オタクであることに誇りを持て《川代ノート》
2015©gruntzooki
私の中学には、いわゆる「オタク」的女子がたくさんいた。
漫画が好きで、アニメが好きで、ひとつの作品を熱狂的に愛する。ひとりのキャラクターに夢中になったり、少年漫画の男と男をくっつけようと妄想をしたり。私は正直中学に入ったとき、びっくりした。私の小学校では漫画が好きというだけで「オタク」扱いされて蔑まれていたというのに、中学では別に漫画を好きなのなんて当たり前、え、むしろこんなに面白い漫画読んでないなんて! と漫画推奨派の子が多かったからだ。以前は漫画好きであることによってクラスの流れについていけなかったのに、今度は漫画を読まないとおいていかれてしまった。女子校とはこんなに自由なものなのかと思った。私の学年にそういう人が多かったから、オタクを許容する雰囲気が流れていただけかもしれないけれど。
漫画を描くのが好きで、文章を描くのが好きで、お話をつくるのが好き。将来の夢は漫画家か画家か作家。そんな私は、小学校ではまさに「オタク」と蔑まれる対象だった。友人達と一緒に一生懸命つくった漫画雑誌は、下級生には好評だったけれど、クラスのみんなには馬鹿にされた。絵を描くのが好きだったり、漫画を描くのが好きだということは、恥ずかしいことなんだと思っていた。
そういうトラウマがあったから、とにかく「ダサイ」という枠から抜け出したくて、中学デビューをしようと、かわいい制服をそろえて、スカートも短くして、気合を入れて中学に入ったのに、いざ入学したら、「オタク」がいっぱいいた。彼女達は、何をためらうこともなく、漫画の絵を真似して描いて、しかも、自分はこの漫画の誰が好きで、この巻のこのお話が好きで、と語っていたから、私は拍子抜けしてしまった。なんだ、気をはらなくてもいいんだ、好きなものは好きだと言っても許されるんだ、この場所は、と。
私のなかにできあがっていた常識は、簡単に覆された。つまり、「オタク」であって、イコール「ダサイ」はずの彼女達は、全然ダサくなかったのだ。どれだけ、どの男キャラと男キャラをくっつけようと話していようが、エロ同人誌を教室内に持ち込んできゃっきゃと騒いでいようが、一旦黙ってしまえば、彼女達はとても可愛かった。比喩とかお世辞じゃなく、本当にかわいかったのだ。見た目が。
見た目がかわいいオタクというのを、私はそのとき初めて見たから、びっくりした。私自身、ファッションのセンスもなく、眉毛もぼーぼー、顔はぱんぱん、にきびだらけのいかにもダサイ「オタク」だったし、なんとなくオタクというのはダサくなければならない、みたいな変な固定観念にとらわれていた。
それが、女子校に入った途端、アイドルみたいに(ほんとに、モデル並みにかわいい子が、私の学校にはうじゃうじゃいたのだ)かわいい女の子たちが、何度も言うが、某人気少年漫画の主人公の男の子たちをくっつけて、きゃーと言っているのは、もう本当にびっくりしたというか、自分はまったくの別世界にやってきてしまったようだ、と思った。そもそもどうして男同士の恋愛に発展させてしまうのかが謎で、ぶっちゃけるとはじめは引いてしまったのだけれど、6年間も同じ学校に通っていれば、さすがに慣れる。何度もボーイズラブの沼へと引きずり込まれそうになったが、私は必死で逃げ続けた。私は自分が熱しやすく、かつ一度熱したらしばらく熱がさめないこともわかっていた。もしBLなんぞにはまってしまえば、間違いなくもう抜け出せなくなるくらいに私は散財しまくるだろうと思った。もちろん中高生の私にそんな余裕なかったから、なんとか逃げて逃げて逃げ続けた。ふう、あぶないところであった。しかし、そうだ……今の私には、社会に出て働くようになった私の手元には、お金がある。月々五千円程度のお小遣いでやりくりしていたあの頃とは比べものにならないくらいのお金だ。ああ、今なら、私、その沼に、はまっても……。
