このまま30歳になって大丈夫か症候群《川代ノート》
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記事:川代紗生(天狼院スタッフ)
アラサーである。
紛うことなきアラサーである。今年で29歳。27歳くらいまではまだまだヒヨッコの気分が強かった。というよりも、年齢の感覚があまりなかった。それよりとにかく仕事を軌道に乗せるのに必死で、歳を重ねることについてなんてほとんど考えられていなかった。し、考える必要もないと思っていた。
だいいち、私はもともと「はやく大人になりたい」と思っていたタイプである。学生のころから「まああなたはまだ若いからね」と大人から優しく諭されるのがなんとなく嫌で、はやく一人前の大人と認識される年齢になってさっさと幅を利かせられるように(おい)なりたいと思っていた。
ところが、である。
「30代」がこちらに向かいドドドドと走る音が聞こえてくるようになったある日、突然私の目の前が真っ暗になった。くらっとした。青天の霹靂。突如訪れる天啓。寝耳に水(ちょっと違うか)。
まあとにかく、雷がズガーンと脳天を貫いたがごとく衝撃が走り、私は突然「このまま30歳になって大丈夫か症候群」になってしまったのである。いやー、なんだこの不安。いままでそんなこと全然感じたことなかったのに。
で、まあここまで仰々しく書いておいて何があったんやという話なんですが、結論から言うとですね、インスタに学生時代の友達の結婚式の様子が流れてきたのがきっかけだった。
私と同年代の人ならわかると思うがとにかく28歳・29歳というのは結婚ラッシュに次ぐラッシュで、おまけに最近はコロナ禍でずっと結婚式を延期していた人たちが「いや、もうこのままじゃいつ結婚式できるのかわからんから、仲の良い人限定でやっちゃおう」的に思ったからなのかどうかはわからないが、結婚式の写真がやたら流れてくるのである。毎週土日にインスタのストーリーを見れば、「結婚しました」だの「〇〇の結婚式! ドレス姿きれいすぎた、、、」だの「チーム〇〇の同窓会みたいになった笑」だのとやたらめったら結婚式の様子が流れてくるのである。
くわえて、私は大学時代の学部の女子比率が高かったことや、中高一貫の女子校に通っていたこともあって、インスタで繋がっているのも女友達がほとんどなのだ。そのころの学友たちが大人っぽい美人になって華やかなドレスやワンピースを着て一堂に会している様子を見ると、いやー、時が流れるのは早いなあ、みんな全然変わらないなあ……なんて呑気に考えていた。
で、人生の大きな分岐点となったその日も、私は夜ご飯のあとソファに寝転びながらダラダラとインスタを見ていた。ふと、ストーリーに写真が流れてきた。大学の旧友の結婚式の様子だった。
おお、あの子も結婚したのかあ、そういや会ったばかりの頃は私もあの子も、クラスメイトみんなで結婚できる気がしないとか言ってたなあ……と思い出にひたりながら微笑ましくその様子を眺めていたのだが、ふと出てきたのは見知った顔たちの集合写真だった。どうやら、その子が卒業後も仲良くしているメンバーたちで集まって写真を撮ったようだった。
ああ、懐かしいなあと思いつつスルーしようと思ったのだが、ふと、ひとつの考えが頭をよぎった。
あー、私、友達の結婚式、マジで呼ばれなくなっちゃったなあ。
そう。呼ばれなくなったのである。
……いや、「呼ばれなくなった」というとちがうな。語弊があるな。ちょっと盛ったな。すいません。
いや、「呼ばれなくなった」じゃねえよ、
最初から「呼ばれない」んだよ!!
そうなんだよ! 私結婚式マジで呼ばれてない! というか友達がいない! え? これまで何回結婚式行った? 数えるほどしか行ってなくない? 呼ばれてもいいはずのやつスルーされてる回数だいぶ多くない? いや本当に仲良い友達は呼んでくれてるけど!! ありがとうございます慶んで出席させていただきます!!
