こじらせた我慢の解き方
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:わしおあやこ(ライティング・ゼミ日曜コース)
「イミワカンナイ」
そうアメリカ人の友人が言い放った時、私は、まるで赤べこのように首をぶんぶんと縦に振り続けていた。そう、そうなのだよ。私もずうっとそう考えていたのだよ、と。
彼女は、日本人の我慢の意味がわからない、と言っていた。
彼女の名誉のために断っておくが、単語の意味がわからないと言ったのではない。なぜ、何のために日本人がその我慢をしているのか、判らない時がある、と言ったのだ。
その日、私達はカフェでお茶を飲んでいた。
そこは私達のお気に入りのカフェで、スコーンを食べながら温かいチャイを飲むのが私達の定番だった。そんな至福の時を過ごしながらの雑談で、話題はそこに進んだ。
日本人の我慢の意味がわからない。
当時彼女は、公立校の外国語指導助手として働いていた。主に小中学校で、毎日子供達と触れ合い、英語を教え、先生方と交流し、学校行事にも参加していたので、現在の日本の公立校事情に関しては、学校という場所から離れて20年以上経つ私より 何倍もよく知っていた。
「学校が教室に暖房を入れないんだよね。生徒も先生も、寒さに耐えて授業をこなすの。そのうち、クラスの誰かがインフルエンザにかかって、それが大流行して学級閉鎖になった。ねぇ、この我慢って何か意味があるの? 暖房を入れたら、きっとみんなハッピーよね。だから暖房を入れたらどうでしょう? って先生に相談したら、我慢しなくちゃ、って言うの。ねぇ、これはみんな、何のために我慢してるの?」
その冬はとても寒く、インフルエンザが大流行していた。私の勤務先でも産業医からのインフルエンザ予防・対処の研修があったり、会社から従業員に向けてマスクが配布されたりと、例年より数段深刻な流行具合だったように記憶している。
極寒の中で授業をすることが、学級閉鎖の直接的原因だったのかどうかは、正直私にはよくわからない。それはわからないが、彼女の語る混乱については、とてもよく理解できた。
彼女の言う通りだ。誰もハッピーじゃない。今、紅茶の香りで満たされた暖かいカフェの一角に座り、ゆったりとチャイを楽しんでいる私達の、この心の豊かさを「ハッピー」と呼ぶのなら、彼女の語る「我慢」の先にハッピーは存在するのか? それが私の脳裏をよぎった最初の疑問だった。
大切なことなので、ここできちんと書いておきたいと思うが、私は、日本人の我慢強さという特性をけなしたくてこの文章を書いているわけではない。私達のこの特徴を、個人的に私はとても愛しているし、自分自身の中でも、これからも大切に育てていきたいと感じている。
でも、だからこそ、その美しさと必要性を踏まえたうえで考えたのだ。
我慢は、楽しくてはいけないのか。
私は、誰かの我慢の先には、その人の到達したい何かがあってほしいと常々思っている。
理由も判らず、いつ終わるのかも知らず、ただただ状況や環境が許さないがために、「ねばならぬ」だけの我慢は、少しずつ、でも確実に人の心を蝕んでいくからだ。誰もが鋼のメンタルを持ち合わせているわけではないし、どんなに強く見える人でも、心が折れる時というのはある。自分の心への負荷を俯瞰できなくなるまで我慢を続けていると、どれほどの強靭な精神力の持ち主だって、そのうち破綻してしまう。
けれど、その先に「いや、絶対それは楽しい。楽しいに決まっている」と思えるものや出来事があったらどうだろう? きっと我慢は楽しくなる。
いや、我慢自体は相変わらず辛いかもしれない。でも、想像するたびにニヤリとしてしまう。我慢のその先に、そういう目的があってほしいと思う。我慢と楽しさをセット販売にしてほしいのだ。
我慢は多分、プール開きの日のようなものだ。
これから入る水が冷たいのはわかってる。授業が終わった後のあの気怠さも、一年経った今でもちゃんと覚えてる。色々と面倒くさい。水着に着替えるのも面倒くさいし、体を消毒液につけるのも、ぴたぴたの帽子を被らされるのも、瞼をぐいっと指で開いて目を洗うのも、散々濡れた後の体を拭いてもう一度洋服に着替えるのも、あぁ全部面倒くさい!
……だけど知ってる。水に入った後、友達とめちゃくちゃ楽しいゲームができる事。プールの底に沈んだお皿を、競争で拾うやつ。それに去年はできなかった水中ターンが、今年はできるようになるかもしれない。お母さんが今年、新しく買ってくれたプールバッグはとても可愛いから、学校に持って行って友達に見てもらいたいし……。
そんな風に、私は毎年の「プール開きの日の憂鬱」を乗り越えてきた。超運動音痴の私が、どうにか毎年、さぼらず水泳の授業に出席できたのは、「我慢」がその「楽しさ」とセットだったからだ。
大人になった今でも私は、何のための我慢かわからなくなったら、一度立ち止まって考えてみる。その先に楽しい事があるかどうか。その先に私が、本気で手に入れたい何かが待っているのかどうかを、できるだけ客観的に。
同じ労力を費やすのなら、苦しいより楽しい方が良いに決まっている。楽しさの種類は人それぞれだとしても、楽しむ事に罪悪感を抱く必要はないのだ。楽しくていい。幸せで、いいはずなのだ。楽しむ事を、楽する事とイコールで結ぶ必要はない。
たった今、この2000字の課題に向かって書いては消し、書いては消しを繰り返しながら、私は4ヶ月後の自分を妄想してニヤニヤしている。保証はない。誰かに頼まれたわけでもない。そして文字通り、唸りながら書いている。辛い。それでもこの我慢は、楽しい。
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