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チーム天狼院

11月11日はポッキーとプリッツの日じゃなくて私の誕生日ですよみなさん《川代ノート》


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「川代さんポッキーあげる」
11月11日が誕生日でよかったな、と思うのは、こういうときだ。ポッキーとプリッツにはしばらく困らない。「しょっぱいの食べたら甘いの食べたくなる、甘いの食べたらしょっぱいの食べたくなる」現象にしばらく対応できる。うん。よかったよかった。縁起のいい(?)日に産んでくれた母親に感謝だ。持ちきれないほどのポッキーをみんなで分ける。嬉しいなー、よかった。
いやー、嬉しい。うん。
嬉しいけど、それにしても。
23て。
おい、23て。
どういうことだよ。
セーラームーンと同じ歳になっちゃったーなんて騒いでた14の頃からもう9年も経つの? ちょっと待って、本当に待って。信じられないんだけど。
23って、なんつーか、こう、ほら、7センチのヒールとか平気で履いちゃって、丸の内とか銀座とか六本木とか背筋のばして高級クラブのスカウトをさらりとかわしながら歩いて、ホテルオークラのラウンジとかで800円もするコーヒー飲みながら打ち合わせするみたいな、キラキラしたイメージだったんだけど。今じゃ7センチヒールでカツカツどころか、もうスニーカーじゃないと歩けないくらいなんですけど。なんで十代の頃ってあんなに平気で毎日ヒール履けてたんだろう? 不思議でならない。本当にたまにしかヒールなんて履けないよ。

いやー、それにしても。
23年の中で、バースデーナイトを一人で祝うのは、今年がはじめてである。
なんだかんだ毎年祝ってくれる人がいた。友達や家族や、ときどき恋人が一緒にいてくれることもあった。毎年誰かしらは一緒に過ごしてくれる人がいるもんだと思っていた。
思ってたのに。思ってたのによー!!!

「サキ、ごめん、お母さん研修あるから」
「はいよ」
「お父さんも仕事だから」
「いーよ、私も夜まで仕事だし」
「ピース(犬・9歳)とお祝いしててね」
「はいはい」
「友達と遊んできてもいいのよ」
「いや今更友達に誕生日祝ってくれとかむなしいから」
「そう……じゃ、ごめんね。12日はお休みだからお祝いしよう」
「いいって別に。気にしてないし」
「でも……」
「いいから! 本当に! 全然まったくもって寂しくないし! 別にこの年で盛大にお祝いとかしたくないし! むしろ年取りたくないし!」
「そう? ごめんね……」

そこまで言われると本当に寂しいヤツになったみたいだからやめてくれお母さん。
ぼっち誕生日とか全然寂しくないし。全然気にしてないし。なんなら誕生日なんか覚えてないから。第一、私忙しすぎて自分が誕生日だってこと忘れちゃうからさ。もー本当気にしない気にしない。
と自分に言い聞かせるも、確実にぼっち誕生日に向け、寂しさが募る。

11月11日が近づくにつれ、どんどん、祝ってくれる人がいないという状況に焦りを感じ始めている自分。あー、もう、嫌だ。誕生日なんか全然気にしない大人になりたいのに! っていうかさー、23にもなって誕生日祝ってくれる人がいなくて寂しい云々とか言ってるあたしって人としてどうなの? などという疑問は次々に浮かんでくるが、今更友達に「ねえ11日暇?」と聞いて気を使われるのもやっぱり惨めだし……。もし「あ、サキ誕生日だからお祝いしなきゃ、ケーキ買ってサプライズしなきゃ」と変に気を回させたら嫌だし……かといって友達が完全に私の誕生日を忘れてて何にもなかったらそれはそれで嫌だし……。
というわけで何の準備をすることもなく前日を迎えたのである。ひたすらに、11日が自分の誕生日であることを忘れようと念じる。忘れろ、忘れろ、頼むから忘れてくれ私の頭!! 頼むから日付という概念を頭から今だけ消してくれ!! 今日はただの水曜日であって、ただの仕事の日なのだ、いつもと何ら変わらないのだ……忘れるのです……忘れるのですよサキ……誕生日など、年齢など、ただの数字にすぎないのです……とブッダかキリストか何かの悟りのメッセージが如く一生懸命言い聞かせるが、どう考えても無理だ。だって11月11日だよ? 忘れようがないわ! こんな覚えやすい誕生日見たことないわ! みんなポッキーとプリッツいぇーい☆とかいってはしゃいでるし。

