メディアグランプリ

歌に込めた想い


 
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:益田和則(ライティング・ゼミ平日コース)
 
私は、音楽と不幸な出会いをしました。
小学生1年生、希望に燃えて学び舎の門をくぐったのですが、そこは思い描いていた学びの場ではありませんでした。担任となった先生が、私に対し異常に厳しかったのです。その担任の先生にお世話になった2年間の学園生活と、それ以降の学園生活は、まったく異なった様相を呈することになりました。私は、入学してからの2年間は、ただただ先生におびえる委縮した子供でした。その後の学校生活では、理解のある先生に恵まれこともあり、学校の中で自由闊達に振舞えるようになりました。おかげで、勉学、スポーツともに頭角を現すことができるようになりました。
 
しかし、こと音楽に関しては、大人になっても、その時のトラウマを引きずり、歌を唄うという事に恐怖を持ち続けることになりました。それは、おそらく、音楽というものが、他の教科と違って、人の心に直接係わるものであるからだと思います。
 
今でも、鮮明に覚えています。
音楽の授業は、講堂で行われました。先生がピアノの前、生徒たちはそれに向かい合ってパイプ椅子に座ることになっていました。そして、生徒が一人ずつ立って、先生の奏でるピアノの音に合わせて、「ドレミファソラシド」と、音階を声に出していきます。
私の番が来まで、また怒られるのではないかと、恐怖におびえて待ち続けます。先生が、ドを弾き、私が少し外れたドの音を発する。先生は、「ああ、ちがうっ。この音、この音」と言いながら、ドの鍵盤を何度も激しくたたきます。私は、焦って、声らしい声も出ません。「つぎっ、レ」、「ちがうっ、この音、この音」と言いながら、レの鍵盤を何度もたたきます。「はい、もう一回、ドレミやってごらん」私は、あえぎながら、「ド・レ・ミ」と声にならない声を出す。「ああ、ちがうっ。後回しっ!そこに立ってなさい」と言って、ずっと立たされます。幼い私には、あがらうことも、逃げ出すことも、どうすることもできませんでした。小学校というものは、こういう所だと、受け入れるしかありませんでした。しかし、幼いながらも、なぜ、私にだけそんなに厳しいのだろう、という思いが頭を離れませんでした。
 
音楽とは、「音を楽しむ」と書きます。
「音楽を聴くこと」、「歌うこと」、「楽器を演奏すること」、「みんなでハモること」は楽しことだと教えるのが、低学年の生徒を教える教師の最も大事な役割ではありませんか。子供たちが、音楽とともに、これからの人生を豊かに暮らせるよう導いてあげるのが、教師の役割ではありませんか。後に実感したことですが、歌が好きになり何度も歌っていると、音程など知らぬ間に合ってくるものです。
 
「何も知らない無垢な小学1年生に、何たる教育をする」と今でも憤慨してやみません。もし、タイムマシンでその頃に戻れたら、そして、私やほかの子がそのような目にあっているのを目の当たりにしたら、私は、間違いなくその教師を叱り飛ばすでしょう。
 
私は、この傷を癒すのに、約40年かかりました。
学生時代は体育会系のクラブに入っていましたし、会社に入ってからもそうですが、いつも、「歌を唄わされる」という思いから脱却することができませんでした。人前で歌うことは、苦痛意外、何物でもありませんでした。
 
そんな私を変えてくれたのは、息子でした。
息子も大学生になり、バンドを組んで、街角、ライブハウスで音楽活動をしていました。ある日、妻とともに、彼が出演するライブハウスに、演奏を聞きに行きました。
 
パンク、それが彼の音楽でした。
激しいリズムに、常軌を逸した詩が乗っかっている。家では、いつも静かな息子が、何かが乗り移ったように爆発している。私の心は、打ち震えました。その衝撃が、私のトラウマを吹き飛ばしたのです。
 
「音程がどうした。リズムに乗って、体を動かし、心のうちを詩に乗せて放つ。それが音楽じゃないか。歌いたい歌を、歌いたいように歌えばいいじゃないか!」
 
その日から、私の「弾き語りの日々」が始まりました。
わが青春の拓郎、陽水から始まり、ビートルズ、イエモン、エレカシ、ゆず、斉藤和義、米津玄師……歌いたい歌は、世の中にあふれています。
 
やる時はやる。
直ちに、アコースティックギター、伝説の名器「Gibson J-45」を購入しました。大人の趣味は、「グッズ」から入っていくものであります。
 
息子に、適宜アドバイスをもらいながら、モノの本を読みながら、独学で練習を始めました。妻が、私の前に座って下手な歌を聞いてくれました。何度も繰り返して歌っていると、そのうちに、様になってくるものです。やればやるだけ上達するので、夢中になって練習しました。
 
ある程度自信がついてくると、テニスサークルの飲み会、会社の歓送迎会、友人のうちでのホームパーティなど、前触れもなくギターを持ち込み、勝手に歌うようになりました。今まで、カラオケで歌うことも渋っていた人間の変貌ぶりに周りの人は驚きました。最も驚いたのは、他ならぬ私です。なぜにそこまで歌いたがる……。
 
きっと、抑圧され、溜まりに溜まっていた歌うことへの願望が、一気に噴き出したのに違いありません。
 
スポーツ、芸術、仕事、なんでもそうですが、最初は独学で勉強したとして、自己流でやっていると必ず頭打ちになります。プラトー現象と呼ばれるものでしょうか。私も、数年続けているうちに、限界を感じるようになりました。
 
そこで、発声の基礎を学ぶことにしました。
ボイストレーニングに通い始めて、はや丸3年。発生の基礎を地道に学びましだ。腹式呼吸、歌う姿勢、のどをリラックスさせる、口の開き方、リズムの取り方、裏声の出し方、マイクの使い方……。
 
そして、今、私は思うのです。
言葉に出して言えないことでも、歌の中にその想いを込めることができる。
恋する時はときめく恋の歌、悲しい時にはそっと寄り添ってくれる歌、うれしい時には歓びを分かち合える歌、戦いの時は自分を鼓舞してくれる歌、娘をいとしく想う歌、等々。
時折々、自分の心情に合う歌を唄うことで、人生が鮮やかに彩られていくように思えるのです。
 
これからも、初めてギターをもって歌い始めた頃の、新鮮な気持ちを忘れず歌い続けて行こうと思っています。
 
私の歌を、辛抱強く聞いてくれた妻はもういません。妻の前で歌った歌を、今も歌います。
それは、ただ単に思い出に浸るためではなく、一人、力強く生きて行くための応援歌として歌い続けるのです。
 
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2019-09-13 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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