……とまあ、ふと冷静になったとき、結婚式に呼んでもらうほど仲の良い友達が少なすぎるという事実にいまさら気がついて、絶望したのである。
いや、といっても、それも仕方がないことなのだ。「なんで呼んでくれないのよ! きいい!」と旧友たちを責めるつもりも毛頭ない。なぜなら私は20代のほとんどを仕事ややりたいことに費やしてきたし(それこそライターとして食っていけるようになるために、文章を書くのに必死だった)、気がつくと、仲の良かったはずの友人たちとも疎遠になってしまった。「卒業しても定期的に会おうね」と言っていたはずが、せっかく誘ってもらっても仕事のために行けない日が続いた。もちろん、自分から誘うなんてこともほとんどできなかった。そんなことを繰り返していると、いつしか誘われることもほとんどなくなった。
そしてそれを、私自身も問題であるとは認識していなかった。むしろ誇らしく思っていたと言ってもいい。あまりこういうことは言いたくないけれど、なんなら、そうして楽しげに遊んでいる友人たちを見下している部分もあった。仕事ややりたいことに邁進し、時間を有意義に支えている自分。恋話や愚痴や噂話など、くだらない話で盛り上がる友人たち。あなたと私は違うのよみたいな、冷めた一線を引いていた部分もあったと思う。いや、あったな。あった。間違いなくあった。そして、その考え方は絶対的に正しいと信じて疑わなかった。長い目で見れば、時間を無駄にしていない私のほうが充実した人生を送れるのだと確信していた。
でも、その集合写真を見た瞬間ふと、寒気がした。ゾッとした。その集合写真のなかにいたかもしれない「自分」を想像して、そうやって旧友の晴れの日を祝い、涙を流しているイフ世界の自分を想像した途端、ぞわりと身体中に恐怖心が駆け巡った。
ああ、そうか、人生ってもう取り返しがつかないんだ。
友達とわいわい騒ぎたいなら、やりたいことをやったあとでいい。そう思っていた。遊ぶのはそのあとでいくらでもできる。だから今は自分のやりたいことや仕事に全力投球しよう、と。
でも違うのだ。「あとでやろう」はできないのだ。不可能なのだ。もう人生は分岐している。私は友人たちとの絆を大切にしたり、心と心を繋いだり、互いの門出を祝ったりする世界線に戻ることはできない。やり直しはきかない。
私は選んでしまったのだ、「結婚式に呼ばれない人生」を。
「人生はいくらでもやり直せる」なんてよく言う。でもそれは世迷言だ。人生はやり直せない。失った時間は絶対に戻ってこないし、一度選んだ世界線から、セーブデータをロードし直して別の世界線にルート変更するなんてことできないのだ。
私は時間を有意義に使っていると思っていた。
友達とわいわい過ごす時間を犠牲にした代わりに、私はもっと成功できるはず。もっと幸せな人生を手に入れられるはず。
そうやって信じて選んだはずの世界で、もし、失敗してしまったら?
友達との時間を犠牲にした対価が得られるはずと思って選んだ世界で、何も対価が得られなかったら?
そもそも、私が「有意義に過ごした」と思っていた時間が、全部無駄になっちゃったら?