というわけで、当日も朝起きた瞬間から自分の誕生日をばっちり覚えていたアタクシでした。あーもう普段なら曜日感覚忘れて暮らしてるのにこんなときだけばっちり覚えてる自分が憎い。重い気分になりながらも、せっかく誕生日だしと思っていつもより時間をかけて化粧をし、前髪を巻いて会社に向かう。
しかし、誕生日に学校に行くとか会社に行くとかいうのはどうしてこうもそわそわしてしまうのだろう?
普段、人の誕生日を全然覚えられず、他の人に「あの人今日誕生日だよ」と言ってもらうか、フェイスブックから通知が来てようやく「あっ、やべ、もう会っちゃった。普通にお疲れ様ですって言っちゃったよ」と思い出すような人間の私が、他の人からのお祝いの言葉を期待するなんてお門違いなのだが。それでもやはりみんなからの「おめでとう」を待ってしまう。

そういえば高校二年くらいのときだったろうか、朝そわそわしながら登校したら、教室の黒板に「サキちゃんアンド○○ちゃん(そのとき11月11日生まれが二人いた)おめでとう☆Happy 17th!!」みたいなことが書いてあって、教卓の前にポッキーとプリッツとトッポが大量に置かれてて、コンビニのケーキも置いてあってすごく感動した覚えがある。別に私はクラスの人気者じゃなかったのに、そのときだけはみんなのアイドル的な気分に浸ることができた。楽しかったなーあの頃。

それにしても、あれからもう6年経つなんて信じたくないんですけど(またそれかい)。6年経ってたらあれだよ、私が高1だったときに中1だった子が今高2ってことでしょ? もう今の子は前略プロフィールとかミクシィとかりあるとか使わないんでしょ? みんなラインかツイッターでしょ? よく病んでる子がりあるに「はぁ……もう嫌だ。つらい。あの子なんなの? まぢ許せない」とか思わせぶりなこと書いて翌日に「ねー○○のりある見た?」「見た見た! 『あの子』ってあれでしょ、B組の××だよね」とかいう会話したことないんでしょ? うわー信じられない。今そういうゴタゴタはきっとツイッターとかラインでやるんだろうね。時代の移り変わりってすごい……。

あの頃は、若いのに、本当に十分マジで若いのに、「あー17になっちゃったよーもうおばさんだよっ」とか「中学生とか見るとマジで若いなって思うわ(笑)」とか無駄に言いまくって自分が大人になったような気がしていた。内心では一つ大人になって結構嬉しいのに、なんとなく「大人」に近づいていることを喜んでいる自分がダサいんじゃないか、と思えてしまって、本当に嫌なわけじゃないのに「年取るのやだ」と言っていたような……。
そう考えると、昔の自分と今の自分、結構見える世界が変わったような気がする。知らないうちに。
高校生の頃は毎日が学校と家の往復で、まだ自分の力でお金を稼ぐということを知らなかったから、学校が私の全てだった。友達からの情報だけで世界は成り立っていたような気がする。だからこそがむしゃらに受験勉強に打ち込めた、っていうのもあるんだろうけれど。何も知らないということが、何かを頑張るためのモチベーションになったりもするのだ。大学に行けば、世界は広がるんだろうと思っていたし、自分はなんでもできる人間になれるんだろうって思っていた。
大学に入ったらたしかに世界は一気に広がって、知識も増えて、徐々に自分の将来の道を決めなきゃいけない段階になって……。19になって、20になって、21になった。

大波にのまれるように就活して、卒業までの時間を惜しむように過ごしていたら、22になっていた。
大学に入ってからの誕生日をどう過ごしたか、私はわりとはっきり覚えている。

19のときは当時の彼氏にお祝いしてもらった。でもなぜか夕食代は私が多めに出した。腹が立った。どうしたら彼を私に尽くさせられるのかを考えることで頭がいっぱいだった。
20のときは留学していた。夜中の12時ぴったりに寮の部屋に友達が来て、サプライズをしてくれた。すごく嬉しかった。でもその頃カルチャーショックで悩んでいた。自分がどうしたら素直な人間になれるのかともがいていた。
21のときは、たしかサークルの仲間にお祝いしてもらった。もうすぐやってくる就活に対抗するのが怖くて、将来のことは見ないようにしていた。
22のときは、平凡な1日だったけど、母親が大好物のからあげを作ってくれて、おいしいケーキをみんなで食べた。もうすぐ学校も天狼院も卒業してしまうという事実が本気で嫌だった。毎日記事を書いてばかりいた。

そうだ、それで去年、誕生日の記事をブログに書いたんだ。(ちなみにこちら→誕生日は、自分の価値をはかる日?)ひそかに、これから毎年誕生日には記事を書こうって、自分の成長を記録する意味でも、毎年欠かさずに書こうって決めたんだった。だから今年、23になっても、こうして記事を書いている。
毎年、誕生日が来るのはあっという間だなあと感じるのに、振り返ってみると、自分の考え方や気の持ち方や悩みが、大きく変化している。同じことの繰り返しのようで、案外ちょっとずつ前に進んでいる。これを成長と呼んでいいのかどうかは、わからないけれど。

