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父の死が教えてくれたこと


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記事:中根 瑶子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
「病気の進行を遅らせることはできても、治ることはないんだって」
母は少し震える声で、そう言った。
 
働き盛りの父に、病気の兆しが見え出した時、私たち子どもは皆、まだ学生だった。
 
大学入学と同時に地元を離れた兄は東京の大学に通っていて、弟は、地元の高校に入学したばかり。私はというと、第一志望の大学に落ちて予備校に通う浪人生だった。
 
今思えば、病気の予兆は、日々の生活の中に確かにあった。せわしなく過ぎていく日々の中で、家族の誰もが気に留めることのなかった、ほんの僅かな違和感。その違和感は次第に大きくなっていき、ついに病院を受診した父に付いた病名は、「現代医学では治らない」部類に入るものだった。
 
現代医学で治らないその病気は、静かに、だけど確実に、父の身体と心を蝕んでいった。
 
「今夜が山になりますから、覚悟をしてください」
 
こんな言葉を、担当医の先生から何度言われただろう。父はその都度、医学的な予測を見事に裏切り、山を乗り越えてくれたのだった。
 
思えば、父はもう10年以上闘病していた。
 
父が初めて病院を受診したあの日、まだ学生だった私たち子どもは皆、社会人になり、3人とも地元を離れ、それぞれに家庭を築いていた。
 
そんなある日のこと、母から電話がかかってきた。
 
「お父さん、危篤だって。いますぐ戻って来れる?」
 
何度聞いても慣れることはない「危篤」という言葉に、一瞬、心臓を鷲掴みにされるような思いをしたけれど、
 
「わかった。夕方には着けるように、できるだけ早く行くから」
  
自分でも不思議なくらいに落ち着いた声で、母にそう告げたあの日のことを、今でもよく覚えている。
 
その日は日曜日で、仕事が休みだったことが幸いだった。当時1歳だった長男と夫の3人で近所のショッピングモールにいた私は、急いで帰宅し、実家に3~4泊できるだけの服と、万一のために喪服も持って、焦る気持ちを抑えつつ、電車に飛び乗った。
 
どれだけ急いでも、実家までは、特急電車に乗って片道3時間はかかる。大学に進学するために地元を出て11年、何十往復もしている勝手知ったる路線なのに、その日だけは妙に駅と駅の間隔が長く感じた。
 
父のいる施設に着くと、先に到着していた弟と母が迎えてくれた。
 
ベットに横たわる父は、息をしていた。
 
ああ良かった……父は生きている。
 
安堵の気持ちとともに、私は、父の手を取って、「お父さん」と呼びかけてみたものの、そのあとに続く言葉が全く見つからなかった。伝えたい言葉はたくさんあるはずなのに。
 
「頑張って」と言うのは、なんだか違う。だって父はすでに頑張って生きている。それなら、と思い、今度は「ありがとう」と言おうとしたけれど、そう伝えたら最後、もう会えなくなってしまいそうな恐怖に襲われ、どうしても、その五文字を口にすることができなかった。
 
だけど、「ありがとう」と伝えたらよかったのだ。
生きている父に会えたのは、それが最期になったから。
 
私が父のいる施設に到着してから約2時間後、父は1人で静かに息を引き取った。
 
私たちがきちんとお別れができるように、父はきっと、最後の力を振り絞って、私たちの到着を待っていてくれたんだろう。父は、いつだって、そういう人だった。
 
父は亡くなる前の最期の数ヶ月、点滴だけで命を繋いでいたので、「骨と皮だけ」という形容詞がぴったりなほどやせ細って別人のようになっていたし、会話をすることはもちろん、コミュニケーションを取ることもできなくなっていた。
 
だけど、「生きてくれている」その事実だけで、なんだかとても心強かった。家族とは、親とは、そういう存在なのだと思う。
 
父の死が教えてくれたこと。
 
それは、「今、生きているのは、当たり前なんかじゃない」ということだ。
 
死を直視するのは怖い。だから、死なんて永遠に来ないものにしておきたくなる。
 
だけど、人は皆、生まれた瞬間に死に向かっていることは、紛れもない事実だ。
自分に残された時間は有限で、1分1秒、時間が過ぎるたびに、自分に残された命の時間は確実に減っていく。
 
だから、本気でやりたい!と思えることだけに時間を費やそう。大好きな人たちと、できるだけたくさんの時間を共有しよう。自分が伝えたい想いは、きちんと言葉にして、いつかじゃなくて今、精一杯伝えよう。
 
父の死は、自分自身の生き方を改める大きなきっかけになった。
 
あの日病室で、父に伝えられなかった「ありがとう」を、父に、直接伝えられるその日が来るまで、今この瞬間を、一所懸命生きていこう。私は、そう決めている。
 
 
 
 
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2019-12-12 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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