と、そんな誘惑にかられるのもたびたびであるが、あの頃を思い出すと、漫画やアニメにきゃーきゃー言っていたのは本当に楽しかった。少女漫画を読んでは「ギャーーーーーーーー」とクサくてキザなセリフをはき、壁ドンだのあごクイだの不意打ちにキスだのやりまくるイケメンに心臓を砕かれ、ハアハアしていた。中学時代は本当にありとあらゆる少女漫画を読んだ。思春期特有のもやもやした名前の知らない何かを、吐き出す場所を知らなかったのだ。
暇だったし、中学生の私たちは、本当に無知だった。現実の恋愛なんて知らなかったけど、男の子や恋愛に対する興味は死ぬほど強かったのだ。
話はそれるが、私たち女子は少女漫画に出てくる男子に「ギエーーーーー」「グハエーーーーー」「ドワアアアアアア」と奇声を発しながら萌え萌えするのに、現実のキザなセリフを吐く男の子に対しては風当たりが強すぎるんじゃなかろうか。とかいって実際私も少女漫画みたいに「俺だけの女になれよ」とか「なあ、襲っちゃってもいい?」とか「お前をいじめていいのは俺だけだ」とか言われたらすごい腹立つけど。「あ? 何様だよ、上から目線で話すな」ってなると思うけど。
そして少女漫画において、主人公は十中八九、ドSで主人公をいじめてくる何を考えてるのかよくわからない男子とくっつきますよね。優しくて気配りができて愛情深い「なんてええやつ……」と思うやつは絶対当て馬で終わりますね。不思議だなあ。現実だったら絶対アンソニーといた方が幸せになれるのに、漫画ですごく惹かれてキュンキュンするのはテリュースみたいな……(ふるい?)。まあ現実と夢のシチュエーションというのは違うのだ。男子諸君、そこんとこ間違えないように。よっぽどのイケメンじゃない限り「俺だけの女になれよ」とか言われても「は?」って言われるだけですよ。
それはさておき、今はおしゃれなオタクが増えてきているようである。女子校のかわいいオタクの彼女たちのなかには、オタクを隠すためにおしゃれにしているという子もいるし、オープンにしていてかつおしゃれ、という子もいた。あくまでもオタクは趣味の一部、みたいな。ファッションが好き、スポーツが好き、カラオケが好き、そのその流れと同じで漫画が好き、みたいな。どれも全部大好き! とどの分野においてもそれこそオタク並みの知識を持っているのはすごいと思うけれど。
私が中学生の頃はちょうど「オタク」という言葉が一般に使われるようになってきた頃で、ドラマ「電車男」などの影響もあり、オタク文化が広まっていたこともあって、私はためらいなく「この漫画が好きだ!」「このキャラを愛してる!」と叫べたし、おかげで友達ととても楽しい時間を過ごすことができた。
でも私は一旦その女子校を出ると、自分のオタク気質なところを出すのに再び、抵抗を覚え始めた。あの女子校はたしかに特異な環境だった。誰が何を好きでも許される環境だった。でも大学に入って自由になると、なんだか「私はこれが好き!」と言うのがうまく口から出てこなくなった。
それはおそらく大学生のみんなが、いろいろな好きを持っていたから、自信がなくなってしまったのだと思う。
私の通っていた大学は広くて、学生数も多くて、「ないサークルがない」と言われるくらいありとあらゆるサークルがあった。サークルの数を数えるサークルすらあった。所沢の校舎を一ミリでも早稲田の校舎に近づけようとするサークルもあった。本当にあほか? と思うようなことに全力でとりくむ人が多い大学だった。
そんな大学では、たくさんの人がたくさんの「好き」を持っている。それぞれが違う「好き」を、いろんな活動にぶつけていた。
勉強が楽しくてたまらないのだ、と言う人もいた。とにかく今、環境学の研究が面白いのだと。
