【天狼院書店暴露日記】ライバルは、いるのかいないのか問題
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:田中望美(チーム天狼院)
怒られた。
こんなに怒られたのは、いつぶりだったかと思う。
幼稚園の時、お遊戯会の練習でボーッとしていたら、
「こらー!」と怒鳴られた。
小学校の時、担任の先生に人のことバカにして笑ってしまい、「なんで笑いようとか!?」と怒鳴られた。
高校も中学も厳しく怒られたことはある。親にも何度も叱られてきた。
けれど、おとなになってここまで怒鳴られたのは初めてである。
「もっと真剣にやれよ!!」
厳しい目つきで怒りに震えた声で怒られた。私は涙がこぼれた。
頑張ってるのに……だけど、まだまだ足りないことは自分でもわかっていた。
それだから、悔しくて泣けてきたのだ。
「まだ、その域にも達していないんだから、あなたはそれ以前の問題よ」
ダンスレッスンで先生に質問したけれど、そのレベルに達していないと言われ、また泣いた。
それをわかった上で、今自分ができることを聞いたのに、頭ごなしにそう言われて、
わかってるし、そのレベルに達していないことなんて百も承知だ。だけど、それでもそれができるようになりたいから、ちょっとでも近づけるようにできることを聞いたのに、そう言われたから、不甲斐なくて、悔しくて泣けたのだ。
その後は、ケロッと泣き止んだが、悔しさは、消えたわけではない。
私はおそらく、人よりも「悔しい」という感情が大きい。
例えば色んな人のいいところを見つけては、悔しがる。
あの子は何でもうまくいっているからいいな。
あの子は、皆から愛されている。
あの子は、純粋な心を持っている。
そして、自分より成功しているように見える人のことを純粋に応援したり、喜ぶことが出来ないのである。逆に、人がうまくいってないと、しめしめと思っている自分がいる。
そんな自分の汚い心を実感して、さらに悔しさを覚える。
そんなことの繰り返しだ。
けれど、ただ悔しがっているだけだと、自分が辛いだけだ。
私はある舞台でとても悔しい思いをした。
とても思い入れのある舞台で、人一倍気合が入っていたのに、全然思うような役も位置も、人間関係も獲得できなかったのである。
死にたいくらい悔しかった。惨めだった。
何より一番、自分に苛ついていた。
けれど、悔しさの中、なんとか自分を保っていたのが、これを機に爆発してしまった。
私は自分に幻滅し、なんでこんなに苦しまなければならないんだと、思ってしまった。
こんなに苦しむ必要なんかあるのだろうか?
自分がやりたいと思うことをやっているのに、こんなにつらいのなら、やる意味はあるのだろうか?
どうあがいても、何をしてもダメな気がした。
天狼院書店では、ごく普通に未来における展望を語り合う事がある。
仕事において気をつけることだとか、考え方だとかを熱く真面目に話し合う。
バイトが終わった後、深夜まで話し込んでしまうことも。
普通の世間話や恋愛話、ふざけた話もするけれど、冗談のように思えることを本気で話していたり、日常のことを仕事に繋げて考える時間も多い。
傍から見れば、意識高い系? と思われるかもしれない。
言ってしまえば、いつも未来のことを考えている。でも、そう言う話が自然に行われている。私もようやくそんな環境に免疫がついてきたところだ。
どうしたら、お客様に喜んでもらえるか。
仕事において大切なことはなにか。
これからやっていくべきこと。
自分の今の状況。
川代ノートで店長がこんな記事を書いていた。
この部下は私のことであり、バイト後ご飯を食べに行った際に、たくさんのことを語り合った。話してくれた。私はそのおかげで自分のことを見つめ直せたし、また一つ新しい考え方も得ることが出来た。
「それって美しくないよね」
先日、店主三浦がそういった。
仕事は美しくする。
スタンスのセンスがダサいのは最悪。
