「できないこと」は「できること」
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【6月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:奥村まなみ(ライティング・ゼミ火曜コース)
「それ、人生の半分は損していると思う!」
よく耳にするフレーズである。
「ウニが食べられない」と言うと返ってくる、あのフレーズ。
言われて、ムッとしながら、内心「まぁ、損か得かは自分で決めるけどね……」などと思っている自分がいる。
ついでに、「ウニが食べられないくらいで、人生の半分も損してたまるかい!」とも思っている。
どうでもいいところでプライドが高いわたし。
そんなわたしが、本気で自分に対して損していると感じることがある。
それは「方向音痴である」ということ。
人生の半分どころか、4分の3くらいは損しているのではないかと思う。
悲しい。
しかし、これは、まぎれもない現実なのだ。
行ったことのない場所は、言うまでもなく危険である。
土地感覚が全くない状態での移動は、動けば動くほどに「今、自分がどこにいるのかが、分からない」というスパイラルに入っていく。
行ったことのある場所は、もっと危険である。
「前にも一度行ったことがある」という、たったそれだけのちっぽけな経験が、わたしの「方向音痴の自覚」にモヤをかけてくる。
さらに恐ろしいことには、それがなぜか、意味不明な自信へと変わっていくのである。
「あそこには、地図など見ずにいける……」
その時のわたしは、まだ気づいてはいない。それが大きな錯覚であるということに。
久しぶりに行く近所の馴染みの場所、これはこれで危険。
「家から近い」という油断が、わたしの方向音痴をさらに加速させる。
無意識に曲がった交差点の先には、自分の想像とはちがう景色が広がっている。
「あれ? この辺だったはず……」
そこからの小一時間が、もう「損している」としか言いようがない時間なのである。
わたしは、土地勘のある人にくらべて、人生でどれほどの時間を「道に迷うこと」に浪費しているのだろう。
「道に迷う」ということがなければ、その時間を使って他にどれほどのことができたのだろう。
読みたい本が、何冊読めたのだろうか。
見たい映画を、何本見ることができたのだろうか。
大げさと思われるかもしれないが、今までの人生での「道に迷っている時間」を合計したとすれば、それは決してかけ離れた話ではない。
人生の4分の3は損している。
悲しいかな、そう認めざるを得ないレベルなのである。
方向音痴でない人からすれば、
「そんなの、地図を見れば分かること」なのかもしれない。
「こんなにも、分かりやすいところ、迷う?」
ようやくたどり着いた場所で、待ち合わせの相手から、そう言われることも多々ある。
「できないこと」があるって、なんだかものすごく損だな……。
方向音痴の自分に対して、そんな風に思いながら、わたしは週に1回のヨガ教室に訪れていた。
「きょうのからだの調子、見てみましょう」
いつものかけ声ではじまる、このクラスの先生は男の人。
普段は、生徒数の多い人気のクラスなのだが、その日はめずらしく、先生とわたしのマンツーマンのレッスンだった。
自然と、いつもならしないような会話がはじまる。
「最近、トイレがちかくて。夜中に何度も起きるから寝不足で……」
「へぇ! 先生でもそんなことあるんですか」
「あるよ。いまだにできないポーズもあるしね。勉強中だよ」
「いろいろと、工夫されているのですね」
「いちばんできないことと言えば、ぼくの場合は生徒さんのからだに触るってこと。このご時勢、セクハラとか言われちゃうからね」
どうやら、男の先生として、女性の生徒のからだに触れることへの配慮、遠慮、気遣いがあるとのことらしい。
先生はこうも言った。
「だからこそ、生徒さんに対して『ここをもっとこうしたらいいのに……』と思うことを、言葉だけで伝えられるように、特に意識しているんだ」
確かに。
先生の言葉は、ムダがなく、ひとつひとつがとても丁寧で、分かりやすい。
ポーズのイメージがしやすく、ポーズからポーズへのチェンジもしやすい。
耳から入ってくる情報だけで、自分のからだを、よりいい方向へもっていける。
そんな風に感じる理由が、分かったような気がした。
「生徒のからだに触れることができない」
ヨガの先生という立場からすれば、一見、損とも思える状況。
しかし、その先生は、それを逆手にとって自分の武器にしている。
「できないこと」があることで、ほかの人にはない「できること」があるのだな……。
レッスンからの帰り道、わたしは先生のことばを思い出しながら、自分の方向音痴を思い返していた。
道に迷って、人生損しているわたし。
スムーズに目的地にたどり着くことができないわたし。
そんな「できないわたし」が「できること」ってなんだろう。
……。
……思いうかばない。
やはり、方向音痴は損でしかない気がする。
悲しい。
先日、例にもれず道に迷いながら、運転免許更新のために、久しぶりに教習所を訪れた時のこと。
わたしは、運転を教わった教官の「ぼくは、大人になってから、スイミングスクールに通いだした」という20年も前の話を思い出していた。
「誰もが最初は、運転ができない。しかし、ここで長年、教官をしていると、運転ができない人の気持ちが分からなくなる。だからぼくは、あえて苦手な水泳を習いに行くことで、初心者の『できないという気持ち』を取り返しにいっているんだ」
その時のわたしは「いい先生だな」くらいにしか思っていなかった。
いまから思うと、運動神経がいいとは言えないわたしが、スムーズに運転免許を取得できたのは、あの教官のおかげだったのかもしれない。
あれから20年たったいま。
あの教官のことばと、ヨガの先生のことばが、わたしの中で重なった。
「できないこと」は「できること」
わたしの方向音痴にも、なにか「できること」がひそんでいるかもしれない。
人生の4分の3も損しているのだから、少しでも取りかえせるところはないものか。
……。
……やはり、なさそうである。
悲しい。
そんなわたしに、ときどき「方向音痴なかま」が見つかる時がある。
「それ、わかる」という、方向音痴あるあるトークで、ひと盛りあがりする。
しかし、先日、出会ったなかまのひとりが発したことばに、わたしは「ハッ」となった。
「だから、わたし、方向音痴の人にまったくイライラしなんですよね~」
4分の3とまではいかなくても、人生の100分の1くらいは、損した分を取り返せた。
そんな気がした「できること」の発見だった。
私の方向音痴が「武器」になる。
そんな日が、いつか、やって来る……かもしれない。
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