サルサで見つけた「ときめき」
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:水谷真由子(ライティング・ゼミ夏休み集中コース)
金曜日になると、名古屋の繁華街にある雑居ビルを4階まで登る。目の前に現れる分厚い木の扉に手をかけると、振動がかすかに伝わってくる。開けた瞬間にあふれ出てくるのは、軽快なラテン音楽のざわめきとミラーボールが放つきらめき……。パソコンのキーボード音だけが響く職場が日常なら、ここは非日常だ。うずうずしている自分を解放して、音楽に身をゆだねると足がリズムを刻み始める。次第に音と一体になって溶け合い、熱いマグマのように全身の血が煮えたぎってくる。サルサ以外でこのような高揚感に包まれることはない。
サルサは社交ダンスのように男性が女性をリードして踊る、キューバ生まれのペアダンスだ。最初の出会いは社会人1年目。友人に誘われてサルサクラブに足を踏み入れた。初対面の男性と手をつなぐことに最初は抵抗を感じた。初心者だし、相手に迷惑をかけてしまうのではと尻込みする気持ちもあった。しかし、先生にリードされるままに、恐るおそるステップを踏んでみると不思議な感覚に襲われた。地面に足が着いているのに、浮いているよう。水に潜っているわけではないのに、一瞬息を止めたくなる。初めて知る世界に気持ちがどんどん昂った。あっという間にサルサの虜になり、気がついたら入会届を提出していた。
サルサの魅力は、言葉を交わさなくてもコミュニケーションができるところにある。合コンで2時間話すよりも、サルサを1曲踊る方がよっぽど相性がわかると思っている。というのも、サルサを一緒に踊ればパートナーの人間性が読めてしまうから。つないだ手からは相手への思いやりが伝わり、アイコンタクトからは周囲への気配りを感じ取ることができる。ステップ、ターン、ステップ。神経を研ぎ澄まして指先から送られるメッセージを解読したら、上半身の筋肉を総動員させて返事をする。次は自分の思いをダンスに乗せてどう表現しようかと考える。DJが大音量で流す音楽であふれるサルサクラブでは、フロア中に無言の会話が飛び交っている。
クラブの照明は薄暗く、ダンスフロアでは顔の特徴がなんとなく判別できる程度だ。恐らく、翌日の昼間に太陽の光の下ですれ違っても気づかないだろう。お互いの距離が近いダンスでも、コンプレックスであるソバカスのことを気にせず堂々と踊ることができる。パートナーの顔の見えない部分は想像力で補っている。大抵、自分の好みのタイプを思い描きながら踊るので、アドレナリンが止まらない。パートナーは実際にイケメンや美人である必要はない。それでも、サルサを一緒に踊ったことがきっかけで付き合うこともあり、そのまま結婚に至るカップルも多数いる。
サルサのクラブでフルネームを明かすことはあまり無い。「サルサネーム」という通称を名乗り合うことは、恐らく他のジャンルのダンスにはない文化だ。自分で作ったサルサネームを名乗る人もいれば、サルサの先生が命名してくれることもある。本名を貫き通すという人もいるし、各自が自由に名前を名乗る。SNSが発達している現代では、フルネームを明かしたばかりに個人情報が漏れトラブルに発展する可能性も考えられるので、このような仕組みをとっている。サルサのパートナーについて知っている情報が顔とサルサネームだけ、という状況がさらに相手のことを知りたくなって想像力を掻き立ててくれる。
どこにでもいそうな中年男性だと思っていた人が、お医者さんだったり警察官だったりということもあり、最初から知っていたら気安くダンスに誘えなかったかもしれない。
流れるラテンの音楽が気持ちをさらに高めてくれる。軽快なリズムなのに、哀愁ただよう切ないメロディ。そこに情熱的な歌詞がのせられている。サルサの曲の多くはスペイン語で歌われているが、言葉の壁を超えて音楽を楽しむことができる。思いが込もった歌に胸の鼓動が早くなり、ダンスにも熱が入る。ビートルズの「Let It Be」など有名な曲もサルサ調にアレンジされて流れる。そんな時は、踊りながらつい口ずさんでしまう。さっきまでカウンターでコロナを飲んでいた男性がいつの間にかダンスフロアに上がり、まぶたを閉じて体を揺らしながらボンゴを叩き始めることも。思いおもいに音楽を楽しむ空間ができあがる。音楽と踊りを自由に味わうことのできるサルサに病みつきになり、毎週のように通った。
あれから10年、今日も私はサルサクラブの扉に手をかける。ときめきを感じさせてくれる新しい世界を期待して。
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