先生はヤクザじゃなかった。
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記事:高橋 志穂(ライティング・ゼミ土曜コース)
確かに35年前にここにいた。
小学校の入学式。私は主人と一緒に出席した。
校舎は増築しているようだったが、体育館は昔のままだ。
私と主人は、同じ小学校に通っていた。そして、この春から長男も私たちが卒業した小学校に通うことになった。
なんていう奇跡だろう。
歴史は繰り返される、ってこうゆうことなのだろうか。
35年前と同じ体育館で、我が子の入学式が行われている。
校歌が刻まれた木彫も、校章が入った緞帳も、卒業生が残していったレリーフも、昔と変わらない。
「あのライトも変わってないね」
見上げるとオレンジと白のライトが、高いところから私たちを照らしている。
「そうだね」
かつて小学生だった私たちも、この体育館のライトを見上げていた。
「このライトにぶつかるくらいのキックする人いたよね」
「今なにやってるんだろうね。ものすごい運動神経だった」
「すげーよ。全身バネみたいなやつだった」
主人と仲が良かった男の子を思い出す。
ここでたくさんの子どもたちが遊んでいた。
35年前はまだできたばかりの校舎で、この地域では新しい小学校だった。今は、床も傷だらけ。一見変わっていないようだがだいぶくたびれたように見える。
先生方の紹介。
もちろん、私たちが在学していた頃の先生は一人もいない。
「竹刀を持った先生は流石にいないようですね」
主人が言った。
「しない?」
「白い背広を着て竹刀を持った先生、いたよね」
「え?」
にわかに思い出せなかったが、記憶の中をたどっていくうち、僅かずつ思い出してきた。
「イイザカ先生ね。白い上下のスーツで、確かサングラスみたいなメガネしてたよね」
その先生は、昔のヤクザ映画に出て来そうな強面で、茶色のレンズのメガネをしていた。白い上下のスーツを着ていて、ジャケットのボタンをかけていることは、まず無い。
ジャケットの裾をひらひらとなびかせながら、竹刀を持って歩いていた。
何歳だったのだろう。
50代かそこら。クラス担任を持つことはなく、先生が休んだ時や、自習の時だけ教室に来る先生だった。
もしかしたら体育の先生だったのかもしれない。
自習といっても校庭に空きがあれば、なぜかサッカーをさせられた。
「今日は、天気がいいので、サッカーをします」
「今日は、雪なので、サッカーをします」
いつでもサッカーだった。
ルールなんて関係ない、みんなダンゴになってボールをゴールに押し込むようなサッカーだった。
イイザカ先生は、それを黙って見ているだけなのだった。
「あの先生はヤクザなんじゃないの?」
そんなことを言う大人もいたような気がする。
声はタバコが擦れしたようなしゃがれ声。そんな先生が昭和のあの頃、この学校にいた。
みんな、イイザカ先生のことを怖がって、あまり近づかなかった。怒られるのが怖いので、黙っていうことを聞いた。
でも、今思うと、イイザカ先生は、私たちに「こんなことをしてはいけません」とか「ちゃんと〇〇しなさい」といった指導をすることはなかったように思う。
自習中も、教壇に椅子を置いて座っているだけで、教室がどんなにうるさくなっても、ほとんど何も言わなかった。
時々イイザカ先生が咳払いをしただけで、教室は静まりかえるのだ。
サッカーの時、男の子たちがケンカしていても、何も言わずに見ているのだった。
ある日、家に帰るとそんなイイザカ先生が家にいた。
私はとても怖くて、隣の部屋で様子を伺っていた。
すると、母は先生と話をして、時々笑っていた。
どうやら先生は家庭訪問に来たようだった。
何がそんなに面白いのだろう。
母は時々笑うのだが、こちらは怖いことが起こるのではないかとヒヤヒヤしていた。
もちろん、怖いことなど起こらない。
弟の担任の先生が、産休に入ったので、代わりに先生が家庭訪問をしていたのだった。
どこの家でも、イイザカ先生を怖がっていた。
あとで、母に聞くと
「イイザカ先生はちっとも怖くないよ。タケシの学校の様子を聞くと、『いじめられる方でもないし、いじめる方でもないからダイジョーブ』って言ってた。お母さん、全然怖くないよ」
と母。
どうやら子どものことは子供達自らが解決する方法を知っているし、黙って見ていれば、子供達自らが考えて行動するのだということを、わかっているのだ。
イイザカ先生は、見た目は怖いけど、子供達の自主性を大切に見守っている先生だったのだ。
私は、その話を聞いてからイイザカ先生が大好きになった。
もちろん今、この小学校にそんな先生はいない。
今の時代だったら、あの服装もNGだろうし、竹刀もNGだ。
でも、35年経った今も、はっきりと記憶に残っている。
子供の頃に私たちを見守ってくれた、大人。
イイザカ先生。
大人と子供は違うということを、はっきりとわからせてくれたような気もする。
イイザカ先生はヤクザではなかった。
記憶の中にはっきりと残る名教師だ。
今でも記憶の中にイイザカ先生は生きていて、竹刀を持って歩いていた。
私たちは35年の時を経て、同じ場所で同じ先生を思い出していた。
今の子供たちの35年後はどうなっているのだろう。
そう遠くないような気がするのだった。
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