「自分なりに」という無責任で便利な言葉《川代ノート》
スタッフ川代です。
数年前の冬のことです。当時の彼と喧嘩して、そのまま別れようということになりました。
お互いガーッと言いたいことを言い合い、はぁ、はぁと鼻息荒くしていたところから少し落ち着いて、じゃ、もう妥協できなさそうだし、お別れしましょうか、と冷静になったときのこと。
「私は十分吐き出したけど、あなたはもうこれで言いたいことは全部?別れてもそれでいいよね?後悔しない?」
「大丈夫。俺は俺なりにさきに全力でぶつかってきて、幸せにしようと頑張ってきたつもりだから。後悔はないよ」
「・・・そう。じゃあそういうことで。さよなら」
と、こう最後の会話を、ロマンも情緒もなく冷え切った空気のなか、終えたわけですが。
そのまま自宅に帰り、しばらくは
ハーッ、悲しいけど、もやもやしてたのがようやく終わってスッキリ!
と思っていたけれど、時間が経つとだんだん腹が立ってくる。ムカムカしてくる。
彼の最後の言葉が何度も反芻されるわけです。
「俺は俺なりに」
「全力でぶつかってきた」
「頑張ってきたつもり」
ハァ?
私がどこか遊びに行きたいと言っても、授業もいかず、バイトもしないくせにお金がないから無理と言い、
私の性格で気に食わないところがあると機嫌が悪くなり、私が納得できなくても治せと言い、私が謝るまで機嫌が治らず、
約束は破るし遅刻はするしやると言ったことはやらない、
終始そういう態度だったくせによくもまあいけしゃあしゃあと「頑張ってきたつもり」だの「全力で向き合ってきた」だの言えたな!! と、思い出し怒りしてしまったのです。
もちろん彼にそこまで怠けさせてしまった私に魅力がなかったということもあるでしょう。私がもっと彼に追いかけさせてあげられればよかったのでしょう。それはわかります。 けれど、「全力で」とか「幸せにした」とかそういう言葉を使うのはなんか違うだろう、と思ってしまったのです。
だったら、「ごめん、ちゃんと向き合いきれなかった」と正直に行ってもらえた方がずっと誠実です。
要するに、簡単に言うと
「自分なりに」ってつければなんでも正当化されると思うな!!
キーッ!!頭くる!と、それからしばらくははらわたを煮えくりかえらす日々が続きました。
「俺は俺なりに全力で向き合ってきたつもり」
「自分なりに精一杯頑張りました」
「私なりに目標達成のために努力したんです」・・・
ええと。
「自分なりに」ってなんですか?
便利な言葉ですよね。でも無責任な言葉だとも思います。
「自分なりに精一杯頑張りました」という言葉の裏には、 「だから失敗しても許してください」 って、逃げの感情が隠れているように思えてなりません。
「自分なりに」頑張った、と言われても、それが本当に相手のためになっているかはわからない。 さっきの彼だって、結局は自分の非を認めたくないから、綺麗でそれらしく聞こえる言葉でうまく言い訳しているだけです。
別に自分自身の問題で、他人を巻き込まないことに使うならいいと思うんです。「自分なりに、いい成績をとるために頑張ろうと思う」とか。うまくいかなかったとしても、損するのは自分だけですから。
でも対人的な行動とか、相手に直接的な影響を及ぼすことについては、責任を負うべきだと思うのです。
「自分なりにお前を幸せにしようと頑張ったつもり」
彼は本当に「彼なりに」私を幸せにしようと考えてくれていたのかもしれない。けれど「自分のわがままを通しまくって、約束を守らないで、いつも口だけで、私の話を聞かない」態度が、「私にとっての本当の幸せ」だと思っていたのでしょうか?
「幸せ」というのは個人それぞれの価値観であって、彼にとっての幸せが私にとっての幸せかはわからない。十人十色という言葉があるように、幸せのかたちもすべて個人個人違う。誰一人として全く同じ価値観を持っている人はいない。
「幸せにする」というのは簡単な事ではありません。本当に相手を「幸せにしたい」と思うのならば、相手の幸せの価値観を知ろうとするべきだし、勝手に「私にとっての幸せ」を定義づけられても困るわけです。
結局のところ、彼は「私にとって」何が幸せか、価値があるのか、そういうことを考えるのを一切放棄していました。でも自分が悪者にはなりたくない、自分が間違っているとは思いたくないから、「俺なりに」という言葉を使ったのでしょう、きっと。
恋愛だけではありません。ビジネスも同じです。
「私なりに精一杯頑張ったつもりです」
仕事のために一生懸命頑張ったとしても、それがチームや会社のための努力になっていなかったら。ベクトルが違っていたら。それは本当に「頑張った」ことにはならないかもしれない。会社にとって本当に必要な事は何か、きちんと考えて行動できていれば、きっと「自分なりに」頑張りましたという言い訳は、口から出てこないだろうと思うのです。
もちろん「自分なりに頑張ってみるよ」とか「私なりにできるところまでやってみる」という言葉を使う人みんなが無責任だと思っているわけではありません。本当に「自分に出来る事は全部やってみる」、と純粋な意味で使う人もたくさんいるのでしょう。他意はなく、素直に「自分のやり方を試してみたい」という気持ちでいる人もいるでしょう。
でもなかには「自分なりに」という言葉を言い訳に使う人もいる。自分を正当化したいがために使う人もいる。彼との腹が立った強烈な想い出のインパクトが残っているので、私にはそういう便利な言葉に思えてならないのです。
天狼院で働いていても同じで、「私なりに一生懸命やりました」、なんて言ってられません。どれだけ私なりのやり方で頑張ったとしても、それが天狼院に来るお客様のニーズに合っていなければ、集客も出来ないし本も売れない。いくら「自分なりに」頑張った記事を書いたとしても、アクセス数につながらなければ「頑張りました」なんて言えません。だから毎回イベントをたてるときも、無い知恵を絞り出して必死になって集客をし、それでも人が集まらなかったらだれのせいにも出来ないので、「私なりに頑張って集客したので許してください」なぞ、ひと言も言えません。六時間かけて書いた記事が全然アクセスが伸びなかったとしても、「私なりにできるかぎり頑張って書きました」なんて言えません。全部自分の責任です。
「自分なりに」。
なんて便利な言葉でしょう。
自分なりに頑張った
自分なりに優しくした
自分なりに面白いことをした
・・・
ほら、「自分なりに」とつければ、出来なかったことも、なんとなく出来たように思える。
「自分なりに」とつければ、まるで自分が悪いんじゃなく、理解できなかった相手に落ち度があるかのように思える。
でも本当は、ただ自分が間違っていることを認めたくないだけ、ってこと、あるかもしれない。
自分の行動に責任を持つこと。
そして、言い訳しないこと。
全部を自分ごととして捉えるのは難しいけれど、そういう意識を持っているかいないかで、相手に与える印象はまるで違います。
まあ、10代の頃ですし、私もあの頃は彼に申し訳なかったなあと、今会ってればひとりよがりじゃなく、あんなに猛烈に怒らずに落ち着いて話せただろうに。きっと今は成長して、彼もきっと成長して、あの頃のことを忘れているでしょうが、昔の怒りとかを蒸し返してみると、意外と学ぶことがあったりするなあと思ったのでした。
最後に。
「自分なり」ってよく使う人、そして、話に登場させてしまった当時の彼くん、ごめんなさい!笑
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