京都の祇園祭に行って、地元のちょっとおかしなお祭りを思い出した《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:たけしま まりは(プロフェッショナル・ゼミ)
コンコンチキチン コンチキチン
コンコンチキチン コンチキチン……
猛暑の京都市内で、涼やかなお囃子の音が響く。
こないだの三連休、東京から足を延ばして京都の祇園祭に行ってきたときのことだ。
祇園祭は日本三大祭りのひとつで、起源はおよそ1100年前になるらしい。
毎年7月1日から一ヵ月間に渡っておこなわれ、京都市の中心部にはいくつもの山鉾(やまほこ)が建てられる。7月17日には建てられた山鉾が四条通周辺を巡る「山鉾巡行」がおこなわれ、20万人以上の観客がおしよせる。山鉾巡行は2009年にユネスコ無形文化遺産に登録されたほどの、とにかくすごいお祭りだ。
山鉾はそれぞれに厄除けや安産祈願などの祈りが込められ、装飾や形などもまったく違う。荘厳なよそおいの山鉾は、雅やかで美しい。見ているだけで平安時代にタイムスリップした気分になり、せっかくだから着物を着れば良かったと少し後悔した。
しかし、何はともあれ、暑い。
例年より早い梅雨明けに加え、連日35度以上の猛暑日。
盆地の京都はあまり風が吹かず、どこも熱気がこもっている。
いくら山鉾が雅やかで美しくても、この人ごみと暑さでは心がどんどん汚れそうだ。
ふと上半身を見ると、首元の滝汗で、首回りによだれかけのように汗染みがついていた。
うわっ、すっごい汗……。
こんなに京都が暑いだなんて思わなかった。そしてこの暑さに耐えながら日常生活を送っている京都人に敬服した。
屋台で買ったビールを飲んで、暑さをごまかす。
暑さとビールの酔いのせいか、歩きながら頭がぼおっとする。
今年の巡行は休み明けだ。天気予報は快晴。カンカン照りのなか大きな山鉾を引きずって、おごそかな動作を加えながら市内を練り歩くだなんて、想像しただけでめまいがする……。
わたしは次第に変なことを考えるようになった。
こんなに暑かったら、頭のねじが飛んで、いきなり脱ぎだす人とかいてもおかしくないんじゃないか。
まず、わたしがいますぐ脱ぎたいと思っているし。
さすがにすっぽんぽんはマズイけど、わたしは「合法的に脱げる」お祭りを知っている。
それを京都でやったらいいのに、とわたしは勝手な妄想をはじめた。
「合法的に脱げる」お祭りとは、わたしの地元のお祭りなのだ。
わたしの地元、北海道・富良野では毎年7月に「合法的に脱げる」お祭りをおこなっている。その名も「北海へそ祭り」。
富良野は北海道のど真ん中に位置することから「へその町」と呼ばれ、へそ祭りは「へその町・富良野」をアピールするために開催された。
このお祭りの特徴はとにかく「へそ=真ん中」にこだわるところ。開催日程は必ず一年の「真ん中」である7月28日・29日。その日が休日だろうが平日だろうがおかまいなしという徹底ぶりだ。
へそ祭りは今年で開催50回を迎える。歴史は祇園祭とは比べようもないが、毎年3000人以上が参加する、富良野名物のお祭りだ。
このお祭りのメインイベントは「へそ音頭」にあわせて富良野市街を練り歩く「へそ踊り」である。
ここで、勘の良い人は気づくかもしれない。
記事画像の、お腹にインパクトのある顔を描いた恰幅の良い男性の姿。
あれが「へそ踊り」の正装だ。
お腹に人の顔を描き、腰にかかしの胴体のようなものを装着し、顔と両手は大きな笠で覆うようにして隠す。すると胴体が顔になり、某ネコ型ロボットのようなやたら顔の大きい「へそ人間」ができあがる。
へそ人間の姿に「変態」し、陽気なリズムの「へそ音頭」にあわせて、絶妙なステップの「へそ踊り」をしながら街中を練り歩く。それがへそ祭りの醍醐味なのである。
「へそ人間」の要・お腹の顔は「図腹」と呼ばれる。図腹は胸とお腹全体に白いドウランを塗って下地をつくり顔を描く。へそが「口」の部分にあたるようにするのがポイントで、歌舞伎役者風に顔を描くのがスタンダードである。最近では美人画やアニメキャラ風にも描く人がいて、参加せずともバラエティに富んだ「へそ人間」見たさにたくさんの観光客がおとずれる。
「へそ人間」は恰幅の良い男性であればあるほど描きやすく、迫力が出る。引き締まった体型が「イケてる」とされる美的感覚もこの時期の富良野では通用せず、お相撲さんのような体型であればあるほど「イケてる」人間になれるのである。
ちなみに参加者は男性に限らない。女性もウエルカムなのだ!