音楽のサークルに熱中しすぎていくつも単位を落としてしまっている人もいた。
学生ながら、ビジネスに精をだしている将来有望な人もいた。
いろんな人が、いろんな場所で、いろんな「好き」を爆発させていた。
人生をかけて、瞳をきらきらさせて好きなことに没頭する彼らはまさに、生粋のオタクだった。環境学オタクであり、音楽オタクであり、ビジネスオタクだった。
なんだか、それを見ていると、自分の「好き」なんて、「オタク」なんて全然呼べないじゃん、なんて思えてしまったのかもしれない。
私は、「私はこれが好き」というのをそれまでよりも少し言い辛くなってしまった。「ギエーーーーーーーー」なんて奇声を発することができたときが懐かしいくらいだった。
たぶん中学の頃は純粋に「好きだー」と言えていたことが、大人になっていろんなことを知ってくると、「これが好きといった場合にはこういう扱いを受ける」というケーススタディが、頭の中でもうできてしまっているのだと思う。ビジネスオタクはよくて、漫画オタクはだめ。美容オタクはよくて、電車オタクはだめ。確率的に、変な目で見られる可能性が高い、とか、いろいろ考えてしまうようになった。
そういうことをもやもや考えているうちに、「あれ? 私、本当にこれが好きだったんだっけ?」と不安になって、中学の頃はまっていたものなんて忘れてしまう。必要がなくなってしまう。あれだけ騒いでセリフを覚えるくらい熱狂していたのに、話のおおまかな筋すら忘れてしまう。
結局私はそこまで漫画が好きというわけじゃなかったのかもしれない、とちょっと思ったりして。女子校のみんなといたから読んで騒いでいただけであって、別に全時間をかけてもいいと思えるほどじゃない。
私はけっこう、みんなが羨ましかったのだ。「これめっちゃ好き!!」と素直に言えるあの子達の目は、純粋できらきらしていた。楽しそうだった。私にもオタクになれる何かが、ほしかったのかもしれない。
でも結局、私にオタクになれるほど好きなものは見つからなくて、そして今もまだ、見つかっていない。案外オタクになるほど、「にわかオタク」じゃなく、ちゃんとしたオタクになれるほど、好きなものというのは見つからないものなのだ。
漫画オタク、アニメオタク、戦車オタク、アイドルオタク、廃虚オタク、ジブリオタク、ディズニーオタク、ジャニーズオタク、村上春樹オタク、赤毛のアンオタク、インテリアオタク、料理オタク、朝ごはんオタク、目玉焼きオタク、油オタク、フライパンオタク。
なんでもいい。細かいことでも、人でも、ものでも、なんでもいい。何かひとつでも、オタク並みに好きだーーー! 誰にも負けないくらい、好きだーーーー!と言える何かがあるというのは、すごいことだ。自分を支えてくれるものだ。
私にはまだ、オタクだと胸を張って言えるほど好きなものというのは、存在しない。「お前オタクだな」って、呼ばれていたのにな。
でもいつかはどのオタクをも凌駕するくらいのすごい知識と狂った熱を持って、何かを熱く人に説明できるように、なりたい。
なんでもいい。夢中になれるほど好きなものがあるというのは、幸せなことだ。自分のオタクになる程好きな部分を人に見せるのは、勇気のいることだけれど、誰かは馬鹿にするかもしれないけれど、はずかしい思いをするかもしれないけれど、好きなものが何にもないより、ずっとましだ。
心のうちの奥の奥からの、「好きだーーー」という本能を、無視しないようにしたいと、わざと蓋をしてしまっておいたりしたくはないと、常々思う。
オタクであることに、誇りを持て。
きみが好きなものは、私が好きなものは、全然はずかしくなんかない。
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