ぬるくなっていました。
場内案内の次は店頭で牛乳の試飲販売、レジスター要員、港近くの那の津倉庫に品物を取りに行って帰ってきたと思ったら、消防署の査察によるバックヤードの整理など、休まる暇もありません。
全長180メートル、幅8メートルという細長い食品フロアをサダムは15分と置かずやってきては、にらみをきかせていたました。九州初の店舗を絶対に成功させるんだというまなざしでした。
私への指示は、「遅い」「早くしろ」「ケースが空になってる」「お客さまをお待たせするな」というもの。
結局、その日食事にありつけたのは、夜中の12時。店舗裏手の警固(けご)公園脇に開いていた屋台のとんこつラーメンでした。
「もう、やってらんねぇよ」と愚痴ってもすべてが明日に向けて動き始めていました。
睡眠時間2時間で、翌朝5時からの開店準備にとりかかるありさま。10日間の福岡出張はすべてこんなスケジュールでした。しかも常にサダムと行動を共にしたのです。
帰京した私は休む間もなく新たなミッションが与えられました。
それはサダムのアシスタントでした。
席は隣。仕事はすべてサダムの指示のもと行われました。
資料作成、売上高集計、利益のシミュレーションから、バイヤーたちのバックアップ、そして来客へのお茶だしなど、サダムの仕事すべてに関わるというもの。
まさに半径3メートル以内の徒弟関係が始まったのです。
朝と言わず、昼と言わず、夜と言わず、その後2年間にわたってのサダムからの直接指導が始まりました。ときには怒鳴られ、ときにはにらまれました。
そのなかで、サダムが繰り返し言ったことばは、「仕事には型がある」というものです。
叩き上げのサダムが、まさに身体で習得してきたものばかりでした。
店頭での営業しかり、プレゼンしかり、資料の書き方しかり、さらに商品開発しかりです。
今から思うと、その指導は一人前の食品仕入マンとなるためには発せられたものばかりでした。
私がサダムのもとを去る時、彼は私の目を見て言いました。
「失敗は存在しない。すべてがフィードバックだ」と。
サダムは私に対して、仕事の型を最短、最速で習得させようとしたのです。
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