で、ようやく本題。2015年、23歳になり、ぼっちバースデーナイトを迎えた私がどう過ごしていたかというと。

「川代さんおめでとう」
「川代さん23だって? 若いわね〜」
「川代さんハッピーバースデー! ポッキーアンドプリッツ!」
「川代さんポッキー買ってあげますよ仕方ないな今日だけですよ」
「あ、今日誕生日なんだ〜ちんあなごの日じゃないですか〜」
「すげー! ポッキーの日が誕生日なんだ!」
「川代さんポッキーとプリッツどっちがいい?」
「はい、これポッキーみんなで食べてって△△さんが」

……ってまたポッキーとプリッツかい!!!!
お前らどんだけポッキーとプリッツ大好きなんだよ!! てか途中にちんあなご言ってるヤツいたけど!!
と内心で激しくつっこみつつも、これだけたくさんのポッキーとプリッツをもらえるという事実が嬉しくてたまらない。ていうか照れるわ。いい年してポッキーとプリッツをもらえることに喜んでいる自分が照れ臭い。恥ずかしい。でもめっちゃ嬉しい。
というわけで、職場では非常に心優しい方々が誕生日を覚えていてくださり、ポッキーやらプリッツやらプレゼントやらをありがたく頂戴し、ホクホク顔で家に帰ったのでした。もういいや、ぼっち誕生日とかどうでもいい……幸せ……家に誰もいなくてもいいし、ピースにお祝いしてもらうもんね……そう思いながら、玄関を開ける、午後10時。
すると。

「あ、おかえり〜おめでと〜」
「え?」
お母さん、なんでいんの?
「いや、研修早く終わったから」
「なんだよー職場の人みんなに今日ぼっち誕生日なんです〜ってかわいそうでしょアピールしてきちゃったよ!」
「えー? そうなの? まあいいじゃん。お寿司あるよ」
というわけで、おいしいちらし寿司とケーキを食べて、私は23歳になった。よかった。一人じゃなかった。ぼっちじゃなかった!
そして23歳になってから一週間近くたった今、かなり遅れて文章を書いている。
さて今年の私は、どんなことを感じているんだろう。どんなことで悩んでいるんだろう。
うーん、たぶん、今は悩みが多すぎて、きっと一年たってからようやく、「あの頃はあんなことで悩んでたなあ」とわかるんだろうけど。
私はもう大学生じゃなくて、社会人になった。学生の頃はあんなに毎日ぐうたらしていたのに、今じゃちゃんと会社に行って働いている。自分で使えるお金も増えて、少し、本当に少しだけだけど、自立できたような気がしている。
23になったということは、次は24に着々と近づいているということで。24となるといよいよ、逃げられないというか、完全に「大人」の仲間入りしてしまったような気がする。
って、まあ、全部「気がする」ってだけで、本当に自分が大人になっている保証なんて何もないんだけど。
「23なんてもうやだあああ! もう大人から逃げられない! 子供じゃいられない! セーラームーンになりたい!(おい)」
そうぼやいてはいるが、なんだかんだ、大人に近づくのが嬉しいのだ、きっと。

仕事終わりのビールのうまさがわかるようになり、子宮がん検診と乳がん検診に行くようになり、奨学金の支払いがはじまり、親の誕生日に高いものをプレゼントできるようになり。
少しずつできることが増え、悩みが増え、感情が増え……。ぱっと見ただけじゃ何も変わっていなくても、私の中にはそういう「見えないもの」がどんどん積み重なっていく。それがとても楽しいのだ。そう、大人になるのはとても楽しいし、面白い。
「23なんてもう嫌だ。年取っちゃった」
そう言いたくなるのはきっと毎年の通過儀礼みたいなもので、別に本気で嫌なわけじゃなくて、大人になって嬉しい気持ちを照れ隠ししていた17の頃と何も変わらないのだ。

変わるものと、変わらないもの。

それを改めて確認できるのが、誕生日なのかもしれないと、ふと思った。
そして。

「いやーもう23かあ。もう大人じゃん。早いなあ」
「何言ってんの。23なんてまだまだ若いわよ」
「あー、そうだよねえ。そう言うおかあももうごじゅう……」(母は私の少し前が誕生日)
「ギャーーーー!! 言わないで! もう本当に言わないで! イヤアアアア」
「なんでよ! 一歳くらい何も変わんないでしょ」
「変わるわよ!! 全然違うわよ!! ぜんっぜん違うわよ! 51と52じゃ重みが違うのよ!」
「自分で言ってるし」
母親とのこの大騒ぎも、「変わらないもの」のひとつだ。

そんな、一歳年をとった、2015年11月11日の夜。

さて、23歳の川代も、どうぞよろしくお願いします。

 

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