私のウルトラマン
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事 貴子 (ライティングゼミ日曜日コース)
「フルオープンで開けましょう!景色が全部見えるように」とびきりの笑顔でおもいっきりカーテンを開けてくれる目の前の人。
この人のおかげで私はどんなに救われたか判らない。カーテンさえ開けることが出来なくなってしまうほど、動けなくなってしまったのに、誰にも「カーテンを開けてもらえますか?」と頼めずにいた。だけど、ある日勇気を出して頼んでみたときにもらった言葉。
人にものを頼むより、自分でやるほうが早いし、楽だといつから思うようになっていたのだろう。そんな私の気持ちを知らないフリして、いつも全力でどの言葉も聞き逃さないようにしてくれる目の前の人。それがリハビリの担当の先生だった。
リハビリの先生って、ウルトラマンのようだ。
急性期病棟という救急医療を必要とする病棟に突然入院になった。前日から、手足の動きが悪くなり翌日検査を受けた後、医師から「今すぐ入院ですね」と言われた。ある程度の知識があったので、「やっぱりなのか」と思いながら、静かにその言葉に頷いている私がいた。だけど、自分の症状がどんどん加速して進むとは考えてはいなかった。手足がなんとなく動きにくい、それがまさか自分一人で立つことも出来ず歩けない、右手で自由に字を書くことさえ出来なくなるとは思ってもみなかった。
入院したその日から車いすの生活が始まった。
子供の頃、一度だけ虫垂炎の手術で入院したことがあったが、それも40年以上前のこと。幸いなことに結婚してからも、小さな怪我や病気はあったが、夫や子供たちも入院生活を送ったことがなかった。なので、何もかもが初めての経験。
不安で最初のうち、ご飯がほとんど食べられない状態が続き、体重がいっきに減った。一週間のほとんど食事に手を付けなかったので、看護師さんから「ご家族にプリンやアイスでも良いので、食べられるものを持って来てもらってください。」と言われたほどだった。でも食べられないことは、そんなに大きな問題ではなかった。
わたしが怖かったこと。
それは何もかもが人の手を借りなければ、何一つ出来ないという現実。左手を使い起き上がるが、顔を洗いに行くことも出来ない。入院生活の中で、回復期病棟と言われる急性期で治療を受けて病状が安定し始めた人が入院する病床に移っても、私はずっと怖かった。
そんな私にいつも元気をくれていたのが、勇気を出してカーテンを開けてもらえるようにお願いしたリハビリの先生だった。
入院してからすぐにリハビリが始まったが、立つのも歩行器を使わなければならない私は、一人では一歩も歩けない。そんな私をいつも、とびきりの笑顔で病室をのぞきこみ、「リハビリに行きましょう」と明るく元気な声で声を掛けてくれる。
そして、しっかり事前に私の病状のことを把握して、医師とも話し合いをしてくれていて、今の病状やこれからどんなリハビリが必要なのかを、判りやすく説明してくれていた。でも、説明を聞いたからと言って、いきなり歩けるようになるわけではない。一歩一歩、歩行器を使って歩く練習をするが、上手く歩けない。毎日、歩くためだけのリハビリ。歩くことがこんなにも大変だと思ったことがなかった。
急性期の治療が終わり、今度は回復期病棟に移動したころには、なんとか一人で歩けるようにはなっていた。「回復が早かったから、退院が早くて決まって良かったですね」と看護師さんたちに言われたが、退院の日が楽しみだと思えないほど、私の身体はまだ自由には動かせていなかった。焦りから、私はリハビリの時間以外にもずっと、一人で病院の中で歩く練習や階段の昇り降りの練習をしていた。一人で動いて歩く練習をするのは、「じっとしていると、動けないままになりそうで怖い」と誰にも言えなかったけど思っていた。「私はどこで何を間違えたのか?」とも思った。
だけど、リハビリの先生は言った。
「あなたの症状がこんなに軽くて、早く退院できるのは症状が出てから早い段階で病院に来たから。これってすごく大切なことなんですよ。だから、このことを周りの人に教えてあげてくださいね」と。
それにこの入院が実は、私は大切にされていたのだと気付くきっかけになった。今まで一人で頑張って生きているような感覚だったけど、それは違った。
ずっと苦手だと思っていた職場の上司は何度も病院に来てくれたし、知人や友人は「遠いから無理しなくていいよ」と伝えたのに、遠くまでお見舞いに来てくれた。ぶっきらぼうでいつも私とケンカばかりの下の子は、小さなお花を花瓶も買って持ってきてくれた。
そして、リハビリの先生はウルトラマンのように私の怖さという怪獣と一緒に戦い、戦いが終わると平和な世界にウルトラマンがいないように、今はお会いすることがない。
私が走れるようになったのは、私のこと大切に思ってくれてる人たちのおかげだとずっと忘れたくないと思いながら、今日も私は家の近くの公園を走っている。
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