結婚式をする理由
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事: 追立 直彦(ライティング・ゼミ平日コース)
「お子さまの結婚式には、資金援助されますか?」
ぼくは、お客様のライフプランニングのお手伝いをするのが仕事である。
この問いかけは、子どもさんがいらっしゃるご家庭には、かならずお聞きしている。なぜなら、子どもが結婚をして親もとから独立する際に、親が資金援助するケースは、非常に多いからだ。ゼクシィなどが行っている統計でも、結婚費用として約190万円、新生活の準備費用として約170万円を、親や身内が資金援助しているというデータが存在する。ふたつ合わせると360万円。これを新郎新婦の親たちが、ほぼ折半で援助するというのだから、たいした金額である。資金援助する意向があるならば、事前に支出を計算に入れておいたほうがよさそうだ。
反応はさまざま。
そこまで親が準備するのかと、微妙な表情になるご夫婦もいらっしゃれば、ご本人にも身に覚えがあるらしく、「まあ、必要かもね」と「当然援助すべき派」を自認するご夫婦も。ぼくの感覚では、前者3割、後者7割といったところ。
さて、ぼく自身はどうだったか。
もう20年以上も前の話だが、結果からいうと、ぼくも結婚式の費用を、親に援助してもらったクチだ。援助?いや、そんなもんじゃない。全面的に工面してもらった。当然、各方面から頂戴した結婚祝いは、ぼくの両親の懐へと入っていった。結果的にアカが出たのかクロが出たのかも、まったく記憶にない。われながら情けない息子である。
これにはワケがある。
当時、ぼくとカミさんは、仕事の都合で兵庫県姫路市に住んでいた。
カミさんが、ぼくの家に転がり込んできたのが、結婚式の一年前。両方の親へのあいさつも済ませたし、ふたりの間で「そろそろ結婚して所帯を持ってもよいよね」という話になった。
となると、結婚式はどうするの?という話題も出てくるが、当時のぼくらにはお金がなかった。ふたりとも、特に結婚式に夢も願望も持っていなかったし、形式的なものにも興味はなかった。じゃあ、教会かどこかでふたりきりで挙式して、あとはなりゆきで友人知人に報告すればいいよね、ということになった。
この報告を聞いて、モーレツな勢いでダメ出しをしてきたのは、ぼくのおふくろである。
「あんた、なんばいよっとね!お世話になったみなさんに、ちゃんとごあいさつばせなやろうもん!なりゆきでごあいさつしよったら、そっちのほうが時間も金もかかるんばい。ちゃんと披露宴ばして、一回で済ませたほうが、よかろうもん」
確かに、おふくろの言い分もよくわかる。でも、金がないのも事実なのだ。
それを正直に伝えたところ、ぼくの太っ腹な両親は、結婚式にかかるすべての費用を捻出してくれると約束してくれた。結婚式ができる!ぼくらにワクワク感はあったか?……いや、これっぽっちのカケラもなかった。「面倒なことになった」というのが、本音だった。
そんなぼくの無気力を察知したかのように、準備の主導権は、すべてぼくの両親(おもにおふくろ)が掌握した。おふくろのチカラワザで、郷里の福岡市内での挙式が決まった。カミさんの実家は千葉で、ぼくの職場は兵庫県。カミさんの親戚縁者も、ぼくの職場の上司同僚も、可能な限りすべて呼ぶ。それがおふくろの方針だった。そのかわり、ほぼすべての交通費も、両親が肩代わりしてくれたように記憶している。
会場決めも、式に関するこまごまとした準備も、おふくろの手で着々と進められた。ぼくらが準備に関わったのは、わずか一日。福岡に帰省して、会場で衣装合わせをやったくらい。見事なくらい、自分たちではなにも準備せず、まさに「おんぶにだっこ」の結婚式だった。
あの時、なぜあんなに結婚式に対して消極的だったのだろう。
お金もなかったし、忙しかったということもあるが、たぶんいちばんの原因は、ぼく(ら)に、今ひとつ「結婚式をする理由」が見いだせなかったことだ。「タテマエ」とか「世間体」とか、そんなもののためにするのが結婚式(そして披露宴)。そんなもののために、数百万ものお金を注ぎ込む価値があるのだろうか。そう思っていたにちがいない。
自分の考えの浅はかさ、身勝手さに気がついたのは、結婚式から10年以上経ってからのことだ。今の仕事に就いてからまもなくのこと、ぼくは、ある女性経営者と会食する機会に恵まれた。彼女は、もう何十年とブライダル関係のお仕事をされていて、今までたくさんのカップルの結婚式や披露宴のお手伝いを、プロデュースされてこられた方らしい。
ぼくは雑談のネタとして、自分の「情けない結婚式」の話をした。
彼女は黙って聞いていたが、そのあと静かに微笑んで、こんな話を切り出した。
「ひとの一生で、自分のために他人が集まってくれる機会って、何回くらいあるかしら」
ぼくは首をひねる。さあ、何回でしょうね?
「いろんな機会があると思うけど、一般的には3回くらいと言われているわね。自分が生まれたとき、結婚したとき、そして死んだとき。」
「なるほど、たしかにそうだ」と、ぼく。
「では、その3回のなかで、自分のために集まってきてくれたひとたちに、自分自身で、感謝のきもちやことばを示せる機会は、何回あるかしら」
ぼくは、アッとちいさな声をあげた。
そして、自分の「情けない結婚式」のことを、その瞬間、ほんとうに激しく後悔した。
「ね、これが結婚式をする理由だと思うの」
生まれたときも、死んだときも、集まってきてくれたひとたちのために、自分のことばで、意思で、その感謝を述べる手だてはない。けれども、結婚式ならば、それが出来る。
結婚式の新郎新婦は、その場の「主役」でありながら、最も忘れてはならないのは、自分たちが「結婚の意思を宣誓する」場に立ち会ってくれたひとたちに、感謝する存在でなくてはならない、ということ。そして精一杯の気持ちを込めて、みずからの手で「おもてなし」を表現する。それが、結婚式というもの。彼女は、そう伝えたかったにちがいない。
タイムマシンがあるのなら、当時の自分のもとに飛んで行って、この話を聞かせてあげたい。いくら気が利かない当時のぼくでも、この話をすれば、結婚式の意義を理解し、自分なりに、なんとか身の丈に合った、感謝のつたえ方を考えるだろう。……もちろん、親の資金援助は一円たりとも余すことなく、ありがたく使わせてはもらうけれど。
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