左を制する者は、会議を制す。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:浦部光俊(ライティングゼミ・ゼミ平日コース)
「まずい、もう始まっている」 急いで会議室に入ると、試合開始のゴングはすでに鳴らされていた。「結局、なにが言いたいわけ?」 ミーティングの参加者たちは、一瞬だけ僕のほうを見たが、興奮は収まらない。状況が把握できないまま、僕は席に着いた。
今日は、僕の所属する海外営業部主催の「国際営業部会議」の日。普段は顔を合わせることのない海外担当者達と、直接会って話せる貴重な機会だ。
「私たちの能力が低いって言いたいわけ?」「それとも、怠けているって言いたいの?」
唾を吐き捨てんばかりに叫んでいるのはジョー。今日のミーティングのためにスペインからやってきた。普段の彼女は、楽天的で気さくな典型的ラテン系女子。感情任せにパンチを振り回している。一発でも当てられたらダウンは必至だ。
こんな姿を見るのは初めてだ。怒り、絶望、いらだち、すべてが込められたようなその声。「もう我慢の限界。お前の言うことは聞きたくない」。渾身のパンチが繰り出される。「これで試合は終わりだ。終わらせてやる」 興奮で紅潮した彼女の顔には、血管が浮き出ている。
目を移すと、そこにいるのは、亀のようにガードを固める僕の同僚。「いや、そういうことをいいたいわけじゃなくて……」 ぼそぼそと発している言葉がむなしく宙に浮いている。相手に届いていないことは明らかだ。普段から色白な顔が、気の毒なくらい青白くなっている。すでにダウン寸前だ。
「はっきりいいなさいよ。なにがいいたいの?」 ジョーは、コーナーに追い込んだ相手をさらに問い詰める。シーンとした会議室、ジョーの荒くなった呼吸音がむなしく響く。
「いったいなにがあったのだろう……」 何も手を出せない。僕はただ茫然としていた。
「パチパチパチ!」 突然の拍手が沈黙を破った。
それまで、静かに様子を見守っていた女性が穏やかな笑顔を浮かべている。ジョーの上司、ヨークだ。「グッドファイト!」 「お互い、言いたいことは出尽くした?」 明るく、でもしっかりとした芯を感じさせる声。
「本音で話せる機会って、なかなか無いですよね」 ヨークは続ける。「2人とも、自分たちの主張がはっきりしていて、とてもよかったと思います」
「よかったって……」 僕は心の中でつぶやいた。「まさか本気の殴り合いこそが会議の神髄だなんて言わないよな。ここからどうやって修復するわけ?」
「じゃあ、ちょっと論点を整理しましょうか」 まるで何事もなかったかのような調子だ。「あなたの言いたいことは、こういうことで間違いない?」 「具体的にはどんな事例があるの?」 短い質問や、確認がテンポよく繰り出される。はじめのうちは口が重かった人たちも、「そうそう」 とか 「いや、そこはこういう意味なんだ」 など答えて始めている。みんな知らず知らずのうちにヨークのペースに飲み込まれている。
「じゃあ、明日からみんなで協力していきましょう。」 明るい声でヨークが会議をしめくくる。
「あれ、こんな簡単な話だっけ」 なんだか拍子抜けしまった。さっきまでのピリピリとした緊張感はどこに行ってしまったのか。周りを見渡すと、他のメンバーもそれは同じらしい。ぽかんとしている僕の同僚。ジョーはニコニコ、すっかりいつものラテン系女子に戻っている。キツネにつままれたような、というのはこういうことを言うのだろうか…… 終わりよければっていうし、なんだかよくわからないけど、まあいいか。緊張から解放されたせいか、急に空腹感を感じた僕は社員食堂に向かった。
配膳台の列に並ぶと、ヨークを見つけた。向こうも僕に気づいたらしく、にっこりと微笑みかけてくる。二人でテーブルに向かう途中、さっきまでのモヤモヤ感の正体について、思い切って聞いてみた。
「ねえ、さっきの会議、いったい何をしたの?」 テーブルに腰掛けながら、ヨークがちょっと意地悪そうな笑顔を見せた。左手をポンポンと叩いている。
「えっ、なに?」 よく見ると、ヨークは、左利き、お箸を使うのも左手だ。日本通で知られるヨーク、箸運びが見事なのはもちろんのこと、テーブルも左端に座っている。右利きの人とひじが当たらないよう、左利きの人が食事の時にみせる気遣いだ。
「もっと気を配りなさいってこと?」 痛いところを突かれた。今日の会議、お互いの気遣いが足りなかったのは確かだ。
「それも大事。でもね、もっと大事なことはね」 ヨークは、そっと箸をおいた。
「これよ」 そういいながら、ヨークは左の拳を僕の目の前に突き出した。戸惑う僕などお構いなし、ヨークは左拳を何度も突き出してくる。
「なにそれ、ボクシングのジャブ?」 ちょっとイラっとしながら、僕が尋ねると、ヨークがニヤッと笑う。どうやら正解らしい。でもなんでジャブなんだ?
「ジャブの目的って知ってる? それは、試合のペースを整えること。それと相手との距離感を測ること。ペースを整え、適正な距離を保てば、パンチは当たるし、相手のパンチもよく見える。まずは、小さな質問や確認を繰り返す。そうすれば、会議のペースも整うし、相手の位置も確認できる。」 そしたら、あとは簡単よ、と言わんばかりだ。
「……」 確かに、今日の僕たちは、気持ちばかりが空回り。会議のペースも、相手の位置も確認しないで、大きなパンチを振り回していた。ヨークのジャブがなかったら、と思うとゾッとする。左=ジャブを制する者は、試合を制すか……
振り向くと、ヨークの姿はそこにない。すでに席を立ち、軽快なフットワークで次のミーティングに向かう姿は、軽やかにリングを舞うボクサーのようだった。
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