そんな考えが一瞬で頭の中を駆け巡って、もうどうにもこうにも、いてもたってもいられなくなってしまった。
いやー、先輩たちからよく、アラサーになると急にいろいろ不安になるみたいなことを聞いていて、それまではどういうことなんか想像もできなかったけど、こういうことなんだね。
みんなとは違う。
そうやって周りを見下していたのも、いま考えれば、やり直しがきかない現実から目を背けたかったからなのかもしれない。
周りを見渡せば、着実に成果を出している人たちの姿が見える。時代の流れに合った才能を身につけている人、転職した人、起業した人、家族と幸せそうに暮らしている人、子どもが生まれてお母さんになった人。
その誰もが充実しているように見えて、そして、その世界線にもし私も行っていたら、と想像する。私もこの写真のみんなのように、幸せそうに笑っていたんだろうか。活躍していたんだろうか。もっと充実して……成功して、いたんだろうか。
そんなことを想像しては、不安になる。その繰り返し。結婚や出産や転職や、いろいろな人生の分岐点が重なる時期だからこそ、そんなふうに何十通り、何百通りもの「イフ世界の自分」がSNSを見るたびにフラッシュバックして、不安になってしまうのだろう。
……というわけで、「もうやり直せないんだ」「結婚式に呼ばれまくる、友達がいっぱいいる私はもう戻ってこないんだ」という現実に打ちのめされ、その日は感情が爆発して大泣きしてしまったわけだが笑、まー、終わってしまったもんはしゃーないよね。取り返しがつかないんだし。
ただ思うのは、取り返しがつかないなら取り返しがつかないなりに、いまできる最善の選択を、自分が心の底から納得できる選択をし続けるしかない、ということだ。
正しい選択肢は存在しない。どの道を選ぼうとも、選んだ道が「正しかった」と言えるように努力し続けることが大事だ。
これまでそう思っていたし、その考え方はいまでも変わらない。どんな選択肢も考え方・捉え方しだいでポジティブにもネガティブにも変わるだろう。
ただその一方で、その価値観を言い訳に、「自分にとっての最善解」を探し続ける努力を怠っちゃいかんよな、とも思うようになった。
どの道を選ぼうとも正解にできるのだとすればむしろ、どんなことにでもチャレンジできるとも言えるじゃないか。
「正しい選択肢は存在しない」というのはその都度妥協せずに選択し続けてきた人間にこそ言える言葉であって、真剣に向き合い考えることを放棄した人間の言い訳として使われるべき言葉では、ない。
そう考えると、紛うことなきアラサーのいまもうんうん唸りながらあーでもないこーでもないと悩んでいる私は、もしかしたら「正しい」と言ってもいいのかもしれないなあ。牛歩でも迷いながらでもいいから、いま周りにいてくれる人たち、支えてくれる人たちに恩を返せるように、「あなたがいてよかった」と言ってもらえるように、精一杯がんばり続けるしかないんだよなあ、結局のところ。
……えー、というわけで「このまま30歳になって大丈夫か症候群」に苦しめられ、結婚式に呼ばれない人生に無理やり意義を持たせようとしているわけであるが。
いまさらながらひとつ、超重要な事実を見落としていたことに気がついてしまった。
……忙しいとか忙しくないとかそんなもん関係なくて、そもそも私の人間性に問題があるんじゃね?
本当にみんなに好かれてる人なら、どんな道を選んでようとふつうに呼んでもらえるのでは?
どの世界線に行こうと、私が結局「結婚式に呼ばれない人」「友達が少ない人」ルートから逃れられないっていうのは変わらないのでは……?
もしループ物アニメみたいに私に輪廻転生能力があったとして、何回人生やり直したとしても結局「くそっ! 何度ループしても結婚式に呼んでもらえない……!」「どうがんばっても友達ができねえ……!」みたいになるんじゃないの?
……
……
うわあああああ! もういやだあああああ!
30歳になりたくなああああい! 大人になりたくなああああい! ずっと甘えていたいよおおお!! ばぶう!!!
……えー。
お粗末様でした。
同年代すべての旧友たち、世界中の人たち、アラサーたちが幸せにならんことを、心よりお祈り申し上げます。
なんかもう悲しすぎるからどうでもいいわ!
アーメン!
❏プロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
ライター。 天狼院書店スタッフ。ライティング・ゼミ講師。東京都生まれ・早稲田大学卒。WEB記事「親にまったく反抗したことのない私が、22歳で反抗期になって学んだこと」(累計35万PV)等、2014年からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。レシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。天狼院書店で働く傍ら、ライターとしても活動中。
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