引き気味の女性陣に安心していただきたいのだが、女性が「へそ人間」になる場合は胸にさらしを巻いて図腹を描いたり、そもそも図腹の描かれたTシャツを着たりする。老若男女かかわらず「へそ人間」になれるのである。
へそ祭りは地元民だけのお祭りではなく、地元以外の観光客も飛び入り参加ができる。へそ踊りのコース周辺にはどこのお祭りでも見かける屋台がならび、富良野の特産品売り場もある。この時期に富良野に来れば、ラベンダーやドラマ「北の国から」グッズを買えるだけでなく、迫力満点な踊りまで見られるのだ。この先ずっと忘れられない思い出ができることは間違いない。
しかし、へそ祭りには欠点がいくつかある。
まずひとつめに、おごそかさがゼロだ。
祇園祭を見てしまったから余計にそう思うのだが、へそ祭りの歴史はたった50年。
昭和44年に操上秀峰、森田藤八、横尾栄次という3人の男性が「へその町・富良野」にまつわる祭りをやろう! とアイデアを集めたのがはじまりだ。
疫病退散や五穀豊穣などの祈願の意味は特になく、町おこしのためのお祭り。「お祭り騒ぎ」のためのお祭りだ。由緒がなさすぎる。その頃の富良野はラベンダー畑も「北の国から」もないただの田舎町だったから仕方ないかもしれないが、町おこしをしようとひねり出した「へその町」も苦し紛れのアイデアに感じる。
ふたつめに、「へそ踊り」の正装。
見事なペイントの「へそ人間」は見ものだが、残念ながら汗で顔がどろどろになり、おどろおどろしい生き物へと変わり果てた「へそ人間」に遭遇することもある。その光景は、正直言ってグロテスクだ。地元民は慣れ切ってしまっているのでなんとも思わないのだが、観光客、とくに幼い子どもが見たらきっとトラウマになるだろう。
みっつめに、富良野の交通の便の悪さ。
北海道は思った以上に広い。最寄りの空港は旭川空港だが、関西からの直行便はなく、羽田空港以外の直行便は名古屋のみ。それも一日一便しか就航していない。定期便がたくさん飛ぶ新千歳空港から富良野までは120キロほど離れていて、特急やバスを乗り継いでおよそ3時間以上かかる。乗り継ぎなどの時間を含めると、半日以上を移動に費やしてようやく富良野に到着する……という事態がザラに起こるのだ。
ちなみに、富良野から札幌までの最終汽車は20時38分、旭川までの最終は20時44分。「へそ祭りを楽しんでから都心のホテルに戻ろう!」などと考えると、映画館でエンドロールが流れた瞬間にダッシュしないといけないようなハラハラを味わうことになってしまう。ゆっくり祭りを楽しみたい人は、富良野に泊まるしかない。
おごそかさがなくて、行きにくくて、「へそ人間」のインパクトに頼りきりのへそ祭りを思い出すと、由緒あるお祭で、雅やかで美しく、交通の便も整った祇園祭とはえらい違いがあることがよくわかった。
祇園祭が幼少期から有名子役として活躍してきたイケメン俳優だとすると、へそ祭りはインパクトだけが売りのお笑い芸人みたいな感じだ。
しかも祇園祭のメインイベントはユネスコ無形文化遺産だ。
かたやへそ祭りは、インパクトだけが売りの裸芸人……。
知名度がないことはないが、ひとつのネタに頼りすぎている。でも、もう少し頑張れば、とんねるずの木梨憲武みたいにお笑いとアートの両面で大成するかもしれない。
わたしは裸芸人の母のような気分になり、もっとへそ祭りのことを応援したくなった。
へそ祭りはいいぞぉ。
まず、富良野は涼しい。7月の富良野の平均気温は25度で、京都の5月並みの気候だ。しかも湿気がなくカラッとしているので、汗をかいても気持ち良い。全力で「へそ踊り」ができる。踊り狂える。
そしてなんといっても「へそ踊り」の魅力は、「合法的に脱げる」ことだ。
素顔は笠で隠れて見えないから、ためらわずに脱げる。新しいことにチャレンジしたいけれど模索中の人や、自分をもっと成長させるきっかけをつかみたい、「一皮むけたい」と思う人にはぴったりのイベントだ。脱いだ先に、何か見えるものがあるかもしれない。何も見えなくても、「半裸で町中を練り歩く」という非日常を体験することで心身ともにリフレッシュするはずだ。
今年の7月28日と29日は、ラッキーなことに休日だ。富良野まで足を延ばして「へそ祭り」で踊り狂うチャンスだ。
これは早急に誰かにおすすめしなくては!! と思い、スマホを手に取りフェイスブックを開いた。
よく言うよ。
フェイスブックの投稿画面を開いたところで、もうひとりの自分が冷めた口調でわたしにツッコんだ。
あんなお祭り「まじで無理」って言ってたくせに!
