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千葉に夢の国は二つある


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:門脇伊知郎(ライティング・ゼミ火曜コース)
 
 

久々に子供たちを連れてイチゴ狩りにやってきた。彼らにとってここは、夢のような空間だ。いつもはイチゴパックの中の納まっている甘くてジューシーな赤い粒を、兄弟で予め数を決めて喧嘩にならないように食べているが、ここでは新鮮で実が生っている状態のものが自由に食べられるという、小学生の男の子にとっては信じられないほど魅力的な食べ放題というルールが存在している。目を輝かせ、イチゴ畑に飛び込んでいくその姿を見ていたら、3年前のことを思い出した。
「千葉には夢の国が二つあったよ」
微笑みの国から来た男に満面の笑みでそう言われたことを。今でも鮮明に覚えている。
彼はタイから来た観光客だった。一緒に千葉県にあるこのイチゴ農園を訪れたのは、2016年2月のこと。タイから日本を訪れていた15名のグループは、イチゴ狩り体験をする目的で成田空港から帰国の途につく直前にここにやってきていた。当時、千葉県が実施していた訪日外国人誘客施策の手伝いをしていたため、随行役としてグループを案内していた。彼らは一週間日本に滞在し、各地で観光地などを巡り、日本の魅力を自ら体験し、自国に戻ってから日本で経験したことや日本の素晴らしさをSNS等でタイ国内に向け拡散するということを条件でこのツアーに参加していていた。いわゆるファムツアーと呼ばれる施策だ。
大型バスでイチゴ園に乗り付け、滞在時間はわずか40分という強行スケジュールにも関わらず、駐車場でバスを降りた時から、大騒ぎでかなりのハイテンションだった。イチゴ狩りに入る前に、農園の主人から日本のイチゴについてレクチャーがあった。イチゴの栽培方法とそのこだわり、品種の違い、色の見分け方、そして美味しい食べ方まで。会話はこのツアーに同行していた通訳を通して行われた。続いて、イチゴ狩りのルールを伝えた時だった。彼らの母国タイと日本の文化の違いを知った。タイには、食べ放題というサービスの文化が存在していないことだった。
「食べ放題とはどういうことだ?」
「この畑に生っているイチゴをすべて食べて良いという意味か?」
興奮と困惑が入り乱れている状態で数人が通訳と主人に詰め寄っていた。食べ放題という概念がそもそもない人たちに、自由に食べて良いと言えば普通に驚くだろうし、疑念を浮かべるのも当然だった。主人と私で再度イチゴ狩り食べ放題という体験の内容を説明すると、驚きから喜びに満ちた表情に変わっていった。一部のグループからは歓声が起きた。そして、全員をイチゴの香りが充満するビニールハウスに連れて行った。
イチゴ畑は、縦に長く6本の小道がハウスの奥に向かって30ⅿほど伸び、青々としたツタの隙間から宝石のように煌めく赤い珠を覗かせていた。この光景は彼らの目には相当新鮮に映ったらしい。奇声ともとれるほど、大きな声がビニールハウス内に響いていた。主人は体験を始める前に、イチゴの獲り方を実演して見せるため、畑の近くまでみんなを集めた。そして、右手でイチゴの粒を軽く摘み、手首を素早くひねってツタと粒を切り離した。その瞬間に、驚きの声が上がる。動画を撮っている人もいた。そのあと、数人のタイ人が、主人が手に持っているイチゴを指さし何やらまくし立ててきた。
「日本のイチゴはそんなに大きいのか?」「それは本当にイチゴか?」
主人は不思議そうに首を縦に振った後、
「このイチゴは標準サイズで、畑の中にはこれの倍くらいの大きさのものもあるはずです」
と話した。通訳が訳して伝えると悲鳴のような声を上げ、ハイタッチをしているものもいた。
日本のイチゴは恐らく、世界的に見ても最高レベルと言って良い品種。甘さはもちろんのこと、イチゴ特有の酸味の調整、そして粒の大きさや表面の柔らかさなど、優れた栽培技術と丁寧な仕事によってブランド品種が生み出されている。以前、タイのスーパーを訪れたことがある。そこでイチゴの販売状況を確認したが、紫がかった粒の小さなイチゴが “ストロベリー” と表記され、籠に盛られて売られていた。中国産だ。日本なら木苺と呼ばれる種類ではないだろうか。日本で当たり前のようにイチゴと呼ばれる、「とちおとめ」や「あまおう」などの品種とはまったくの別物だった。あれを日常的にイチゴとして口にしていたのなら、イチゴ畑に生る真っ赤な果実は、初めて目にする果物だったと思う。
興奮を冷めやらない彼らに主人は小さく頷きながらこう言った。
「それでは時間もないので、早速イチゴ狩りを始めましょう」
「制限時間は30分です!その間は食べ放題ですからご自由にどうぞ!」
彼らは、目を輝かせ、おもちゃ売り場にかけていく子供のように飛び跳ねながら、畑に入って行った。一人の男が畑に入る前に私と主人にこう言った。
「本当に畑に生っているイチゴを全部食べてもいいんだな?」と。
私たちは顔を見合わせた後、
「食べられるもんなら食べてみろ!」と笑いながら日本語で言った。通訳がどう訳したかは分からないが、彼は親指を立て白い歯を見せた後、畑に入って行った。30分後にヘタでいっぱいになったプラスティックのケースを持って戻ってきて、「千葉には夢の国が二つあったよ」と言った。
 
 
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2019-03-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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