卑怯なことをして、後ろめたい気持ちで稼ぐのは美しくない。
人としての生き様が一番大切。
自分にとって、その行動が美しいか美しくないかがとても重要なのだそうだ。
営業後の数名のスタッフで話す時間が、私にとって変化していこうと励む燃料になっている。
私は、今までたくさんの悔しい思いをしてきた。
舞台メンバーに選ばれなかった悔しさ。オーディションに受からなかった悔しさ。いつまで経っても下手くそで不器用な自分。一番悔しいのは、分かっているのに出来ない、努力から逃げようとする自分。
嬉しいと思うことより、悔しいと思った回数が断然記憶に残っている。
そんな時、私の人生は果たして幸せなのかと、やっぱりふと疑問に思うのだ。
もっと今の自分を認めてあげればいいのに。ありのままの自分を褒めてあげたほうが、心に余裕が持てて、明日からも頑張ろうと思えるかもしれない。
ダメな自分も、頑張ってるじゃないか。それでいいじゃないか。
実際にそう思うと、幾分心が楽になれる事もあった。
だから、悔しさというのは、自分の器の小ささの表れだと思っていた。
しかし、ついこの間、天狼院書店のこれからについて語り合っていたときである。
「忸怩たる思いが無くなったら終わりだよ」
その日は、店主三浦も加わって深夜語り合っていた。
今の自分が天狼院書店にいてなにか役に立てているのかという不安を打ち明けるスタッフや、これからの天狼院書店をどうしていくか、とか、あの時めちゃめちゃ悔しい思いをしたのだ、と話すスタッフもいた。
そんな時、店主三浦が言ったのだ。
「忸怩たる思いが無くなったら、終わりだよ。変化がなくなるから。だから、一番忸怩たる思いをしてるのは、僕なんじゃないか思う」
忸怩たる思いをしなくなってしまうということは、今の状態で満足してしまったということだ。今の状態で満足してしまったら、人はハングリー精神をなくしてしまう。すると、そこから変化はないのだ。だから、先頭に立つ店主自体が一番忸怩たる思いをしてやっていかなければならないのだ、という。
なんだか、武士道みたいだなと思った。
武士の心得を聞いているような感覚だった。
「そりゃそうだ、頭では分かっているけど、簡単なことではないのだ」と言いたくなるようなことを、疑いもなく簡単に言ってしまう店主三浦が、とても勇ましかった。
そして、その時、いつも悔しいと思ってきた自分は、間違っていなかったのだと思った。
というか、悔しさを積み重ねていくことでしか進化し続けられないのなら、悔しいと思わなくなってしまった時が自分の限界で、それ以上はないのだ。
それから、少しだけ考え方が変わっていった。
そうだ、私にライバルなんかいないのだと思えばいいのだと思ったのだ。
私が羨むあの子も、何もかもうまくいっているように思えるあの子も。何も悩みがなさそうなあの子も、ライバルではなく、自分の為の「学び」となってくれる人だと思えばいい。ライバルだと思うから苦しい。ならば、彼らの良いところを真似して勉強させてもらって、自分の成長に活かせれば、ライバルは、的ではなくありがたい存在になる。
ライバルだと思って敵視してしまうから、人間関係までこじらせてしまいそうになり、集団の輪に入るのが億劫になる。私は本当は寂しがり屋で、皆でワイワイするのが大好きであるのに、悔しさが、私の素直な心を奪ってしまうのだ。
ライバルではなく、「学び」の対象と思えば、心がスッと穏やかになり、前向きになった。悔しさから、前向きなパワーを生み出せるようになった気がする。今までは負のパワーだったのが、プラスに転換できた感覚だ。
悔しさは、悪いものなんかではない。問題は、それが原因で辛くなって、何もできなくなることだ。
ベタな言葉だけれど、「悔しさをバネに」の本当の意味って、こういうことなんじゃないかと思う。
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