そうだった。
地元にいたとき、わたしは「へそ祭り」が嫌だった。理由はもちろん「へそ人間」のインパクトが強すぎたからだ。小学生のときは「へそ人間」が妖怪にしか見えなかったし、成長しても思春期のわたしにとってはおしゃれでもかわいいでもないものを「良いもの」だと認められなかったのだ。
当時テレビで見た祇園祭の美しさに圧倒された。
やっぱり、京都ってすごいなぁ……。それに加えて地元の祭りは、なんでこんなに変なんだろう。
そう思ってがっかりしたのを強く覚えている。
フェイスブックからグーグルの画面へ変え、「へそ祭り」を検索して公式サイトのページを開く。
「へそ祭り」を考案した3名の男性のヒストリーを読むと、珍奇絶妙な「へそ踊り」はなかなか受け入れられず、最初は踊り手が11人しか集まらなかったらしい。
どうやらわたしの感覚は自分だけのものではなかったようだ。
しかしそのお祭りはその後も続き、今では富良野名物のお祭りになっている。なんだかんだ言って富良野の人は「へそ踊り」を受け入れたのだ。
結局わたしは「へそ祭り」を好きになれないまま上京した。
わたしの「親心」は、そんな地元への後ろめたさからくるものでもあったのだ。
そんな自分が、富良野を、「へそ祭り」を語る資格なんてあるのだろうか……。
急に気持ちがしぼんだ。
いやいや、せっかく京都に来ているのに何を考えているんだ! と意識を祇園に戻す。
駅でもらった祇園祭のチラシに目を通すと、山鉾の解説や祇園祭の由来がことこまかく書かれていた。
祇園祭は、疫病退散のために日本の国の数の66本の鉾をつくり、悪霊を封じ込む例祭をおこなったことがはじまりらしい。
疫病退散というのは知っていたけれど、まさか日本全国を背負っていたなんて。さすが都。
山鉾の装飾は、日本の織物や染物だけでなく中国やベルギーから輸入した装飾品も使われていて、別名「動く美術館」とも言われている。
日本全国を背負うだけでなく、もはや日本を飛び出している。
北海道は広いぞ〜などと威張っていたけれど、祇園祭のスケールはわたしが思っていた以上に巨大だった。
祇園祭、すごい……!!
追っかけていたイケメン俳優が、突然ハリウッドデビューして遠い世界に行ってしまったような気分になった。
イケメン俳優には、ぜひそのまま日本を代表する存在として活躍してほしいと心から願う。
……じゃあ、へそ祭りは?
なんかもう、変でもいいんじゃないかと思えてきた。
日本を背負って世界中で活躍する存在も、身近な人を楽しませてくれる存在も、どっちも必要だ。適材適所というものが、何にでもあるはずだ。
へそ祭りは富良野の人たちを活気づけるユーモアのあるイベントとして活躍しているのだから、それで十分ではないか。
次第にそう思えるようになってきた。
わたしは「祭はおごそかで美しくあるべき」みたいな固定観念にとらわれていたのだろう。
いいじゃないか、変だって。
むしろ、変であればあるほどいいんじゃないか。
そう思うと、途端にへそ祭りが好きになれそうな気がしてきた。
しぼんだ気持ちが、少しずつ復活してきた。
コンチキチン、の音色が心地よくわたしの耳に入ってくる。
祇園祭よ、わたしにとって大切なことを思い出させてくれて、本当にありがとう。
わたしは近くの山鉾に手を合わせ、祭っていいな、とひそかにつぶやいた。
※参考サイト
「【公式】北海へそ祭り|北海道富良野市商工観光課」
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